第百九討 恋ニ呆ケル

 翌週月曜。

 日が昇って間もない時刻。


 タクミとショウヘイは揃って校門にいた。


「おう。茅場、葦屋、随分早いな」


 身の丈百九十センチを超える大猩々ゴリラのような教師が二人に声を掛ける。彼は剣術道着に袴、腰には木刀をいてまるで武士のようだ。タクミが所属する剣術部の顧問である。


「おはよーござまーふあぁ……」

「なんだなんだ、随分と眠そうだな。休みだからといって夜更かしは感心せんな」

「ちがうっすよ、あいつのせいです。あそこで呆けてるボケボケ野郎の」


 ショウヘイは指をさす。

 そこには虚ろな目で虚空を見つめ、口をだらしなく開けたまま歩行するタクミの姿があった。キネマに登場する亡者を模しているかのようなその姿は、普段の熱血な彼とはまるで違う。


「……茅場はどうしたんだ?変な物でも食べたか、それとも頭でも打ったか?」

「あー。土曜に河原で決闘の助っ人には入ったんすけど、頭は殴られてはいなかったはずなんすけどねー。その後からあの調子で昨日も一日寝っ転がったまま動かず、なのに今日はバカみたいに早起きしやがって……」


 もう一度、ショウヘイは大欠伸した。あれやこれやと文句を言いつつも様子のおかしい友人を放っておかないあたり、彼もまた人の良い男である。


「まあいい。葦屋、茅場の事は任せるぞ」

「丸投げっすかぁ?はぁ、分かりましたよ……」


 大きなため息を吐きつつ彼は、心ここに在らずのまま学園創立者の胸像に頭突きしたタクミの下へと駆けていった。


 午前の授業中。


「では、この設問を……」


 黒板に白墨チョークで書かれた数学の問いを背にして、壇上の教師が教室内を見回す。獲物を見定める鋭い眼から逃れようと、ある者は板書ばんしょに勤しむ素振りを見せ、またある者はそっと目を逸らした。


 そんな中で一人、全く違う姿勢を示す者に教師は狙いを定める。


「茅場、前に出て答えろ」


 ピッと教師は白墨を指し棒にしてタクミを指名した。

 が、彼は何の反応も示さず、口を開けて虚空を見ているだけだ。


「ちょ、おい、タクミっ。指されてんぞ、おいっ」


 後ろの席のショウヘイが小声で気付かせようとする。しかしそれを受けても、タクミは全く動こうとしない。


「茅場、おい茅場!さっさと前に出て来んか!」


 元より気難しい数学教師。その指示を無視するタクミの様子は、確実に彼の神経を逆なでしている状態だ。他の生徒たちはとばっちりを恐れて下手に前を向けず、机の上に広げた雑記帳ノートに黒い鉛を走らせる真似をするだけである。


 教師の顔つきが険しくなる。生徒たちは祈る、さっさと行け、と。


「ふん、もう良い」


 いつまで経っても指示に従わないタクミに、遂に教師の側が折れた。緊張が緩和され、張り詰めていた教室内の空気が柔らぐ。生徒たちはホッと胸をなでおろした。


「代わりに葦屋、前へ出ろ」

「うぇぇっ!?なんで俺ぇ!?」


 まさかの御指名にショウヘイは声を上げる。

 反応してしまった以上、タクミの様に無視を貫く事は出来ない。そもそもそんな恐ろしい真似、まともな状態で出来るわけもない。納得できない事は多々あれど、不承不承に彼は席を立つ。


「タクミ、覚えてろよ……」


 立ち上がるその瞬間。未だ呆けている友に、ショウヘイは呪詛を吐いた。


 放課後。


ズッダァン!

「うぐおっぅ!」


 凄まじい衝撃音と、痛みに連動して発された苦悶の声が武道場に響く。


バッシィンッ!

