第三章 終幕

誇リヲ持ツテ

 走り続ける汽車。

 その内部と外部で、人々はそれを止めようと奮闘を続けていた。


「ぬぅっ!」


 灯六辺総帥は全力の体当たりで扉を打ち破ろうとするが、優秀な設計によって作られた客車は壊れない。正気に戻った労働者と代わる代わる攻撃するが、機関車へと繋がるそれは一向に開く気配がない。


「む、あと一発か」


 扉のノブを固定する形で巻きつけられた鎖に向けて銃撃を放つ五洋総帥。順調に破損させられているが、そもそも使っているのは仕込み銃。弾倉は超小型であり、当然その中に入っている弾丸も少ない。


 最後の一発。しっかりと狙いを定め、彼は鎖の弱点を撃つ。


「……よし」


 放たれた弾丸は正確に鎖を捉え、その繋がりを崩壊させる。ジャラジャラと音を立て、それは車体の下へと落ちていった。それを見て五洋総帥は一つ頷いた。


「こちらも遅れは取れぬな」


 もう一人の総帥は右肩をグルグルと回す。拳を強く握り、全力全開の力を込めた。そして、それを扉上部の硝子が嵌められた丸窓に叩きつける。剛腕の一撃に硝子はガシャンと音を立てて砕け散った。


「押してダメならば……」


 打ち抜いて二の腕まで窓に入った状態で腕を曲げ、手を広げて扉の反対側にバンと突く。腕に硝子が刺さる事も厭わず、彼はその状態で腕力と体重をもって扉を引く。


ミシ……ミシ……


 扉を留める蝶番と、開閉を阻害している鍵が悲鳴を上げ始める。木の車体に割れが生じ、メリメリとそれが広がっていく。


 そして。


バギィッ!

「「「「「エエエええぇぇぇっ!?」」」」」


 無事に扉は開いた、もう二度と閉じる事は出来ないが。あまりの荒業に、労働者たちは揃って驚きの声を上げた。齢六十に近付こうとしている人物の行いとしては、なんとも無茶が過ぎる芸当である。


 丸窓から腕を引き抜き、彼は扉を床へとそっと置いた。


「すっご……ん?」


 走るシリユウの上からその様子を見ていたチグサ。競馬騎手としての勘だろうか、それともただ単に癖だろうか。なんにせよ、彼女は目の端に映った違和感に気付いた。


 汽車が走る線路の先。


 そこに人が立っているという事に。


「ちょぉぉぉっ!?人!人がいる!!」

「なにっ!?」


 彼女の叫びに、五洋総帥が声を上げて馬車から身を乗り出して先を見る。近くは無い、だが遠くも無い。あと数分で到達してしまう場所に人影があった。


「灯六辺さん!彼女の言う通りだ、進む先に人がいる!」

「なんだと!?」


 彼からの声に灯六辺総帥は驚く。そして、一刻も早く汽車を停めなくてはならないという事を理解した。客車から機関車へ、その連結部へと彼は進む。


「ぬっ」


 機関車へと入る扉、そこもまた破壊した扉と同じく頑強に施錠されていた。客車とは異なり、機関車は全面鋼鉄製。先程と同じように扉を破壊する事は不可能だ。


「おい、君たち!汽車を停めるんだ!」


 ガンガンと鋼鉄の扉を叩くも、内部の者は客車にいた労働者と同じく反応しない。外からも口々に声を掛けるが、どの言葉も彼らには届かない。


 そんな中、最初に正気に戻った女性が一歩進み出た。


「すぅ……っ」


 彼女は大きく息を吸い、そして。


「発射前ッ、安全確認ッ!始メェッ!」


 汽笛の音を弾き返すかのように張りのある一声。それが機関車に居る者達へと投げかけられる。


「はっ!?後方確認、安全ヨシッ!」


 操作機器の前に立ち、運転を担う機関士の隣。窓から半身を出していた女性機関助手が、声に弾かれたように体に染みついた日常の動作を開始する。


「前方確認……ッ!前方線路内、侵入アリ!緊急停止ッ、緊急停止ィッ!!!」

「はっ!?緊急停止了解!!!」


 彼女の叫びに今度は機関士が弾かれるように正気に戻り、大急ぎで非常用ブレーキを掛ける。車輪の動きが抑制され、凄まじい音と共にその速度が低下していく。


 しかし走っているのは超重量の鉄塊。停まれと操作したからといって、即時で停止するような代物ではない。線路上に立つ者へと慣性のままに進んでいく。


 だがその人物は、自身へと迫りくる巨大な物体から一切逃げようとしない。それどころか、汽車を停めようとするかのように右腕を大きく横へ広げていた。


ギギギィィィッッッ!!!


 全力で掛けられるブレーキ、なおも進む車体。逃げろと叫ぶ者達、汽車を睨みつけたまま動かない男。


キキィィィ……!


