第14話 破滅の魔女

「ん……」


 窓辺から差し込んだ木漏れ日が、ディレの覚醒を促した。

 昨日は不思議なくらいにぐっすりと眠れた。……昨日は、とは言ったものの、ディレにとってこれが久々すぎる睡眠だった。


 あの人がいなくなって以来、侵入者を迎え撃つため、リラは一睡もせずにダンジョンに立っていた。人間と違い、行動継続に睡眠は必要が無かった。魔力があれば動ける。しかし、その連徹どこではない異常稼働は、次第にディレの心を壊すことにつながっていった。


 だからなのだろうか、妙にスッキリした頭を振って、覚醒後のまとわりつく眠気を払う。


「……?」


 ドアの隙間から漂ってきた匂いに、スンスンと鼻を動かして反応する。どうやら、リラが朝食を作っているようだ。ディレも決して寝坊と言われるほど遅く起きたわけではないのだが、リラの方が早起きだった。


 与えられた一室から退室し、匂いの方へと向かう。案の定、キッチンでローブ姿のリラが包丁を握っていた。


「あ、おはよう。眠れた?」

「……ん」


 コクンと頷く。両手が塞がっているためか、リラは顎で食卓を指した。

 見れば、パンに目玉焼き、それに何やら干し肉が皿の上で輝いている。


「先に食べてていいよ、私もすぐだから」


 昨日のざまでは手伝うこともないので、促された通りに席に着く。

 とはいえ、先に食べ始めるにもいかず、リラを眺めていた。昨日の二の舞になるやもしれないと、一瞬目を逸らし掛けたが、リラが何も言わないのでそのまま見ていた。


 穏やかな時間が流れる朝の食卓、これほどの平和をもたらしのは誰なのか、そんな考えすら浮かぶ、しかし、それは王国の誰もが知っている。


『終結の英雄』彼女がもたらした平和。


 それは、今も揺らぐことなく続いている。しかし、彼女のそばに居続けたリラは思うのだ。人々は、忘れすぎ、、、、ではないか、と。

 確かに、平和は訪れた。とはいえ、それはあくまで仮初の平和だ。


 彼女という脅威がなくなって以来数十年、王国の戦力は圧倒的に衰えている。こんな状態で呑気に過ごしていては、確実に寝首を掻かれてしまう。


 彼女が守った平和を、怠惰に過ごしすぎではないか。


 リラがいうに、王都でも平和すぎるほどの時間が流れているらしい、しかし、それも王国としての話だ。騎士団は今も各国との小競り合いで戦闘をしているし、物の流通も一方的になりつつある。


 いつ、また戦争が始まってもおかしくはない。


「お待たせ、食べてていいって言ったのに」

「……リラより先にはできない」


 そんな、いささか悲観視しすぎていると、自身でもわかっている思考を止めて、リラとの時間に専念しようと思った矢先だった。


「リラさん! リラさんは!?」


 外から大きすぎる叫び声が聞こえた。声の主は、リラを探しているようだった。

 リラが包丁を置いて、玄関の方へと走っていく。


「なんですか? あ、ジレドさん!」

「はぁ、はぁ、大変です!」

「ど、どうしたんですか⁉︎」


 息切れでまともに話せていない青年が、リラの肩を掴んでいる。

 何事かとディレは一瞬身構えたが、


「……はぁ、はぁ、騎士団が‼︎ 王国騎士団が!」

「——騎士団⁉︎」


 ジレドと呼ばれた青年が、口にした単語を聞いた途端、戦慄するようにリラの顔が強張った。


「どこまで? 目的は?」

「村の門に集団で‼︎ 目的はあなたです! だから、早く逃げてください!」

「——! いつかは来ると思っていたけれど……」


 騎士団はどうやらはリラを狙っているらしい。王国騎士団といえば、国の秩序を守る最強の集団だったはずだが、なぜリラが狙われる? 彼女が何かしたというのか?


「……」


 口元に手をあて、黙り込んでしまうリラ。それを目の前で見ているジレドは、急かすようにリラを見ている。


「早く! 裏ならまだ包囲されていません! あなたならすぐ逃げ出せるはずです!」


 懇願するようにリラの手を引くジレド、しかしリラは動こうとしない。

 それどころか、やんわりとジレドの手を払いのけた。


「できません、私だけ逃げるなんて」

「しかし……!」

「それに、私に加担したとなれば、村の人もただではすまない。逃げられません」

「リラさん……」


 リラの人柄が全面に出たような発言に、何もいえなくなってしまう村人、しかし、その瞳は変わることなくリラの逃亡を願っている。


「ディレ、お願い、ここで待ってて。ジレドさんも、付いてきたらダメです」

「……でも!」

「リラ……?」


 思わずディレまでもが彼女の名を口にしてしまう、しかし彼女の瞳は依然として揺らぐことない意志を讃えていた。


「「スペル・チェーン」」


 小ぶりな口元から紡がれた、短すぎる詠唱が、村全体を包み込んだ。その直後、ディレとジレドの足元に、光の鎖が纏わりつく。


「……なっ?」


 ジレドが怯えるように足元の鎖を見つめる。しかしすぐに理解すると、リラの方を見据えた。固く拳を握って、震える声音でリラに言う。


「お気をつけて……」


 リラが放った呪術、それは対象をその場に縛り付ける呪いの鎖。しかし、それは場合による。村全体に行使された術は、女、子供、無差別に発動された。しかしそれはリラの優しさだと誰もがわかっていた。

