第36話 踏まぬ轍のために

 絶望に膝から崩れ落ちた自動人形。


 その姿は、傍観者が見守るには、あまりにも惨いものだった。

 何も、何一つ残されていなかったのだ。守りたかったものも、そのための愛刃すら打ち砕かれた。


 絶望、それ以外に相応しい文字は見当たらない。


「……リセッタ」


 どう声をかけようか決めあぐねていた騎士の耳に、父の声が囁かれる。

 騒動を聞きつけて走ってきたのか、息を切らしている。仕方ない、父ももう歳だ。あの数秒の戦闘に間に合う程の身体は持ち合わせていない。それでも、何かを察したのか父は言った。


「少しいいか、あの小娘に渡してやりたいものがある」


 メイド達にそっと見守っておけと指示をすると、顎でリセッタに行先を指す。

 崩れた屋敷の一階は、所々で崩壊が起きていて、とても放置できそうにない。これは修繕が必要だろう。


 リラが連れ去られたというのに、嫌に冷静だ。そう思うかもしれない、しかしそうではない。内心、取り乱しそうな程焦っている。正直、今すぐにでもあの黒竜を追いかけたい。


 だが、冷静でなければ助けられるものも助けられない、何より、ディレがあの状態だ。頼りにはならない。


「地下?」


 カウツマンが向かった先は、一階の階段の裏にある、もう一つの階段だった。普通は階段の裏に回ることなどないため、影になっていて見えないが。


「倉庫があるのはお前も知っているだろう、ここで待っていろ」


 そういって、一人暗闇に消えていった。一体何なんだ、今は一刻も早く彼女の行方を調べるべきだ。深夜、とはいえ見張りの衛兵は一晩中交代で仕事を続けている。それに、少なからず起きている国民はいるはずだ。


 情報が薄れる前に調べる必要がある。


 しばらくして、盛大な何かが崩れる音がして、思わず一歩踏み出した時だった。

 カウツマンが戻ってきた。腰を摩りながら、ぶつぶつと言っている。


「まったく、たまには倉庫の掃除もさせるか。ものがあふれて仕方ない」


 リセッタが眉を顰めていると、右手を差しだしてきた。その手には、一振りの長剣が握られていた。


「これは……?」


 年季の感じられる、埃の被った鞘。しかし、よく見ればその装飾の美しさに目を疑う。これは、相当な業物だ。ただ豪奢なだけではない、護拳の部分は、扱いやすいように最低限の装飾と、最高の角度が付けてある。


「表にしてみろ」


 埃だらけの手をパンパンと叩きながら、顎で指す。言われた通りに剣をひっくり返すと、装飾の中に見覚えのある紋章を見つける。

 フライン家の家紋だった。


「それは、“魔剣ドリム”家宝であると共に、『竜斬りのヴェイン』の物だ」

「――――っ!」


 竜斬りのヴェイン。正しくは、ヴェイン・フライン。リセッタの遠い祖先だ。

 遥か昔、ファラミルには竜が巣くっていた。山奥を根城にしていた竜は、時々人里におりてきては、大地を焼き、人を食い殺していた。


 当時の国王は、王国最強の剣士だったヴェインにとある依頼を願い出た。

 竜を駆逐してくれ、、、、、、、、、と。


「こんなものがまだ残っていただなんて……」

「曾祖父がヴェインの墓から見つけたものだ、墓荒らしはしたくないが、せっかくの名剣を眠らせたままというのも忍びない、ということらしい」


 確かに、ヴェインからしてみれば、共に眠りについていた愛剣を勝っ手に都合よく奪われただけだが、竜を斬ることのできる剣。現代の使い手に渡った方が活躍できるのは想像に難くない。


「しかし、これをディレに……?」


 とはいえ、風化も激しく刃こぼれが酷い。一度鍛冶師に修復を依頼しなければとても振れたものではないだろう。流石のリセッタも、これを手にあの黒竜と対峙するのはいささか心もとない。


