第32話 剣と権

「「お帰りなさいませ、お嬢様」」


 中に入ると、相変わらず代わりの無い、せーので揃えたかのような礼が三方から向けられた。掃除の行き届いた玄関を見回しながら、リセッタはため息を吐く。


「ただいま、これはまた豪勢な出迎えだ」


 自身の予想と違い、手の空いているメイドが総出で出迎えた。恐らくアリヤの計らいだろうが、リセッタの趣味ではない。


「アリヤ、彼女達を客間へ。他の者は業務に戻ってくれ」

「「承知いたしました」」


 数人のメイドが広大な屋敷へ散ってゆく。命じられたアリヤが、リラに声をかけていた。


「こちらです、お客様」

「ありがとう……貴女はさっきの?」

「はい、アリヤと申します。以後お見知り置きを」


 玄関から見て左手に見える廊下に案内する。客間が三つほど存在するエリアで、殆どの客はそこで応対するのが普通だ。リセッタはあまり使ったことはない、客人は全て自室に案内しているからだ。


 あんな建前のような場所で話をしては、どうしても壁が生まれる。とはいえ、リラ達なら、大丈夫だろう。そう踏んでの選択だ。


「……行くか」


 一人玄関に残ったリセッタは、今一度覚悟を決めて、目の前に見える階段を上がる。父親の部屋は三階の奥、書斎は二階にあるが、恐らくは書斎にいるだろう。


 先ほどメイドに居場所を訊いておけばよかったと、今になって思ったが、それはもう後の祭りだ。あの男が自室に居ることなど殆どないため、恐らく間違ってはいないだろうが。


 紅いカーペットの敷かれた階段を、一段飛ばしで上る。メイド長に見つかったら、「はしたない」と叱責されるだろうが、見られなければ問題はない。


 今更ながら、愛馬の背に置いてきた兜を持ってくればよかったと後悔する。あれがあれば、父と話すことも容易だ。あれがないとどうも弱腰になってしまう。

 いや、そんな場合ではないか、今日だけはまともに話をする必要がある。


 でなければリラ達の居場所がなくなる。


 思考に脳の領域を費やしていると、身体は既に書斎の前まで来ていた。丁度奥の部屋から出てきたメイドと目が合う。


「旦那様でしたら、書斎におられます」

「ありがとう」


 やはりだ、彼はいつもここに籠っている。子供の頃、外で父親と遊んだ記憶などない。そもそも、まともに話した記憶すらない。大人になって一度、一度だけ喧嘩をした。その決着は、ついていない。


