第百十一討 友ノ思ヒ

 雇い主が偽名だったという、そこそこ予想外の事実。驚き叫んだヨーコの声は、無駄に広い研究所の中に響き渡った。


「騒々しい、静かにしたまえヨーコ君」

「いやいやっ、静かに出来ませんよ!え、私に命がけの事させておきながら偽名だったんですか!?」

「博号であると言っておろうが。キミは実に人の話を聞かない娘だな」


 平賀ゲンジョウもとい平賀祇郎しろうは肩をすくめる。


「そも名など何であったとしても良かろう。キミに何か不都合があるかね?」

「いやまあ、それはそうなんですけども……」


 言われてしまえばその通り。ヨーコの人生において、一時の雇い主の名がゲンジョウであろうが祇郎であろうが関係は無い。だがそれはそれとして納得できない部分があるのも当然なのである。


「じゃあこれからも、ゲンジョウはかせ」

「うむ、それでヨシである、サラ君」


 文句を垂れる研究助手実験台と違い、物分かりが良い少女に対して彼は一つ頷いた。アカリとトモヨもそれで納得し、そもそもユウコは特に気にしていない。ただ一人、ヨーコだけが渋い顔をしていた。


「でぇ、今日は何で呼ばれたんですかぁ」

「随分と不満顔であるな、ヨーコ君」

「べっつにぃ~、なーんにも不満は有りませんよーだ」

「あらら、完全にへそを曲げてしまったわね。ほらほら、機嫌を直しなさいな」


 ぷいっとそっぽを向いたヨーコの口に、ユウコが懐から取り出した飴玉を放り込んだ。


「っんごふッ!」


 強烈な薄荷ハッカの刺激が鼻から抜け、彼女はその場で悶絶した。そんなヨーコの事は無視して、ゲンジョウは今回の招集の理由を説明する。


龍皇川りゅうのうがわ。帝都西方の大河川。そこにヱレキテルの異常が生じている。一点ではなく川の上流から下流まで、無数の点が有る様な形だ。このような事は過去に例が無い、それゆえに早急な調査が必要なのだ」


 帝都全域を俯瞰する地図の左端、流るる水の大通り。彼はその北端から南に向かって、すぅっと指でなぞる。直線距離としては帝都の北から南までと同じだが、うねりがある事で沿って歩けば更に長い。


 そんな川のあちこちで異常発生となれば、範囲と数、どちらも今までとは段違いである事が分かるというものだ。


「あの、そうなると私達は何処へ行けばいいんでしょうか。流石に北から南まで歩いて探すのは無理じゃないかな、と思うんですけど」

「アカリ君、良い質問だ。流石に吾輩も鬼ではない、一先ず調査は橋を対象とする」

「橋、っていうと……」


 ゲンジョウの言葉を受けて、トモヨが地図を覗き込む。龍皇川に架かる橋は五つ、馬車すら通れる大きな橋が二つと人だけの比較的小さい橋が三つだ。調査地点は絞られたが、それでも選択肢は片手の指の数もある。


