17

「猫の手って。店長にはいつも助けられてます」


「華ちゃんは店長がタイプなの?」


「い、いえ。店長は優しいから、感謝しています」


「確かにね。店長は癒し系だからね」


 早苗さんは珈琲を飲みながら、ホテルのロビーに視線を向けた。


「華ちゃん……。凛子ちゃんだ」


「えっ?」


 振り返ると、ロビーには凛子ちゃんの姿。凛子ちゃんの手はスーツ姿の男性の腕に手を回している。


 男性は明らかに年上の男性。その後ろ姿に見覚えがあった。


 まさかね?


 いくらなんでも、アルバイトの女子大生だよ。しかも未成年。


 二人はエレベーターに乗り込む。


「早苗さん……今のは……」


「やっぱりそう思う? 前回見た時も同じ男性だったの。前回は距離が離れていたし、サングラスしていたから、ぼんやりとしかわからなかったけど」


「社長……!?」


 早苗さんは呆れたように溜め息を吐く。


「女に手が早いと聞いていたけど、あそこまで節操がないとはね」


「未成年に手を出すなんて、許せないですね」


 秘書とセフレの関係にありながら、凛子ちゃんまで。本気の恋なら見逃すが、体だけの関係なら許せない。


「凛子ちゃんの方から、腕を組んでいたとなると、社長が強引に関係を迫ってるわけではなさそうね。昨日は知らない顔してたのに、実は深い仲だったなんて」


「信じられない」


「華ちゃん、そう熱くならないの。若い時はセレブな肩書きに弱いからね。熱病みたいに年上の男性に魘されちゃうときもある」


「早苗さん」


「華ちゃん、私の噂も聞いてるんでしょう」


「えっ……」


 私は怖ず怖ずと珈琲カップをテーブルに置いた。珈琲がカップの中で揺れている。


「はい」


 早苗さんは口元を少し緩め、苦い過去を思い出すように、珈琲を見つめた。


「私も十年前に魘されたことがあるんだ」


 あの噂は……本当だったんだ。


「十年前にね、前社長と付き合ってたの。前社長は奥様を亡くされ、二人の息子さんと暮らしていたのよ」


 早苗さんの話では、二十五歳の時に、五十五歳の社長と恋に落ち、本気で結婚したいと思っていたらしい。


 でも息子達に猛反対され、泣く泣く別れたそうだ。前社長は別れる条件として、早苗さんが大成するまでフォローすることを約束し、早苗さんもまた会社に貢献することを誓った。


「父親の恋を破局に追い込んだ社長は、だから早苗さんに逆らえないんですね」


「もう過去の話だけどね。前社長は再婚され、今は幸せに暮らしてらっしゃるわ」


「早苗さん、それって辛くないですか?」


「別れた直後は、意地でも会社を辞めてたまるかと思ったわ。だってそうでしょう。歳が離れているというだけで、間違いを犯したみたいに後ろ指をさされるなんて、恋愛は犯罪じゃないんだから」


 早苗さんの言葉は説得力はあるが、不倫をした私は罪悪感しかない。


 恋は甘いだけじゃない。

 ブラックコーヒーみたいな苦い恋もあるんだ。


 そんな苦い恋も……。

 年月と共に、セピア色に変わるのかな。


 今も元恋人の存在を身近に感じ、一生添い遂げることが出来ない相手を慕い、信頼している。


 私には……。

 出来ないな。


 店長と一夜を過ごしたことで、私は店長の奥様が気になって仕方がない。不倫を続けるつもりはない。あれは酔った上での一夜の過ち。ちゃんとわかってる。


 それなのに珈琲の味が……。

 いつもよりも苦く感じた。

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