第19話 絶対悪

 強大な敵に立ち向かう紅と蒼。

 その背中を見て、副騎士団長は考えた。


 今まで悪と見做してきたものは、ただ疑うことを拒絶して、思考放棄の果てに生まれたものなのではないか?


 今、リセッタの思考は揺らいでいる。先刻、リラが我が身を投げ出してまで子供を救おうとした。リセッタですら、咄嗟にできなかったのだ。

 それを、彼女はやってのけた。敵に背中を向けて、殺せと言ってしまうほどに。


 それを、どうしてただ見ていられようか。


「グルルゥゥゥゥ!!」


 その時、ディレとアルバーンが戦っているはずの怪物が、雄叫びをあげた。怒りに任せたようなその怒号は、森中に響き渡る。

 ガサガサと木々を揺らし、ざわめきを広げる。


 しかし、それだけではなかった。


「ギギッ!」

「グギャル———!」


 緑色の塊が、転げるように森から飛び出してきた。

 否、塊ではない。小さい人形のようなソレは———


「ゴブリンッ———!?」


 おそらく、オーガの咆哮で呼び寄せられたのだろう。ゴブリンの群れをオーガが率いていることは珍しくない。しかし、この状況はかなり、いや、相当にまずかった。


「ギギッ!」


 棒切れに石が巻きつけられた、原始的な棍棒を各々の手に握り、野蛮な視線を向けている。その切れ長の不気味な双眸の先には、痛みに悶えるリラと、子供の姿が。


「お姉ちゃん!」

「「スペル……チェーン」」


 集団で近づくゴブリン、適当に見積もっても四十は下らない。相当だ、騎士団の騎士が役二十人程度、リセッタを足しても誤差でしかない。

 無論、リセッタ一人で最低でも五人分の働きはしてみせるつもりではいるが、状況はそう簡単ではないのだ。


 かろうじてリラが術でその足を止めた、しかし、それも長くは続かない。


 そして、その横には吹き飛ばされるディレや、「っく———!」と苦鳴を漏らす騎士団長。


 加勢したい、しかし———。


 今危機に晒されているのは、王国の探し続けた最悪の存在『破滅の魔女』だ。

 放っておけば勝手にその命を散らす。


 しかし、しかしだ。本当にそれでいいのか? リセッタ・フラインはそれで———


「総員、あのお方リラを守護するんだ!」


 決意を決め込んだリセッタは、部下にそう命令する。相手がどうではない、王国の情報が絶対ではない。

 それに、リセッタはもう見てしまった。彼女が、最悪と呼ばれる所以など持ち合わせていないことを。それどころか、優しすぎるということを。


「……? どうした、早く行け!」


 声高らかに命令を発したにも関わらず、騎士たちは微動だにしなかった。

 部隊長ですら、その足を動かそうとしない。その代わりに、右手をあげて口を開いた。


「副騎士団長、その命令だけは、受け付けられません」

「———!? なんだと?」


 ふざけているのかと、部隊長の顔を見やると、真剣な面持ちでリセッタを見ていた。

 他の騎士も同様に、一斉に視線を送っていた。


「お言葉ですが、我々は『破滅の魔女』を討伐に来たのであり、その手駒になりに来たのではありません」

「……っ」

「ですから、副騎士団長が命令を撤回し、討伐の命令をなさるのであれば我々はよろ———」

「———見えなかったのか」

「……はい?」

見えなかったのか、、、、、、、、と訊いている!!」

「「………」」


 剣戟の音が絶えずする中、王国騎士団はその指導者によって静寂に包まれた。

 誰一人、その問いに答えることはなかった。


「彼女は、私が、貴様らができなかったことを、その身を賭してまで……」

「ですが、貴女もおっしゃられた通り、彼女は……!」

「貴様らは、その足を一歩でも動かしたか! 子供を守ろうとしたか! その剣はなんのために握っている、殺戮のためか! 私は、たった今それが間違いだったと言うことを思い知った」


 たった一人の少女のため、一人の騎士が声を荒げる。一度は絶対悪として決めつけた相手を、今度は救おうとしている。

 部下の彼らからしてみれば、騎士団長に叱責されて、その通りに動いているようにしか見えない。しかし、リセッタはそうではなかった。彼女は、その場で理解したのだ、自身の過ちを。


「それとも、私が団長に叱られているのを、笑って見ていただけか!?」

「「———っ!!」」


 自身を卑下してまで、『破滅の魔女』を守ろうとする上司。騎士達からすれば、それはあまりに異常だった。そこまでする理由は、一体どこにある?

 否、それは既に彼女が語っていた。彼ら自身も、ただ自分の信じていたものを壊されるのが怖いだけなのだ。


 最悪と騙られた少女が、最優、、の少女かもしれないという事実を、受け止められないだけ。


 ならば、リセッタは何を言うか、既に決めていた。それは、自身の心を押し付け、他者を守る言葉だった。しかし、騎士にはそれが相応しい。

 大体、自身には届かぬ相手だった、最初から。ならば、彼のためになることをするべきだ。


「……頼む、騎士団長の花嫁、、、、、、、を、どうか守って欲しい……!」


「「———!!!!」」


 既にゴブリンは術を破り、いつでもその柔肌を刻める範囲にまで近づいていた。それまでは、リラが必死に余力で接近を防いでいたが、もう限界のようだ。

 リセッタ単身で飛び込んでも構わない、しかし、あのオーガが呼んだゴブリンだ。

舐めてかかれる相手ではない。数秒で使い物にならなくなるのが目に見えている。


 だからこそ、集団でかかって欲しいのだ。数は圧倒的に足りない。しかし、彼らが心を一つにして戦えば、リセッタに匹敵するほどの実力になるのはわかっている。

 リセッタ・フラインは、王国騎士団副団長だ。騎士団長の次に、彼らの強さ、、、、、を知っている。


「……承知、致しました。聞こえたか、あの少女の加勢に行くぞ!」

「「〜〜〜〜〜〜!!」」


 鬨の声を発し、次々に騎士がリラの元へと駆け寄っていく。そして、その剣技を存分に振り、ゴブリンを圧倒していく。


「ギギッ!?」

「うあぁぁぁぁあ!!」


 滑らかな一閃が、ゴブリンの首を落として、流れるような仕草で、次の標的に剣先を向ける。


「……言っておいて何だが、どうしてだ?」

「……どうして、とは?」


 噴き上がる鮮血が、リラ達に掛からぬよう、その身が盾になるよう立ち回る騎士団。その姿に、濃紺の目を見開くリラ。


「言ってみれば、今のは私の、リセッタ・フラインの願いごとだ。貴様に受ける義務はない」

「貴女様があそこまで言われて、心うごかぬ騎士などいないでしょう。私とて騎士道を齧っている者です。……正直、本当は決めかねていただけなのです、彼女が本当に信じていい存在なのかを」

「……私も同じだ、しかし彼女は、悪ではない。先ほどまで絶対悪だったのは、確実に我々だ」

「何を言いますか、絶対悪は、あの怪物のようなことを言うのです。さあ、団長を加勢したくて仕方がないのでしょう? 行ってください、我々の無事など気にせずに!」


 そう言って、ゴブリンの群れに飛び込んでいく部隊長。その背中には、確かな意思が宿っていた。


「っふ、あの者も舐めたことをするっ!」


 一度下げた剣を再び構え、二人の強者を圧倒する巨体に、一閃を浴びせた。


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