「いや、これを使ってあの鎌を作り直せ。……必要なのだろう?」

「……父上」


 一部始終を見たわけではない、しかし察しのいい父親は、娘と、娘の仲間の気持ちを理解していた。だから敢えて引き留め、剣を渡した。


「行くがいい、騎士リセッタ。だが、絶対に助けろ。それが、最後の父としての頼みだ、それ以外は、もう何も言うまい。好きに生きろ」

「――――はっ。フライン伯爵も、お体に気を付けて」


 敬礼をするリセッタ、頷くカウツマン。形式上の挨拶、だが、この二人にとっては、それ以上の意味が込められていた。静かに見つめるカウツマンを背に、リセッタは走りだす。


 ディレの所へ行くと、変わりのない景色が広がっていた。相変わらずめちゃめちゃになった一室。絶望に打ちひしがれるディレ。


 まったく、らしくもない。


「ディレ、行くぞ」


 数歩離れた場所から、メイドが見守る中声をかける。


「…………」


 返事がない。しかし、いつまでもそうさせている訳にもいかない。

 近づいて肩に手を置き、しつこく言う。


「ディレ、リラを助けたいのなら、立て」

「……無駄」

「……?」


 ぼそっと何かを呟く。しかし聞き取れないリセッタは、肩を叩く。しかしそれがまずかった。唐突に立ち上がったディレが、肩に乗ったままのリセッタの腕を乱暴に振り払う。


「……もう……無駄」


 振り返ったディレ、その瞳に光はなく、頬には分かりすぎるくらいの涙の後がついていた。傷だらけの身体を気にもせず、リセッタの横を通りすぎる。


「……あきらめるのか?」

「…………」


 足音が止まる。しかしどちらも振り返らない。


「失望したな、お前はすぐにでも追いかけるものと思っていたが」


 静かに怒りをぶつける。今のディレは、無口ながらも自身を貫く熱い心を持っていた影はどこにもない。ただの抜け殻のように、無駄とほざいている。


「可哀そうにな、今も彼女はお前が助けてくれると信じているだろうに、それを裏切るのか」

「………うるさい」

「まったく、薄情な奴だ。一度負けたぐらいで挫けるなど、武器を持つ資格などない」

「………ッ! 五月蠅うるさいッ!」


 ヒステリックに叫んだディレが乱暴に腕を振るう、それを予期していたリセッタは、手にした剣の鞘で受けた。ガツン、と乾いた音が部屋と外の境界に響く。


「……これをお前に、と父上が。今からとある鍛冶師の所に行く。着いてくるかどうかは自由だ」

「…………」


 振るった拳を防がれたのが気に入らないのか、無言で腕を下ろしたディレ。未だ彼女の真意は測れない。


「――――最後にこれだけは言っておく、今一番苦しいのは、私でも、セイリンでも、ましてやお前でもない、、、、、、。一番苦しいのは、リラ、、だ。それを忘れるな」

「――――ッ」


 吐き捨てるように告げ、ディレの横に剣を置いてその場を去る。もうドアだったことさえ忘れかけていた、蹴破られた壁の前まで歩く。


「……リセッタ」


 見守るメイドを横目で流し、廊下に出ようとした時だった。重々しく口を開いたディレがリセッタを止めた。


「……リラを、助けたい……!」


 拳を握って、懇願するように覚悟を決める。途端吹いた風にディレの髪が靡く。紅髪の間から除く紅色の瞳には、もう先刻までの絶望はなかった。

 それを確認したリセッタは、ふっと口元を緩める。


「セイリン、お前はどうする?」

「無論、着いていきます」

「……すぐに出る。ずは彼女の鎌を直しに行こう。アリヤ、欠片を回収してやれ」


 ゆっくりと首肯したリセッタが、メイドに指示を出す。寝巻姿で佇むディレは、黒竜の去っていった方角を見つめていた。もう朝日が昇っていた、太陽に照らされて輝くのは、尖塔の連なる王宮。


「……まさか」


 最悪の事態が脳裏をよぎる。もし、仮にそうだったとしても、リセッタのすることは変わらない。悪を叩き、リラを助ける。


 覚悟と決意を纏った自動人形は、今までの誰よりも頼もしさを宿していた。




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