 今日は、それを着けに来た。


「父上、只今帰りました、リセッタです」


 拳を軽くぶつけてノックをする。


 すぐに返事が返ってきた。


「入れ」


 相変わらず、不機嫌なのかわからない声色で、端的に発せられた濁ったバス、、


「失礼します」


 古びた扉を押し開けて、中に入る。かびた本の匂いが、ぷんと鼻にまとわりつく。

 両側の壁が本棚になっている広い部屋。その奥で、向こうを向いて椅子に腰かける人物。


「父上」

「騒がしいと思えば、またノコノコ帰ってきたのか、リセッタ」


 カウツマン・フライン。王国騎士団副騎士団長の父にして、一土地の領主を務める男。


「それとも、騎士をやめる決心がついたか?」


 一人娘が帰宅して早々、嫌味をぶつける父親。全く、この男も何も変わっていない。


「まだそんなことを……」


 たった一度した喧嘩の原因、それは、リセッタが騎士になると言いだしたことだった。


「ふん、それは私のセリフだ。早く剣を置いて後を継げ」

「……お言葉ですが、私にその気はありません」

「……なら何の用だ? 数年ぶりに帰ったと思えば、客人のもてなしなど他所でやれ。どうせまた男どもだろからな」


 わかりやすく敵意を剥き出しにして、振り向かずに言う。

 確かに、家を出る前のリセッタは、よく男の客を招いていたが、今回は違う。


「剣の修練をさせたのが間違いだった、参考にと剣豪などを呼んでは手合わせをして、挙げ句の果てに騎士団とは」

「……今回は違います、騎士団の部下を一人と、客人が二人です」

「何が違う? どうせ男だ、全く。少しは女とも絡んだらどうなんだ? 男好きと噂されるのも時間の———」

「『鋼の乙女』と、女性の客人ですが、何か?」

「———っな?」


 苛立ちを体現するように、椅子を左右に回していた父、しかしリセッタの一言により、固まった。


「お前が女を呼んだだと?」

「はい、付きましては、三人を数日泊めさせていただきたく」

「……それは騎士としての役目か?」

「それは……」

「ならダメだ、お前が剣を捨て、この土地を治めるというのなら別だが」


 引き換え条件、そうまでしてこの男は娘に土地を継がせようとするのだろうか。確かに、リセッタがこのまま騎士を続ければ、フライン家は恐らく潰える。しかし、後継の決め方などいくらでもある。


「それはできませんと再三言っています。騎士には守るべき民があります。それを投げ出して地位に着くなど……」

「違う、お前は領地の民を守べきだ。この家に生まれたのならそれが義務だ」

「それでは他の民は⁉︎ 今の腐敗した貴族を見て言っているのですか? 団長がおられるから今の騎士団があります。前任の怠慢さは父上もご覧になったはずです‼︎」


 話し合いが口論に移る直前、カウツマンが振り向いた。


「……お前は、お前自身と向き合えているのか?」

「……なんのことです?」

「これまで何度か見合いをさせたが、全て断っている。気に入らないのは百も承知だが、誰かマシな者はいなかったのか?」


 なんだ、急に。領地の話かと思えば、唐突に見合いか。

 よくよく見れば、彼の視線はデスクの上に飾られている一つのネックレスに移っていた。人の首元を模した台座に掛けられている。


「リセリナが死んでもう随分経つ、幸福を求めるのはそれほど悪いことではない。一人娘に、落ち着いた日々を過ごして欲しいと願うのは、おかしいか?」


 もうこの世には居ない女性の面影を視線で追いながら、カウツマンは言う。

 リセッタも、別に婚姻が嫌なわけではない。もう少し、粘れれば良かった。それだけの話。

 それに、彼が察しているだろうリセッタの想い人は、既に相手が居る。幼き頃からの絆付きのだ。


 リセッタの剣は、敵を切れても関係を切ることは出来なかった。


 だから、父の心配には及ばない。


「お気持ちはありがたく思いますが、どうやら私には相手がいないようです。ですから、剣を捨てる気はありません」

「……剣ではなく、を持つ気はないと?」

「はい、それに私の幸福を祈ってくださるのなら、あの方のそばにいることがそれにあたります。いえ、あの方々、です」


 諭すように語るカウツマン、一人娘が戦場にいる。それだけで彼は辛いのかもしれない、だが、しかし、それはリセッタの知ったことではない。


 今の自分は、騎士リセッタ・フラインだ。フリルのついたドレスを着ていた頃とは違う。そして、何よりも大事なことがある。


「何より、母上のようになりたいのです」

「———ッ!」


 二十年前の王国騎士団、その副団長を務めていたのは、リセッタの母、『リセリナ・フライン』だった。

 とある事件に巻き込まれ、その命を失ったが。しかし、それをリセッタは悲しみだけにとらえなかった。彼女の死は、誰かを守った結果のものだったからだ。


 だからこそ、今度は、彼女の成せなかったことをする。


 誰かを守り、生きて共に帰る、、、、、、、ことのできる騎士に。


「……一つ、聞け」

「はい」


 変わらぬリセッタの意志に気押されたのか、顔を俯かせたカウツマンが言う。

 ゆっくりと、絞り出すようなその声色は、今まで一度も聞いたことのない———


「死ぬな」


 ———父親の声だった。

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