第百八討 出逢イハ或ル日突然ニ
ヨーコ達は三人連れ立って一路、帝都を西へと向かっていた。なお、アカリとトモヨは他の友人と街へ繰り出しており、今回は別行動である。
「綺麗に咲いてるかなぁ?」
「紫陽花、楽しみしみ」
「はいはい、楽しみなのは分かったから腕を振らない」
本日は快晴、良い天気。六月に紫陽花を見るならば、しとしと降る雨の中で傘さして。だが青空を背景として、葉の緑と花の色を楽しむのもまた一つの楽しみ方である。
「川向うまで電車で行ければ良いのにね~」
「ね~」
「そうねぇ」
ヨーコ達は陸上を走る電車に乗って帝都の西まで来た。出来るならばそのまま川を渡って目的地に着きたいが、それは叶わぬ願いだ。技術的に困難であるため、電車は川を超えられないのである。
だから彼女達は最寄りの駅で降りて歩いているのだ。
「紫陽花寺はたしか……北の橋が近かったよね?」
「ええ。馬車道の無い朱塗り橋ね」
「歩行者せんよ~」
帝都西の河川に掛かる主だった橋は五つ。そのうち二つは馬車が通れる幅広の橋、残り三つは歩行者専用となっている。ヨーコ達が向かっているのは後者、その内でも最北にあるもの。帝都の北部に広がる上町から川を越えるならば、この橋が一番便利なのだ。
だからこそ上町に住む人々はその橋に集中する。ぞろぞろぞろぞろと人が波のように流れ、それに逆らう動きをするのは不可能に近い。西へ向かう者は北側を歩き、東へ向かう者は南側を進む。誰からともなく自然に交通規則が出来上がっている。
「この人たち全員が同じ目的地、って事は無いよね……?」
「もしそうだったら、お寺でぎゅーぎゅー」
「そんな訳無いでしょ。もしそうだったら帝都人は誰も彼もが風流人よ」
杞憂を口に出すヨーコ。ユウコがやれやれと呆れた顔で心配を晴らした。彼女が不安がるのは楽しみの裏返し。折角ならゆったりと紫陽花鑑賞したいというのは当然の気持ちである。
「そういえば貴女、紫陽花寺の話は誰から聞いたのよ?」
「古本屋のおねえさん」
ヨーコの代わりにサラが答えた。
以前ヨーコとユウコはゲンジョウからのお使いで本を受け取りに行った事がある、ちょうどサラと出会ったその日の話だ。ソバージュと丸眼鏡が特徴的な女性がその店の主、そして今回の情報源である。
「そうそう。今朝、学校へ向かう途中で会って教えてもらったんだ~」
「ああ、なるほど。言われてみれば貴女たちは一緒に通学してたわね」
ヨーコとサラの住まいは隣同士。余程の事が無い限りは毎朝揃って学院へと向かっているのである。なお、毎回毎回ヨーコがサラを起こして支度させ、眠い目を擦る彼女を引っ張って歩かせていたりする。そんな事をしながら商店街を抜けて学院へと向かう最中で、店先を掃除していた古書店店主に出会ったのだ。
「花はすぐ色が変わったり枯れちゃったりするから、行ける時に行くべきなんだよ!」
「と、教えられたわけね」
「バレた!」
完全に見透かされて、あはは、とヨーコは笑った。
「がーっ、腕が上がらねぇ……」
「鍛え方が足りないな、ショウヘイ。そんなんじゃ立派な男になれないぞ!」
「そんなモンになる気はねぇよ……。あぁクソ、殴られた所よりも痛ェ」
拳を握って力強く意気を吐くタクミとは対照的に、ショウヘイはげんなりとした顔で腕を擦っている。なおタクミ達を決闘に引き摺り込んだ仕方のない友人たちは、足腰立たなくなった状態で河原に置き去りにした。罪に対しては相応しい罰を、である。
砂利が敷かれた土手道を歩く二人。元の予定通り、彼らは上町は
二人は橋へと至り、東へ向かって渡り始める。
