第33話 其々の意思

「すまない、遅れた」


 アリヤが出してくれたカップを片手に、先ほどまでいなかった騎士のことを話していた三人。当人が登場すると、視線が一度にそちらに向いた。


「リセッタ様!」


 思わず、といった様子ですっくと立ち上がったセイリン。握ったままのカップから、少し液体が漏れた。


「父上の許可をいただいた、今日はもう休むといい。アリヤ、部屋の用意は?」

「はい、ベッド、家具共にある程度は整いました。お泊まりになられるだけでしたら、十分かと」

「そうか、ありがとう。それと、リラとディレに服を何着か貸してやれ」

「……お嬢様のものでよろしいのですか?」

「構わない、客人用のものは少々サイズが合わないだろう」

「かしこまりました、お部屋に用意させていただきます」


 給仕服の端をもち、足を曲げて三人に礼をすると、静かに部屋を後にした。

 ドアの音すら立てないように締めるのは、さすがといった所だろうか。


「さて、各自部屋に行こうか、色々と話しもしたいが、明日にしよう」


 リセッタの言葉で、客間のドアが開いた。予め待機していたのであろうメイドが二人、リラとセイリンに付く。


「お部屋までご案内させていただきます」

「ありがとう。リセッタさんも」

「気にするな、……やはり敬語ではだめだろうか?」

「我慢してください」

「……仕方ない」


 諦めの悪いリセッタが、一瞬肩を落とした。それを笑いを堪えて見ていたのは、二人に付いたメイドだった。


 ◇◇◇


「こちらです」


 リラとディレを案内したメイドは、一階にある奥まった部屋の前で止まった。

 古びた、とはいえ、決して手入れのされていないわけではない扉は、ある種の趣を纏っていた。サビと金の入り混じった真鍮のドアノブが、ここで流れた時間を物語る。


「ありがとう、後は大丈夫」

「それでは、失礼致します」


 廊下の向こうに消えていったメイドを見送ると、リラが不思議そうに首を傾けた。あれから着替えていないワンピースが、窓から漏れる夕暮れの色に染まっている。


「部屋、入らないの?」

「……」


 そういえば、そうか。三部屋用されていたことに疑問はなかったが、なぜかディレはリラと一緒なものだと思っていた。しかし、折角用意して貰ったのだ、使わないのは失礼か。


「……いいよ、まだ夜じゃないし」


 ふわっと微笑むリラ、やはりこの顔がリラは一番似合っている。どうしようもないくらいに輝いている笑顔を、ディレは誰にも譲りたくなかった。

 ……そんなことを思える立場ではないけれど。


「ん」


 でも今は、彼女の優しさに甘えたかった。

 扉を押したリラに続いて中に入る。


 部屋の中は、思っていたよりも広々としていた。備え付けの棚の他に、今日用意されたであろう机や椅子。綺麗にシーツの掛けられたベッドには、天蓋までついていた。


「すごいね……私の家とは大違い」

「……リラの家もいい」

「ふふ、ありがと」


 部屋を見まわしたリラは、近くにある肘掛け付きの椅子を見つけると、手招きしながら腰をかけた。二脚ある椅子の間には、丸い小さなテーブルが置かれている。


「……ごめんね、私のせいで巻き込んじゃって」


 椅子の先にある化粧棚を見つめながら、悲しげに呟いた。三角帽をかぶっていないリラの顔は、はっきりと見えているはずなのに、まるで靄でもかかっているかのように、彼女の心は読めなかった。


「私ね、本当はアルが言ってる、汚名返上なんてしなくてもいいの」

「……?」


 静かに語るリラの視線は壁にかけられている鏡の奥、もう一人の彼女を見つめている。悲しみと申し訳なさが生み出す声色は、夕暮れの一室にしつこく纏わりつく。


「本当は、アルと居られたら……なんて思うけど。世間はそれを許さない」

「……リラ」

「お祖父様のしたことは、最悪で最低。だから、この状況も仕方ない」


 唐突な主人の胸中の吐露、その重さにディレは耐えられなかった。だが、彼女は、リラはそれを耐えるどころか、今も押しつぶされそうになっている。

 彼女は何一つ悪くない、それなのに。


 あの人、、が守った世界は、こんなにも、醜く、汚く、救いようがなかったのだろうか?


 認めたくない、でも、これ以上リラが傷つくのも嫌だ。


「リラ、大丈夫。なんとかする、リラは、悪くない」

「……そうだね、ありがとう」


 口ではそう言いながらも、ディレの差し出した右手は握らなかった。

 微笑むこともなかった。

 どこか遠い雰囲気を纏ったディレの英雄は、それから何も言うことなく、ベッドに体を預けた。


「リラ……」


 リセッタ達の前では、ああして明るく振る舞ってはいるが、恐らくそれは建前。

 優しい彼女は、アルバーンの考えを尊重した。しかし、その結果リラの問題に巻き込んでしまった。


 しかし、それは彼らの意思でもある。リラが一人で居ることをよしとしない、お節介だが優しい意思。


 それなら、リラが気負う必要はない。明日、ちゃんと話したほうがいいだろう。リラは、リラでいいと。彼女が呪術で誰かを助けるなら、誰かが彼女を助けることもおかしくない。


 ディレが話せる自信はないが、やるだけやってみる。やらないでは、多分済まないから。胸の内でそう決めたディレは、使用人よろしく、音のたたないようそっとドア閉めた。

 静寂に満ちた館、窓から差し込む光は、既に月明かりに変わっていた。自身に用意された部屋に入る。誰もいない部屋は、どうしようもなく面白みに欠けていた、


 まるで、一人残されたダンジョンのよう。

 いや、違うか。あの時、ディレに明日はなかった。次なんてなかった。

今は、確固たる意思がある。明日を望む理由がある。それならば、あの時とは違うと言えるだろう。


 部屋を用意する際に、荷物も運ぶと言われたので、渡した鎌が壁に立てかけてあった。紅蓮に染まる愛鎌、「ブラッディルナ」とあの人は言った。


 今度この鎌を振るうのは、リラの助けになる時がいいと願う。


 その時の為にも、手入れは必要だ。部屋にある棚から、手頃なハンカチを取り出して、刃を拭き始めた。


 そうしている内に、ディレも眠りについていた。

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