 そして、それがどれだけもどかしいかをも、実感していた。


「……!」


 術の正常動作を確認すると、リラは玄関から一歩外に踏み出した。

 見渡せば外で作業をしていた村人が、リラのことを見つめていた。


「リラさん!」

「リラちゃん! なんで……!?」

「行くな! リラ!」


 異口同音にリラを引き止めようとする村人、引き留められているのはどっちなのか、まるで理解していないかのような様子。

 しかし、リラはそれが痛く嬉しくて、申し訳なかった。


「大丈夫です、すぐに帰ってきますから。……だから、来ないでください」


 悠然と門へと向かって歩いていくリラ、その姿に誰もが言葉を失った。

 それは、今まで見たことないほどに、リラが真剣な気配を纏っていたからか、あるいは、そのどこまでも優しい姿勢に、言葉が見つからなかったか。


「リラさん……!」


 途中、昨日の親子の横を通った、親に抱きつくようにして、子供が怯えている。


「ラオナさん……」

「リラさん、私たちは、あなたに感謝しています。だから……だから、どうか、帰ってきてください……!」


 頬に水滴を伝わせ、リラの帰還を願うラオナ、その足元では息子のフィールもリラを見ていた。


「お姉ちゃん……!」


 ……こうまでされてしまっては、帰るしかない。


 正直な話、リラは話が片付くのなら、騎士団に拘束されても仕方ないと思っていた。王国にとって憎き一族の末裔であるリラ、捕縛されれば命はないだろう。

 だから、なるべく努力はしよう、帰れる可能性があるのなら、諦めはしない。


「大丈夫、帰ってくるよ」

「……絶対だよ!」


 ゆっくりと頷いて、リラはまた前を向く。おそらく、術を行使したことにより、こちらが何か仕掛けるかと警戒されているはずだ。傍からひょこりと顔でも出せば、問答無用で攻撃対象になる可能性がある。


 なら、正面から行く他ない。


 見えてきた、木造りの古いゲートを見据えて、リラは拳を握る。別に、怖くないわけではない。できることなら逃げ出したい、ディレを連れて、どこまでも逃げてしまいたい。


 しかし、それは許されないことだ。リラ自身として、『ノクトルナ』の人間として。


「貴様が『破滅の魔女』か?」


 門の真下まで来ると、声が掛かけられた。随分と癪に触る問いだ。


「……認めたくないけど、好きに呼んで」


 リラに声をかけたのは、門の周囲で目を光らせている王国騎士団、その中心で、黒い馬に跨っている人物だ。白銀の鎧に身を包み、洗練されたデザインのヘルメットからは、緩やかな青髪が垂れていた。胸のプレートの膨らみからしても、女性であることは間違いない。


「何を今更……貴様が王都周辺の怪物モンスターの、凶暴化の元凶であることはわかっている!」


 よく通る、女性らしい声が、鋭くリラの耳を打つ。

 周囲の騎士達も、腰もとに下がる剣の柄に手をかけている。


「なんの事……?」


 しかし、当のリラには身に覚えがなかった。なんだ、モンスターの凶暴化とは?

 そんなことしたことがない、それに、リラの知る限り呪術の中にそんなものはなかった。


 使役、という意味でなら無くはないが、低級のスライム10匹、中級のモンスターでも精々5匹が限度だ。とても王都中のモンスターなど使役できない。


「とぼけるのか? 貴様のせいで衛兵隊の一団が壊滅したんだぞ!?」

「——っ!?」


 嘘だ、そんなはずがない。例えモンスターを凶暴化させる術が存在したとして、王国守護のプロを倒せるレベルまではいかないだろう。

 仮にベテランの中で、練度が低かったとしてもだ。


「知らない! 私はそんな酷いことしてない!」

「っな、嘘を吐くなっ‼︎ 呪術師風情がっ‼︎」


 そう吐き捨てながら、女騎士は馬から降りた。ガシャっと金属音を鳴らしながら、地に立つと、腰に輝く剣を抜いた。


「騎士団長がいらっしゃるまでは、手を出すなと言われているが、貴様ごとき呪術師なぞ、あのお方の手を煩わせるまでもない!」

「なっ……」


 リラの態度に憤慨したらしい女騎士、陽光を反射する剣の切先を向ける。


「貴様の呪術とやら、切り裂いて見せよう!」

「……」

「……どうした、呪術師らしく詠唱でも初めたらどうだ?」

「……きにして」

「……は?」

「……好きにして」


 詠唱どころか一歩もその場から動こうとしないリラ、相対する敵が剣を抜いたと言うのに、動き一つ見せない。それは、周囲の騎士達をもざわめかせた。


「……貴様、愚弄する気か?」

「私は何もしない、私を斬って事がすむなら本望」


 目を見開く女騎士、向けた剣を握る手が、怒りに震えている。諦めて抵抗すらしないと思えば、散々逃げ隠れした咎人が、好きにしろだと? 相手を舐めるのも大概にしろ、沸々と湧く怒りが、女騎士の判断を鈍らせた。


「なら、ならば! 望み通りに!」


 重々しく大地を蹴り、疾風の如き速度で最悪の敵の排除に向かう。

 そして、憤怒に眩んだ思考でも、騎士道だけは曲げずに貫いた。


「王国騎士団、副騎士団長、リセッタ・フライン! 覚悟しろ、『破滅の魔女』‼︎」


 滑らな銀閃が、いつかの驕った騎士のように振るわれ、細すぎる少女の首の柔肌を切り裂いて———


「———リラ‼︎」


 紅い閃光が、その結末を塗り替えた。

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