「づっぁいだっ!」


 今度は竹と竹が激突する音と、少し遅れて痛みを噛みしめる苦痛の声がした。


 学園敷地内に複数ある武道場の一つでは毎日、剣術部の活動が行われている。部員たちは日々精神と肉体を鍛え、己の強さを磨いているのだ。そんな部活動に所属するタクミ。彼もまたその例に漏れず、常日頃から鍛錬を怠らない。


 筈なのだが。


「るぅああぁっ!」

カッ

「あ」

パシッ

ズドォンッ!

「ぷぎゃぺっ!」


 剣術道着と袴姿の男子生徒が全力で竹刀を振るうも、軽々と刃を搦めて払われる。続いて放たれた脳天を襲う一撃によって、彼は縦に圧縮された。


「次、お、お願いしますっ!」


 既に二人が板張りの床に倒れ伏し、他に一人が両腕を擦っている状態。幸いにして立っていられた者は代わりに竹刀が犠牲となり、剣だったそれが複数の竹板へと還ってしまっている。一撃を受け止めた時に纏めていた糸が爆ぜ飛んだのだ。


ダガァンッ!

「ごろばっ!」


 四人目もあえなく倒れる。胴を薙ぐ一閃は彼の身体をの字に曲げさせ、僅かではあるが威力によって浮遊させた。五人目と六人目も同じ運命を辿り、武道場の中はまさに惨劇の舞台となってしまった。


「ありがとうございました!」


 本日の部活動が終了する。

 部員たちは防具や竹刀を片付け、鍛錬の場から外へと歩いていく。


「ぐうぅ、まだ頭いてぇ……」

「お前、身長ちょっと縮んだんじゃないか?」

「胴に一撃貰った時、吐くかと思ったぜ……」

「というか君、少し浮いてなかった?」

「竹刀ってあんなふうに壊れるんだなぁ、初めて見た」

「他人事だと思いやがって、こちとら死ぬかと思ったんだぞ」


 彼らは口々に、先程までの凄まじい試合について話をする。というのも普段の部活動ではここまで猛烈な試合は行わない。今日が特別だったのか、というとそうではなかった。


「タクミの奴、隙だらけに見えて滅茶苦茶強かったな」

「完全に自然体で、達人の域って感じだったわ、アレ」

「くぅ、手ひどく負けるとは……。これじゃあ先輩としての威厳が……」

「大丈夫ですよ、センパイ。そんなもん元から無いですから」

「え」


 わはは、と彼らは笑って去っていった。


「……」


 部の仲間たちがいなくなった武道場の中で、防具を付けたまま佇む者が一人。


 タクミである。


「お、部活終わったのか。帰ろうぜ~」


 ショウヘイが入口から彼へと声を掛けた。

 しかし様子がおかしいタクミは、やはり反応しない。二日以上そんな状態である彼を見てきたショウヘイは、いい加減いやになって武道場へと足を踏み入れた。手近にあった竹刀を持ち、そしてそれを振りかぶる。