「どれ」

いずれからでも構わぬのだが、分かりやすく北から順繰りに調べるとしよう」


 人専用の橋が描かれた部分を指でトントンと叩く。


「あら、この前お寺に行った時に通った所じゃない」

「この時期にこの辺りの寺と言うと紫陽花あじさい芍薬しゃくやくかね。随分と風流ではないか」

「見に行ったのは紫陽花ね。なんとなんとヨーコからのお誘いよ」

「ほほぅ。昨日の大雨はヨーコ君の仕業であったか」


 風流やら情緒やらから最も遠いであろうヨーコのお誘い奇行。その結果は帝都全域に及び、ざあざあと激しく降る雨を読んでしまったのだ。


「ちょ、変な罪を被せないで下さいよ。むしろそういうのはユウコの領分でしょ」

「あらあら冤罪、酷いわねぇ」

「それを言ったら私の方が酷い濡れ衣を着せられたんだけど」


 くすくすと笑うユウコに対して、ヨーコはげんなり顔で文句を言った。


「はっはっは、仲の良い事だ。祇郎、お前が他人とそうしているのは久々に見たぞ」

「何を言う。俺は洒落を解し、瀟洒しょうしゃに振舞っている。お前がその場にいないだけの話だ」

「ふっ、そういう事にしておいてやろう」


 ツグミチは腕を組み、ニヤリと口元に笑みを浮かべる。その様子を忌々し気にゲンジョウは睨んだ。そんな両者のやり取りを見て、いや、聞いて。


 ヨーコはふと、違和感を覚える。


「ん?なにか、変な気が……あ」


 首を傾げた彼女は先の会話を思い返して、生じた疑問の正体に気付いた。


「俺!俺ですよ!」

「なんだねヨーコ君。自身の一人称を変更するならば勝手にしたまえ」

「そんな事を宣言するわけないですよっ。博士さっき俺って言いましたよね」

「ん?ああ、そうか。ツグミチ、お前と話しているとそうなるか」

「そうだな。まあ長い付き合いが故だろう」

「なるほどなるほど。変な引っ掛かりが消えてスッキリ」


 端的な答えを得て、ヨーコは爽快な顔をする。


「貴女、そんな変な事を気にしていたの」

「え~、でもユウコも気にならなかった?」

「特には。長い友人同士って言うならそういう事もあるでしょ」

「冷めてるなぁ」


 ノリの悪い親友だ。ヨーコは少ししょんぼりした。


「私は気になった」

「サラぁ、我が友~」

「というのは、うそ」

「おのれ」


 仲間だと思って抱き着こうとしたが、優雅にひらりと躱される。


「私は気になりましたっ」

「わ、私も……」

「うう、良い子たちだぁ」


 ようやく真の仲間を見付け、ヨーコは二人を抱きしめた。


「漫才はその辺にしておきたまえ」


 下らない疑問に端を発したやり取り、ゲンジョウは呆れた様子で彼女達を窘める。


「何が潜んでいるか分からん、十分に注意して調査するように」


 彼の言葉を受けて返事をし、ヨーコ達は研究所の奥へと進んでいった。ユウコとトモヨは異界を映す機器の前に座り、異常が無いかを確かめるためにあちら側へと行った友人たちと会話を始める。


 そんな彼女達から少し離れた所で。


「彼女達が、か」

「ああ。ようやく見付けた、異界研究最後の歯車、とでも称するべきか」


 ゲンジョウとツグミチは向き合い、真面目な様子で話をする。


「しかしな、あのように年若い女子を危地に送り込むというのは……」

「仕方なかろう。我々は異界に適応出来ず、も纏装までは不可能だったのだから」

「そうは言うが、民衆を守る軍人としては複雑な思いだぞ?」

「輝かしき未来の為ならば、必要な犠牲というものだ」


 不用意なその一言で、陸軍軍人の彼の目が据わった。


「正気か、貴様。彼女達の命を踏み台にするつもりか。もしそうなのであれば……」


 ツグミチの左手が、片マントで隠れた瑞穂刀の鯉口を切る。たとえ旧知の間柄と言えど、それは軍人の務めを凌駕するものではない。いたずらに前途有望な乙女たちを散華させるつもりならば、斬って捨てるのが彼の仕事なのだ。


「言葉を誤ったな、すまない」


 ゲンジョウは普段の尊大な態度で返さず、素直に謝罪して軽く頭を下げる。それを見て彼の友は、一つ溜息を吐いて抜かれようとした白刃を仕舞った。


「彼女達にはこれからも異界調査を進めてもらわねばならん、いたずらに犠牲になどさせるつもりはない」


 博士たる彼は、こちら元界あちら異界を繋いで無邪気に会話する少女たちを見る。普段とはまるで違う、少女たちを気遣う年齢相応の大人としての目だ。


 ふと視線を感じて振り返ったユウコと目が合う。彼女はフッと微笑んだ。


「俺の心配は杞憂であったようだな」

「お前に心配される程には落ちぶれてはいない」


 自身よりも遥かに年長である少女にゲンジョウは、なんのかんのと言いながらも内心でヨーコ達を心配しているという内心を見透かされた。それを見てツグミチは、友人が外道に落ちていない事を確信する。


 二人はお互いを見てフッと笑う。


「ヨーコ君、サラ君、アカリ君。そちらの様子はどうかね?」


 ゲンジョウはいつもの調子に戻って、少女たちへと歩み寄った。

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