第3話 解呪の呪い

「っ……!」


 またか、またなのか。


 人の気配を感じ取った私は、地面についていた膝を持ち上げた。鉛のように重い鎌を一振りする。

 これが最後であってほしい、そう懇願こんがんする。これが、最後の一閃であって欲しい。もう、誰も訪れるな、そうすれば私はここで終われる。例え救いがなくとも、殺すために刃を振るうことだけはやめられる。


 これ以上、もう何も見たくない。


 立ち上がった自動人形は、祈るように、一歩ずつその足を動かす。お願いだ、お願いだ、と。


 もう、殺して壊してくれるという期待など、捨ててしまった。


 確かな気配を感じて、ずっと足元を見続けていた視線を上げる。自身でもわかるほどに、怠惰たいだな動きで対象を見る。

 それは、小柄な少女だった。夜空のような濃紺のローブに身を包み、大きな三角帽を深々と被っていた。なんだ、どうせなら中年の男ならよかったのに。少女を斬るのは少し苦しい。


 でも、ここに来てしまった以上、仕方ない。


 落胆し、絶望し、失望する。一通りの感情が脳を揺らしたあと、揺らぐことなく自動人形は命令を遂行する。

 大鎌を振りかぶり、疾風のごとく地面を蹴る。捉えた獲物を逃さぬよう、一息に仕留める。


「……ごめん」


 どうしてか、そんな謝罪が口から毀れた、その時だった。


「――――アイス・クラッシュ‼」


 突如現れた何かが、自動人形の歩みを止めた。青く透き通ったそれは……


「氷……?」


 そんなもの、簡単に砕ける。やはり未熟だったのか、なら猶更なおさらここへ来るべきではなかった。


「動かないで……!」

「――?」


 邪魔な氷を砕こうと、腕を振るう直前に、またも少女が叫んだ。


「待って、私はあなたを傷つけたりしない。お願いだから、聞いて?」

「…………」


 一体何だというのだ、傷をつけない? そんな次元の話ではないだろう。彼女は自身を壊しに来たはずだ、そうでなければ一体何をしにここまで……?

 なんにせよ、この少女の命は自身の判断でどちらにでも転がる。最終的には裁くのだ、話を聞いても命令には反しないか。


「…………」

「……よかった。聞いてね、私は、あなたを救いに来たの」

「――――ッ‼」


 結局、またそれか。自身の判断ミスに苛立ち、鎌を振るった。ガシャンと、耳障りな音を立てて、氷が砕け散る。


「……‼ 待って、お願い‼ 私は、あなたの呪いを解いてあげられる!」

「……呪い?」


 三度目だ、振るった刃を止めるのは。今まで、一度もそんなことはしなかった、戯言ざれごとに付き合うようなことはしなかった。しかし、この少女には既に三度も油断を許している。


 なんなんだ、この少女は?


「じっとしててね」


 そう優しく、包み込むような声色で、少女は言った。おもむろに右手を上げ、私の胸の前で止めた。


「「――――罪を認めし者よ、罪に苦しむ者よ、何がなんじを戒めた、何が汝を呪縛に留めた。神よ、愚かなる我が声に応え、今一度力を赦されたし。愛たる呪縛、その鎖をほどけ」」


「「ディスペル・カース」」


 滑らかにつむがれた詠唱、それは歌うように、慈しむように、まるで少女の全てが、それだけで理解できるほどに、透き通った声だった。


「うん、大丈夫。もうあなたは、誰も殺さなくていい。一度、その鎌を私に渡してみて」

「え……」

「大丈夫、安心して」


 ……なぜだか、渡しても大丈夫な気がした。


「……」

「ん、ありがとう」


 ――――あの痛みは、こなかった。


「事後報告になっちゃうけど、ごめんね。あなたの呪いを解くために、私が解呪の呪いをかけた。でも、これで大丈夫。あなたは自由」

「あ……」


 申し訳なさそう口を開いて少女は、少し理解が難しいことを述べた。でも、これだけは聞き逃さなかった。


 自由、だと。


「ほん、とうに?」


 声が震えていた、同時に瞳から何かが頬を伝った。


「うん、大丈夫。もう、大丈夫だよ」


 解放、なのだろうか。もう、殺さなくて済む?


 ふわっと、甘い香りが鼻腔をくすぐった。どこか落ち着くその香りは、凍てついていた自動人形の心を、甘く優しく溶かした。


「お疲れ様」


 細くしなやかな腕が、背中に回される。解こうとなど思えなかった。耳元で囁かれた、小さく深い労いを聞いた途端、瞳からとめどなく何かが溢れた。


 それが何か、理解しようとするより先に、一つの考えが脳裏をよぎった。


 今だけは、創られた存在自動人形で良かったと思えた。こんな、単純で簡潔な思考が許されるのだから。


「……我が主人マスター


「――――いいの? 私で」

「あの人の言った意味、やっと、わかったから」


 救いとは、死ではなかった。


 待つべきは、終わりではなかった。


「……うん、分かった。ひとまず、ここを出よう」


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