「可愛らしい女給さんのいる喫茶店で癒されてぇ……」
「軟派な!お前まで!」
「若者なら当然の願いだろ!こんの堅物がぁ!」
融通が利かないどころか、タクミはあまりにも面白みのない奴だ。これはショウヘイからの評価だけでなく、彼の友人たちの総意であった。決して取っつきにくい男ではないのだから、もう少し遊びを持ってくれたならば。彼の人の好さを、硬派であろうとする気質が潰しているのである。
「ったく、お前も恋でもすりゃ変わるだろうに……」
「バカを言うな、そんな事はあり得ない」
「あり得んって
「いいや、絶対にない!愛だの恋だのに
ドンと自分の胸を拳で叩く。
タクミは立派な瑞穂の男子、護国護人の壮士を目指す者なのだ。
過剰な程に強さを求めるのは兄の影響、であると同時に彼の外見による所がある。タクミは低身長、百六十糎に満たない。兄が三人に姉が二人、全員背が高いというのに末っ子の彼だけが低いのだ。
だからこそ、せめて心は大きくあろうとしているのである。
「まったく。クソ真面目だなぁ、お前。もし惚れた腫れただのしたら、盛大に揶揄って笑ってやる」
「ふん。そんな未来はあり得んから、笑われる心配は無しだな!」
はっはっは、とタクミは笑った。
東から西へと乙女が歩き。
西から東へと壮士が進む。
そして両者は、朱塗りの橋の真ん中で交差した。
風が吹く。
自らの芯に雷電が走った。
世界が真白に染まり、その中でただ一人に色が付いている。
目はその人を追い、身体は歩む事を止めてその場に立ち尽くす。
それまで色々な事を考えていたはず。
だがしかし、今は何も考えられない。
ただただ、その人を見続ける事しか、出来なかった。
「まったく、ヨーコは相変わらずねぇ」
「うんうん、ヨーコは相変わらず」
「なんだか馬鹿にされてる気がするっ」
ヨーコ達は笑いながら歩んでいく。
そんな彼女達の後姿を、一人の男子が見続けていた。
「さぁて、何処の店に行くかねぇ。やっぱりあの店のミヨちゃんか、いやいやあっちのキョウカさんか。それとも路地裏のトコのユ―――ん?」
隣を歩いていたはずの友人の姿が消えている事にショウヘイが気付く。振り返ると、そこには流れる人々の中で棒立ちしているタクミがいた。
「おい、タクミ。天下の往来で立ち止まるなよ、邪魔になってるだろ」
何故か振り返って、西を向いている彼。ショウヘイは怪訝な顔をしてタクミの肩に手を掛けてグッと引くが、体が硬直しているのかビクともしない。何事だと彼は回り込み、友人の正面に立った。
「…………」
どこか遠くを見たまま呆けた顔がそこにあった。忘我という感じだろうか。何にせよ、心ここに在らず、魂が抜けているような顔だった。
「おい?」
いつも気合いで満ちている友人の、見た事の無い姿。流石に心配となったショウヘイは恐る恐るタクミに声を掛ける。が、やはり何の反応も無い。
「お、お~い……?」
ショウヘイは困惑しつつ、タクミの顔の前で手を振る。普段の彼ならば「鬱陶しいな、止めろ」とでも言ってくるはず。だというのに、ピクリとも動かない。それどころか瞬きもしていない。
周囲の人から迷惑そうな顔をされている事に気付いたショウヘイは焦り、半ば無理矢理に彼を引き摺って行く。自分の足で歩いていると言えない状態で、タクミは唯一の思考に従って口を動かす。
「…………………………ヨーコ、さん」
彼は誰にも聞こえない程の小さな、か細い声で。
齢十六。
初めての感情を抱いた相手の名を呼んだのだった。
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