【2】苦い恋

10

「君は……」


 社長は一瞬眉をつり上げたが、すぐに秘書に目で合図した。秘書はツンとした眼差しで私を見ると、社長より一足先にエレベーターに乗り込んだ。


 社長は動揺している私の手首を掴み、室内に引きずり込んだ。


 隣室には店長がまだ残っている。社長と店長が鉢合わせすれば、それこそ大変だ。時間を稼ぐしかない。


「奇遇だな。君とホテルで会うとは」


「……おはようございます」


「誰と泊まった?」


「プライベートなことまで、社長にお話する義務はないかと」


「ほう、相変わらず生意気だな。では君が誰と宿泊したかは詮索しないとしよう。今君が見たことを、口外しないと約束するならば、君の無礼も見逃してやる」


 ガチャンと隣室のドアが開き、靴音がした。店長が室内を出たんだ。


 もう少し社長をここに引き留めれば、店長のことを知られずにすむ。


「秘書との関係が知れると、都合が悪いのですか」


「俺と檀は大人の関係だよ。俺達は割り切った付き合いをしている。実は檀の結婚をお膳立てしたのは俺の父親でね」


「……檀さん、結婚してるんですか」


「結婚前から俺達は肉体関係にあった。父はあることで、俺を酷く恨んでいる。秘書との不倫を知れば、社長の座を奪い兼ねない」


「……恨んでいる?」


「彼女は有能な秘書だ。仕事の良きパートナーをこんなことで失いたくはない。君もそうだろう」


「……はい」


「俺と契約を結ばないか? さっき見たことは口外しないと約束するなら、俺も君を解雇しない」


「本当ですか」


「君の相手が誰なのか、不問とすることを約束する」


 私と店長のことも……。

 不問……。


「わかりました。口外は致しません」


「君はなかなか物分かりが早い女だな」


 社長が私の腰を引き寄せた。体が密着し思わず身構えた。


「俺の女になるなら、もっと優遇してやってもいいぞ」


「……お断りします。私はあなたみたいな傲慢な人は嫌いです。無理矢理体を奪われても、好きになんてならないわ」


「試してみるか?」


「離して! そんなことしたら、さっき見たことを前社長に全部話します」


 社長は口角を引き上げて、腰に回していた手をほどいた。


「行けよ。話はそれだけだ」


「失礼します」


 私は部屋を飛び出し、エレベーターに飛び乗った。


 社長が美人秘書と……。

 しかもホテルの隣室で、私と同じように密会を……。


 しかも、しかも、社長と秘書も不倫だ。


 エレベーターの中で、私は後悔していた。


 店長との一夜……。

 夫婦仲が冷めているとはいえ、やはり私は間違っている。


 こんな関係は……。

 もう二度としてはいけない。

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