「いい加減に……正気に戻れっ!」

ぱこぉんっ

「ぁだっ!?」


 素晴らしく良い音が武道場に響く。

 片手持ちでの雑な振り下ろしだったが、何の防御もしなかったタクミには痛打となった。一撃を食らった頭を押さえて、彼はその場にうずくまる。


「何するんだ!」

「お前がボーッと突っ立ってるからだ」


 ポイっと役目を終えた竹刀を放り、ショウヘイは肩をすくめた。


「で、なにがあった」

「い、いや……なにも」

「んなワケあるか、一年同室をなめんな。おら、吐け」

「く……っ」


 ようやく防具を外し始めたタクミに詰め寄る。呆けまくりの彼に迷惑を掛けられたショウヘイは、もう色々と面倒臭くなっていたのだ。


 やっと防具を片付け終えたタクミ。少し高く作られている武道場の入口前に置かれた、階段代わりの長方形の石にショウヘイと並んで腰掛ける。


「……」

「さっさと言え、このやろう」

「そ、その……」


 もごもごとはっきりしない。普段の竹を割ったような性格は何処へやら、だ。


「お前が口ごもるなんて、明日は槍でも降りそうだな」

「茶化すな!」

「だったら、とっとと白状しろ」

「わ、分かった。だけど、絶対に笑うなよ」

「おう、俺を信頼しろ。我が友よ」


 タクミは彼を信頼した。

 ショウヘイは笑う準備を万端にした。


「その……河原で決闘しただろ?」

「おう。その後からだよな、お前がボケになったの」

「ボケ……くっ、否定が出来ない……」


 少し悔しそうにタクミは唇を尖らす。


「橋を渡ってる時、出会ったんだ」

「何に」

「その、ええと……天女に」

「おい、頭大丈夫か?やっぱり決闘で頭殴られてて、打ち所が悪かったのか。よし、俺がもう一度殴って正気に戻してやろう」

「俺は正常だ!」

「正常な奴がそんな世迷言を吐くかよ」


 正論で返され、タクミは閉口した。


「はい、より詳しい説明をしなさい、タクミ君」

「……橋の途中ですれ違ったんだ。あの制服は多分、夕月女学院の生徒だと思う」

「夕月の制服……ああ、俺も覚えてるぞ、三人組だよな。めっっっちゃ可愛いコがいたからな」


 ピクリとタクミの眉が動き、その目が鋭くなる。瞳の奥でほんの少し、親友への敵意が顔を覗かせた。一年間同じ部屋で過ごしてきたショウヘイは、それを敏感に察知する。


「待て待て、俺が言ってるコとお前の天女様が同じだと決まったわけじゃないだろが」

「そ、それもそうか」

「で、で、どのコだ?んん~?」

「お前、面白がってないか?」

「そんなこたぁ無ぇよ」


 彼は最高に今を楽しんでいた。


「俺が目に付いた可愛いコってのは透き通った青髪のコだ。今まで見た事ない位に可愛かったな~、舶来の人形みたいだったぜ。あんなお嬢様、是非ともお近づきになりたいもんだ」

「……ほっ」


 ショウヘイの目的とする人物が己が思いを寄せる相手じゃないと確定して、タクミは安堵のため息を吐いた。


「その様子だと他二人のどっちか、か。顔が思い出せねぇけど、黒髪のコか?耳かくし、っうんだっけか、あの流行りの髪形」

「いや、違う」


 タクミは首を横に振る。


「なるほど。じゃ、赤髪で背の高いコか」

「う……」

「赤くなるな、この程度で。しかしまあ、意外の中の意外だな、お前」

「何がだよ」

「身長を気にしてるだろタクミは。お前より十センチは高かったと思うぞ、あのコ。高身長で偉丈夫な兄貴に憧れてる事もあるし、自分よりも背丈が上の相手に恋するとは思わなかったんだよ、マジで」

「こ、こ、こっ、恋とか……そ、そんなんじゃ」

「その反応を恋と言わなかったら、ただの不審者だっての」


 自分の感情を押し殺そうとしながらも全開で漏れ出しまくっているタクミ。彼のそんな様子にショウヘイは呆れて小さく笑いを零す。


「さて、んじゃどうする」

「……どうする、って何がだ?」

「おい。恋して想って、はい終わり、ってするつもりかお前。探すんだろ、愛しの彼女を」

「い、愛しとか……」

「あー、あー、そういうの良いから。で、そのコの名前とか分かるのか?」

「ええと……あのその……」


 もごもご、もごもご。

 ショウヘイはいい加減、少し面倒臭くなってきた。


「言え」

「その……えと……よ、ヨーコさん」


 名前を口に出した瞬間、まるで火にくべられた石炭の様にタクミの顔が紅潮した。ぽっぽ、ぽっぽ、と機関車の様に頭から湯気でも発していそうな熱量だ。


「よし。んじゃ、始めようか」


 ショウヘイは立ち上がって数歩進み、くるりと振り返ってニヤリと笑った。


「愛しのヨーコさん捜索大作戦、開始だ!!!」

「止めろ、声がデカい!!!!!」

「お前の方がデカいっつの」


 思わず春を迎えた少年の戦いが、こうして始まったのだった。

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