第百十五討 異界ノ協力者

「ひ、酷い目にあったのじゃ……」


 ぐったりとした顔で橋の欄干を背もたれにしてタマは呟いた。

 何でも聞けと口を滑らしてしまった彼女は、ゲンジョウの問いに延々と答え続ける事となったのだ。矢継ぎ早に繰り出される多方面からの質問、時が惜しいとばかりに急かされながらそれに対応し続ければ当然である。


「お疲れさまです」

「うむ、疲れたのじゃぁ~」


 アカリに頭を撫でられて、神の威厳も何もない顔でタマは鳴く。暫しそうした後、彼女はハッと自身の状態に気付いた。


「にゃっ!?習性が猫になっておる!」


 ビョンと跳ねるように立ち上がり、これ以上ネコになってたまるかと気合を入れる。が、しかし。


「ほれほれー」

「ゴロゴロゴロ……」


 サラに顎裏をこしょこしょされて喉を鳴らした。


「ハッ!?止めんか、この不埒娘がッ」


 バシンと強めに彼女の手を叩き落として、タマはサラから距離を取る。ネコに逃げられた名付け親は、少しだけしょんぼり顔。そんな彼女の頭をヨーコが撫でる。


「ごろごろごろ」

「いや、真似しなくていいから」


 彼女は撫でていた手で、ペンと軽くサラの頭を叩いた。


「ふぅむ。祇郎、大した情報は得られなかったな」

「元より期待はしていない」

「ぬなっ!?貴様っ、そんな感覚であれだけの問いをわらわにっ!?」


 自身の払った労力が全くの無駄、それどころかそもそも必要無かったかもしれない。それを事も無げに言われてタマは愕然とした表情を浮かべる。


「貴女、愉快ねぇ」

日照雨そばえ姐さまぁ……お褒めいただき恐悦至極にごじゃいますぅ……」


 上位の神の言葉を意味そのままに受け取らざるを得ない彼女は、何とも微妙な顔で感謝の言葉を述べた。


「ねぇ、タマ」

「なんじゃ、もうどうにでもしてくれぃ」


 完全に投げやりになったタマはヨーコの呼びかけにいい加減に答える。


「私達、この川の周りのヱレキテル異常を調べに来たんだよ。で、何か知ってる事ないかなぁ?」

「異常、異常か……何かあったかのぅ」


 顎に手を当て、彼女は思案する。


「おお、そうじゃ、一つあるぞ」


 思い当たる点を閃いて、タマは新たに手に入れた耳をピンと立ち上げた。

 猫である。


「お主らはわらわたちを、幻魔、と呼んでおったな」

「うん」

「少々厄介な事になっておる者がる。存在が曖昧になってしまった力ある者じゃ」


 幻魔である自身に関わる事であるために、彼女はさも当然のように話を進めようとする。が、ヨーコ達にはその意味合いがよく分からない。


「待った待った。存在が曖昧って何?」

「む。そうか、人間にはそんな事はあり得ぬのじゃった。困った、どう説明するべきか……」


 問われてタマは腕を組んで唸る、当然を説明しろと言われても難しいのだ。


「まぁ、記憶喪失って事で良いんじゃないかしら」

「流石は日照雨そばえ姐さま!わらわでは思いつかぬ事をサラリと思いつくとは!」

「私、人間社会での生活が長いもの」


 ふふ、と少し得意げにユウコは笑う。

 別にそこまで立派な事でもないだろう、とヨーコは考えたが口に出す事は止めた。藪をつついて蛇を出すような、無意味な事はしないのが吉。触らぬ神に祟りなし、である。


 タマはこほんと小さく咳払いして、自分で脱線させた流れを元に戻す。


「先に姐さまがおっしゃった通り、神とは概念、それに姿を与えるのは人の祈りと認識。……わらわのこの惨めな姿を見れば分かるじゃろ」

「うん、とっても分かりやすい」

「理解が早くて助かるのぅ。泣いて良いか?」

「にゃおーん」

ふんぬ憤怒っ!」


 元凶に報いを。神経を逆なでするような鳴き真似をしたサラに対して、タマは水玉を作り出して彼女の顔面にぶつけた。少しだけ溜飲を下げた彼女は、ほんのちょっと機嫌を直して話を続ける。


「長く祈る者を得られなかった神は自身が何者かも分からなくなるのじゃ。大抵はそのまま無に還り、世界と交わり、再び何者かとして生まれ出ずる。が、元が力ある者であったであろう、あ奴は違った」


 そう言いながらタマは下流に目をやった。


「己の姿を探し、この川を下って上って繰り返してる。此処にそんなものは無いというのに、の。流石に何度も何度も徒労を繰り返す者を目にして居れば、関係の無い相手といえども哀れと思うものじゃ」


 彼女は肩をすくめてフッと笑う。いずれは自身もそうなっていた可能性もあるのだ、憐憫とも違う複雑な思いを抱くのも当然と言えるだろう。


迷ヒ流流まよいながる。なまじ力を持つゆえに世界へと混じる事が出来ぬ者を、わらわはそう呼んでおる」


 タマは腕を組み、言う。


「漂い流れ、迷って消えない。中々洒落てるじゃない。何処かからか帝都に流れてきた私も同じ。そういった意味では、異界に存在する幻魔は皆々が迷ヒ流流なのかもね」

「へぇ~」

「分かってるような分かってないような、口半分開けたおバカ顔ねぇ」


 ユウコはヨーコの頬をツンと突いた。


「ふむ、中々に興味深い話ではないか。龍皇川の各地にヱレキテル異常は発生しているのも迷ヒ流流が移動しているため、と仮定すると一応は納得できる。感謝するぞ、タマ君」

「うむうむ、力になれて何よりじゃ」


 率直に礼を言われて、タマは得意げにうんうんと頷く。


 だが、ヨーコ達は理解している。

 ゲンジョウが何の目的も無く、礼を言うわけがないという事を。


「先に聞いた事も今は使えずともいずれ役に立つ場面もあろう。だが、その時に君がいなければ確認する事は出来ぬ。タマ君、これからも我らに力を貸してもらえないかね?」

「む、それはわらわを頼りにしているという事か?」

「勿論。異界に在ってこうして話が通じ簡単に騙す事が出来神としての力都合の良い力を有し、更には他者を哀れむ慈悲の心を持つ自分を守る知恵を持っていない。そんな存在と邂逅できる事など、これ以降は無いであろうからな」


 透けて見える本心。

 だがしかし、ゲンジョウと初めて会ったタマがそれを認識できるはずもない。


「そうか!そうか!そこまで言うならば力を貸してやらんでもない!やはりお主は物分かりの良い紳士であったか、私の最初の見立ての通りであったようじゃな!なっはっはっは!」


 哀れな犠牲者がまた一人。


 満足いく結果に笑うゲンジョウとタマを除く、他の全員がなんとも微妙な顔で彼らを見る。知らぬが仏。折角いい気分になっているのだからわざわざそれを害するのも気が引ける、そう考えてヨーコ達は閉口した。正確に言うならば、無駄な事をして自分に被害が及ぶ事を回避しただけである。


 触らぬゲンジョウに祟りなし。普段は触らなくても祟られるが、今回はそれを一手に引き受けてくれる存在がいる。ならば全部任せてしまえば良いのだ、祟られている本人もドンと来いと言っているのだから。


 こうして新たな仲間生贄を手に入れて、ヨーコ達は元界へと帰還した。

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