39

 女性は体も心もデリケートだ。

 荒々しい行為は、快楽よりも痛みを伴い怖さを感じた。


 店長が別人のように思えた。

 いつもの優しい店長ではない。


 まるで私を征服するように、私の上着を脱がせる。店長が動くたびに、体が重苦しくて声が漏れた。


 店長の息は上がりまるで獣のように感じた。これは恋じゃない。私は恋人じゃない。


「……やめて。やめて! 私、あれになっちゃって……」


 気付いたら、思わず叫んでいた。


 店長は驚き、体の上で私を見下ろした。乱れた呼吸を整えながらも、納得がいかない様子だった。


 私は一時の感情でここに来てしまったことを後悔していた。


「華ちゃん、そうだったんだ。ムリかな」


「……ごめんなさい。そんな気になれなくて。ごめんなさい。ごめんなさい」


 店長は詫びる私に冷静さを取り戻したのか、私の体から離れた。


「ごめん。シャワー浴びておいで。僕も少し悪酔いしたようだ。先日ドタキャンされたし、今日は木葉君と華ちゃんにヤキモチを妬いてしまった。僕もどうかしていた。今夜はしないから」


「ごめんなさい」


 あのまま続けていたら、私はもっと罪を重ねていた。生理なんて嘘だ。万が一、妊娠でもしたらさらに罪を重ねることになる……。


 私はなにをやってるの。

 バカみたい。都合のいい女に成り下がってる。


 シャワールームに飛び込み、洋服を身につけた。シャワールームのドアの外で、店長の声がした。


「華ちゃんが妊娠したら、ちゃんと責任を取るから。妻とは上手くいってないんだよ」


 その時、初めて自分の愚かさを知った。


 以前、奥さんとは別れないと店長は私に言った。子供を愛していると店長は言った。責任を取るなんて、それはこの場限りの嘘だ。


 社長秘書の檀ゆりのように、私は割り切った関係なんて出来ない。


 体だけの関係なんて、私にはやっぱり無理だ。


 憧れるだけでよかったのに。

 心まで欲しくなる。

 相手の全てが欲しくなる。

 でも、それを求めてはいけない。


 結婚も妊娠も妻になることも母になることもできない恋。店長と付き合うということは、そういうことなんだ。


「乱暴にしてごめん。華ちゃんの気持ちが離れてしまったのではないかと、ずっと不安だったから。今夜はどうかしてた」


 何度も詫びる店長が、女々しく感じた。

 ドア越しの会話が全部偽りに聞こえた。

 

「本当にごめん。ドア開けていい?」


 ドアを開けると店長は私を抱き締めて、優しくキスをした。まだ火照る体、優しいキスに心は揺れる。


 私はまた店長と罪を重ねるの?

 このキスが欲しくて……?


「今夜は泊まれる?」


「いえ、店長は帰られた方が……。子供さんがお待ちですよ」


 店長の家庭のことを口にするなんて、私はつくづくバカだよね。


「妻には連絡してある。子供はもう寝てるよ」


「そうですか……」


「僕もシャワー浴びて来るよ。泊まっていこう」


 一人残された私。

 室内にシャワーの水音が響く。


 床に落ちていた店長の上着を拾うと、ポケットから携帯電話が零れ落ちた。


 携帯電話が音を鳴らす。

 画面を見ると『さつき』の文字。


「奥さん……?」


 メールを盗み見たい気持ちにかられた。

 受信メールに手が伸びる。


 ガタンと浴室で音がし、慌てて携帯電話を上着のポケットに戻した。


 ドキドキと鼓動が鳴る。

 さっきまでとは異なる高鳴り……。


 ベッドに潜り込み、店長に背中を向けて寝たふりをした。


「華ちゃん、寝たの? 洋服のまま寝るの?」


 背中越しに、スーツのポケットから携帯電話を取り出す音がした。


 店長がトイレに入る。

 トイレから微かに声がした。


 話の内容は聞こえない。

 でも、メールを見てすぐに折り返し電話をするなんて、本当に冷めきった夫婦関係なのだろうか?


 温もりの残るベッド……。

 でもその温もりが段々冷たくなっていく。


 この関係を断ち切りたいのに自宅に戻らず、ベッドの中で店長を待っている私は罪深い愚かな女だ。

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