第34話 心割れた人形

 もう、王国のほとんどの人間が、眠りに着いた深夜。


 片割れを残し、陽光を反射して、輝く月が浮かぶ夜空。雲一つない清々しい夜は、天候にも恵まれたこの国の名物でもあった。


 その夜空に、黒い影がなければ、、、、、、、、、だが。


 風を切り、無風のはずの黒い空に荒れ狂う暴風を振り撒く。魚のものよりも荒く、深い鱗に包まれた体を、何にも縛られることなく放り出している。


 黒竜はとある場所へ向かっていた。


 紅い宝玉のような瞳に、主人から命ぜられた一人の少女を映すために。


 羽ばたく翼はところどころで破け、爛れた皮膚を剥き出しにしていた。

 歴戦の黒竜、王国が血眼になって討伐を急いでいる怪物の一体だった。


 それが、彼女らの屋敷に向かっていた。


 ◇◇◇


 未だ暗い屋敷の中、交代で巡回をしている使用人。最近は治安が悪化し、領主の暗殺に忍び込む者が現れることもしばしばだった。


 無理もない、王国自体は景気がいいが、その光の裏にこそ真実がある。

 貧民街となる場所も、領地に含まれているフライン領。領主であるカウツマンが、改善に尽力しているものの未だこれと言った進捗はない。


 だからこそ、若いリセッタに後を継がせ、その力を発揮してほしいのだろう。


「しかしお嬢様も人間、仕方ないのかもしれませんね」

「お嬢様は騎士様になられたのですから、いつかは何かしてくださるはずですよ」

「それもそうですね」


 使用人達の期待を、怠慢と一蹴するのは早計だ。彼女らは、戦場においてはなんの力も持たない、だからこそ、夢と期待を剣に預ける。

 剣と権は紙一重だ、振りかざせば欲しいままに好き放題できる。


 だからこそ、手にする人間が重要だ。それがリセッタならば、その正義と優しさで、今の状況にも気づくはず。そういうことなのだろう、彼女はまだ若い、大きなことに目を向けたくなるものだ。


