第8話 リラ・ノクトルナ

「これは絶景だな、なあリラ」

「………」

「どうした? 今日はお前のために用意した機会なんだ、もっと喜べ」

「………」


 黒い夜空に、星が輝く時。とある崖の上で、一団が眼下を見下ろしていた。視線の先には、剣閃渦巻く戦場。そこは、王国軍と帝国軍の戦場、真っただ中にあった。


「旦那様、本当にリラにやらせるおつもりなのですか?」

「ええい黙れ! コレは儂の栄誉には必要なんだ! 嫁風情が口をだすな!」


 似合わないマントを羽織った、腰の曲がりかけた老人が、自身の隣に不安そうに立つ少女を見て、語気を荒げた。


「……! 申し訳ありません……」


 実の娘を心配し、口を出したのが間違いだった。そう思いなおして一歩下がるのは、少女の母親。その傍らには、諦めたような表情を湛えた男が立っている。


「さぁ、くだらん帝国民どもに教えてやれ、王国の術がどれほどのものかを!」


 一人高らかに声を上げ、喜びを隠さずに上半身を揺らす。周囲には、先ほどの母親、父親とみられる男と他に数名の使用人が場を静観している。口を出すものはいない、当然だ、なぜなら彼の老人は


「9代目当主、フランケル・ノクトルナの初手柄よ」


 彼らの当主にして頭首だからだ。誰も逆らえはしない。


 堂々と宣言し、眼下の戦況を鼻で嗤う。そしてフランケルはリラと呼ばれた少女の肩を掴む。少女が顔を顰めるが、フランケルには見えていない。


「……やれ、全て蹴散らせ」


「……はい」


 一言、一家の当主が命令すると、一分も逆らう様子なく、ひたすらに冷たい承知が返った。


 少女が右手を眼下に掲げる、すると彼女の周囲に赤い光が浮かび始める。


「ははははっ! これよ、これよ! この力‼」


 嬉し気に声を上げ、それに酔いしれるフランケル。それを見て、少女の母親は両手で顔を覆い、男は力なく顔を伏せる。他の使用人も同様に、冷たく肩を落とした。


 浮かんだ光が次第に少女の身体を中心にして、渦を巻き始める。そのうちに光は強くなっていく。まるで、魔力のダンスだ。


「さぁ! 燃やせ! これぞ呪術の高み! 魔法に成しえない力だ‼」


「「……全知なる夜空よ、万能なる星々よ、飲み込まんとすその呪縛で、ありうる全てを縛りあげろ、不死の炎で焦がし包め」」


 まだ幼い、本来紡がれるはずの無い詠唱が、小さな口元から謡われる。しかし、幼さとは裏腹に、突き刺すような声色が、周囲の人間を一歩退かせた。少女とは思えない、その詠唱の重さに。


「「ブレイズ・ノクターン」」


 終句が言の葉となって唱えられる。その余韻すら、重く心にのしかかる。そんな詠唱だった。


 しかし、その余韻に恐怖している時間は、一人を除いては存在しなかった。


 一瞬にして、眼下の戦場に、紅い大きな魔法陣が浮き上がる。それが瞬きまばたのうちに消滅し、火柱が上がった、、、、、、、


 火柱、それも複数、無数にだ。


 戦場に入り乱れる数千の帝国兵。その全てに、残らず炎が上がった。目を凝らせば、それは単なる火柱ではない。兵士に絡みつくようにして上がるその炎は、彼らを縛るの形をしていた。


 自身に纏う炎をかき消そうと、必死にもがく哀れな帝国兵。しかし、幾ら暴れても、その業火が勢いを失うことはなかった。肉が爛れ、焦げていく、その苦しみに悶えながら、一人、また一人と王国の敵が減っていった。


「はは、ははは、はははっ! 素晴らしい! 最高の術だ!」

「こ、これは⁉」


 フランケルが口の端を不気味に歪めて、その光景を愉しんでいる。彼にとっては一種のショーだ。それも、自身の手柄付きの。


 その光景に満足したのか、うるさい外野を一瞥すると、フランケルは自慢げに右の拳を掲げた。


「知りたいか? 息子よ、ならば教えてやろうではないか!」

「この呪術は、儂が発見し、復元した最高位のものなのだ! あの炎の呪縛は、対象が死ぬまで燃え続ける! 足掻き苦しんで、先に待つのは死のみだ!」


 高らかに掲げられる拳、その甲は、最期を迎える兵士たちの、生命の業火で照り輝いている。


 その陰に、ちらちらと炎の揺らめきを受けている男は、絶望した。その、あまりにも惨すぎる禁術に、あまりにも強大すぎる力に、それを放った愛娘の、恐ろしさに。


「し、しかし、それができるのはリラだけでは?」

「そうだ、だが問題無い。これを編み出したのは儂だ! 誰でも無いこの儂なのだ、お前にすらくれてやるものか、この栄誉は、儂のものだっ! はは、ふははははっ!」


 世界を我が物とせん高笑いが、灰の舞う戦場に響いた。その息子は、父の陶酔に絶望し、周囲は主の堕落を嘆いた。


 その元凶の隣には、一言も発することのない少女が、人の散る戦場を見ていた。人形のように冷たい、凍てついた双眸は、全てを諦めた色をしていた。


 これは、とある呪術使いの、自身すらも呪った過去だ。


 彼女の名は、『リラ・ノクトルナ』


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