 それを、カウツマンは知っていた。


「ねえ、あれ何かしら?」

「……?」


 期待と祈りを胸に、それまで領主を守るという気概で屋敷を歩いていた二人。しかし、片方が窓の外を見やると、声を上げた。

 問われた使用人が持っていたランタンを近づけると———


「「〜〜〜〜〜〜⁉︎」」


 屋敷に、悲鳴とも苦鳴ともつかぬ不協和音が響き渡った。


 ◇◇◇


「何事だ!」


 悲鳴を聞きつけたリセッタが、息を切らして飛んできた。

 他の面々も次々に顔を出す。


「リセッタ様! 一体⁉︎」

「……!」


 セイリン、ディレが各々の武器を持って現れる。腰を抜かしているのか、地面にへばりついている二人が、歯を慣らしながら答える。


「か、怪物が!」

「そと、外に……!」


 その言葉に振り返ったリセッタが、近くの窓を覗く。しかし、その先には何もなかった。ただ、静けさに包まれた庭園が広がるばかり。


「何もないが……?」

「さっきまでは居たんです! 大きい、竜が!」

「———竜⁉︎」


 顔を顰めて、その言葉の真意を確かめるリセッタ。しかし、恐らくは理解できないだろう。そもそも、ファラミルの生態系に竜は存在しない。


 しかし、そんな耳を疑う事実より、別のことで思考が手一杯なものがいた。

 ———ディレだった。


「———リラ! リラは⁉︎」


 ほとんどパニックだ、この場にリラがいない。それが何を意味するのか、ディレは理解できなかった。

 否、理解はしている。したくなかった。


「居ないのか⁉︎」

「……ッ!」


 その時だった、屋敷に振動が響渡った。建物が崩れるような出鱈目なその震えは、只事ではない。


「グラゥ———!」


 次いで聞こえる何かの咆哮。

 反射で走り出す。


 無意識の踏み込みは、古びた屋敷の床板を穿った。


 三階の廊下から、階段の踊り場まで一気に走る。段差を無視して飛び降りて、一階に急ぐ。足が床につくと、その足で踏み込んで、彼女の部屋の前まで飛ぶ、、


 勢い余って奥の壁にぶつかる、だが気にしない。鎌を杖にして身体を回し、両足で立つ。そのまま、目の前のドアを蹴破る。


「リラッ!」


 ドアが倒れるのを待たず、中に入る———しかし、彼女の姿はなかった。

 代わりに、荒れ切った一室だけがあった。一部の壁が崩壊し、剥き出しになった外。


「――――っな⁉」


 思わず声が漏れる。めちゃめちゃになったリラの部屋、本来あるはずの無い夜風が、ディレの頬を撫でる。が、それだけではなかった。

 部屋の外、屋敷の庭園に、一つの大きな黒影があった。


 驚愕と戦慄の入り混じった感覚を、さらに上書きするようにソレ、、は喉を鳴らす。


「グルゥ……」


 見上げるほどの巨体、黒鉄の鱗。聞いたことがある、正しくは聞かされた。

 あの人が言っていた、世界には、英雄ですら頭を悩ませる存在が居ることを。複数存在する中の一体、それが目の前の怪物だった。


「……黒…竜…ッ!」


 だが、そんなことはどうでもいい。許せないのは、その黒く禍々しい鍵爪に、弱々しく垂れ下がった少女を引っかけていること、、、、、、、、、


「……お前ッ!」


 静かにディレを見つめる紅玉の瞳は、握り込む刃をじっと見つめている。まるで、無駄だ、とでも言うように。

 気に食わない、癪に障る、それだけじゃない。


「――――リラを……返せッッッッ‼」


「待てッ! アレは――――!」


 ――――黒竜バハムートだ。


 そう続く筈だったリセッタの言葉を無視して踏み込む。

 追いついたリセッタが息を切らしながら手を伸ばす。しかし間に合わない。


 振り上げた紅蓮の鎌を、跳躍して漆黒の皮膚に叩きつける。


「――――ッ⁉」


 しかし、刃が通らない。一瞬、たった一瞬硬直したディレ。その隙を一切逃さない歴戦の怪物は、空いた左腕で気に入らない刃を叩き落とす。


「グッ……⁉」


 飛び出したリラの部屋に送り返され、地面に叩きつけられた。

 まるで自分の物とは思えない苦鳴が漏れる。内臓が押し上げられ、気色悪さに嘔吐する。


「ゲホッ、かはッ……うぅ」


 ビチャビチャと汚らしい色の液体が足元に垂れる。あの時とは、何もかもが違う。

 焦燥、苦痛、怒り。あのオーガなど比べ物にならない。


 関係ない、今は、目の前のことに集中しろ。


「セァァァァアアア‼‼」


 似合わない気合を迸らせ、足に纏わりつく何かを振り払う。

 再度地面を蹴って、リラを握る右腕を狙う。

 全力で刃を振り抜き、その腕を斬り落と――――


「――――キシャァァァァア」


 屋敷と同じぐらいの巨体を振り回した黒竜は、その長く太い尾を叩きつけた。

 連なる鱗がディレの肌を割く。


「かッッッッ――――⁉」


 吹き飛ばされた肢体は、屋敷の壁を破壊した。崩れ落ちた木材が容赦なくディレを追撃する。噴き出した血液が、周囲を紅く染め上げる。

 血液、自分にもそんなものがあったのか。現実逃避に思考が走る。


「く……そッ……!」


 骨が軋み、内臓が悲鳴を上げる。潰れて使い物にならないぐちゃぐちゃの臓器を抱えながら、自動人形は立ち上がる。

 拙い動きで地面におり、せき込む。


「ケホッ、ケホッ、へぐっ……」


 この程度では自動人形は死なない。どうせ後で治せる。自分の傷など知ったことではない。


「待て! お前はそれ以上無理だ!」


 背後で無駄に吠えるリセッタ。うるさい、ここでディレが動かなければ、一体誰がリラを助ける? リセッタが戦うのか? ディレがこんな無様を見せている相手に?

 無理だ、一捻りで殺される。それは、リラが悲しむからダメだ。


 セイリンも、ましてや屋敷の人間など蟻同然、勝てやしない。


 なら、壊れてもいい自分が行くしかない。


 全身が鈍い、鎌を握る腕にも力が入らない。


 ポタポタと紅い液体を垂らしながら、一歩一歩黒竜に近づく。

 遅い、隙だらけだ。それでも構わない。


 ボロボロの状態の敵を見て、黒竜が息を吐いた。


「……?」


 竜の息吹に髪がなびく。言葉の使えない怪物は、その瞳で訴える。

『相手にする価値も無い』双眸でそう吐き捨てた黒竜は、双翼を羽ばたかせた。


「――――ッ⁉ 待てッ……!」


 逃げる、そう直観して、絞りカスの力を鎌に込める。黒竜が背を向け、飛び立つ瞬間、隙だらけの背に向けて鎌を放る。


「ハッ……」


 嗤った、誰が聴いてもそう思う鳴き方をした黒竜は、脚を地面から離しながら、その黒尾で、紅蓮の刃を叩きつぶした。

 文字通り、叩きつぶす。


「あ…………」


 ガキンと、絶望の音を奏でた愛鎌は、綺麗に、儚く、容赦なく、砕け散った、、、、、


 バサバサと翼を鳴らす黒竜、その姿は既にディレの届かない所まで行ってしまった。

 もう、出会うことはないと思っていた、あの人、、、よりも大事な存在を攫って奪って


「あ……あ……ぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!」


 心割こわれた人形の絶望の絶叫が、半月の夜空を黒く彩った。

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