 遂に汽車はその動きを止めた。


 線路に立つ男の、わずか三メートル手前で。


 機関車を運転していた機関士が、機関助手の女性を押しのけて飛び降りる。彼はその人物へと駆け寄った。


「な、何をしているんですか、工場長!なんて危険な真似を……!」


 そこに居たのは、帝都中央病院に入院しているはずの者だった。左腕を石膏ギプスで固められ、本来ならば満身創痍の重傷者である。


「何を、している、だって……?」


 掛けられた言葉に対して、彼はわなわなと身体を震わせる。そして。


「それはこちらの台詞だッ!!!」

「うっ!?」


 工場長は労働者の胸倉を掴み、彼に顔を寄せて怒鳴りつけた。普段は決して怒らず、誰に対しても物腰が低くて柔和な人物。そんな彼の顔には今、明確な怒りの感情が現れていた。


「何を、何をしているんだ、君たちはッ!これは、この汽車は……ッ!僕たちの、鉄道に関わる全ての者の夢!瑞穂と世界を繋ぐ夢の結晶だ!違うかッ!」


 怒声、だがその内には悲しさを孕んでいる。


 皆で語り合い、数多の苦難を乗り越え、ようやく形になった特別車輌。それを自身の主張の為の『ただの道具』として使った事が悲しいのだ。


 彼の訴えに、胸倉を掴まれている男性は閉口して俯く事しか出来なかった。


「五洋総帥、灯六辺総帥」


 汽車から飛び降りて駆け寄ってきた灯六辺総帥と、側らに停めた馬車から降りた五洋総帥。両者の前に進み出た工場長は深々と頭を下げた。


「この度は大変申し訳ありませんでした。私が怪我を負い、彼らを統制できなかった事が原因です。今回の処分はどうか私に、彼らにはどうか寛大な処置を願います」

「こ、工場長!?ち、違います、我々の責任です!工場長は何一つ、今回の件には一切関わりがありません!どうか、我々に処罰を!」


 労働者のリーダーであった男性は彼の言った事を否定し、こちらも同じく頭を下げる。


「ふぅむ……」

「さぁて……」


 両総帥は互いを一瞥した。


「君たちは何を言っているのかね?汽車の試験運転をしただけではないか」

「はっ?」


 灯六辺総帥はそう言って、わざとらしく肩をすくめる。その言葉の意味が分からず、労働者の男性は素っ頓狂な声を上げた。


「い、いやしかし、我々は工場の機械をも破壊しました。許される事では……」

「ちょうど更新の予定があった所、調査のために設備を分解したに過ぎん。手荒にしてもかまわんと我々が指示を出したのだ。私の記憶違い、という事はありませんな、灯六辺さん?」

「ええ、そのように記憶しておりますぞ」


 五洋総帥もわざとらしく同意を求め、さも当然のようにもう一人の総帥が頷く。


「し、しかし、灯六辺総帥は、その、お怪我を……」

「ん?ああこれか。扉に嵌められた硝子の耐久調査をしただけだ。私の腕で破壊できてしまった以上は再設計が必要だな」


 右腕から滴る血に構う事無く、彼は平然と言い放った。


 あれも無罪、これも問題無し。今日起きた全ての事柄を、二人の総帥は無かった事にして収めようとしているのだ。


 全ては。


「さあ、さっさと交渉のテーブルへ戻ろう。祝勝会の時間が無くなってしまう」


 労使双方の勝利のために。


 灯六辺総帥の言葉を受けて、遂に工場長が噴き出した。


「ふっ、ははは。そうですね、今日は皆で打ち上げをする日だ。さあ君たち、試験運転した汽車を元の場所へ戻して宴会へ行こうじゃないか」

「君は怪我人、酒を飲ませるわけにはいかぬな」

「えぇ~。五洋総帥、そんなご無体な」


 ははは、と彼らは笑う。


「あー、総帥がた。我々も忘れてもらっては困りますぞ。相当な数の者に動いてもらったわけですし」

「勿論、忘れてなどおらぬよ。関係者全員連れてきたまえ、今日は要宿かなめじゅくビヤホールビアホールで大宴会だ!」

「会計係が卒倒するのは確実、高級な胃薬を差し入れておくとしよう」


 灯六辺総帥はガハハと豪快に笑い、五洋総帥は金庫番たちを哀れんだ。


 帝都の一角で起きた大騒動は、こうして円満に幕引きとなったのだった。






 後日。


 天から降り注ぐ月明かりによって影が出来、その暗さをより増した帝都某所。滅多に人の入らぬ路地裏の倉庫一階にて。


「くそっ!」


 紫背広スーツの男は拳でダンッと机を強く叩いた。自身の計画が頓挫したこと、その怒りを込めて。


「いや、まだだ……」


 わなわなと身体を震わせつつも、彼はニヤリと笑う。


「我々にはまだ次がある。資金も、人員も、まだまだ余裕がある……!」


 そう言いつつ、男は周囲を見た。

 彼の他にその場には二名。一人はツナギを着た作業員、もう一人はボロを着た浮浪者だ。全く違う風貌でありながら、彼らは同じ目的をもって集まっている。


 蝋燭の灯りに照らされるのは壁際に置かれた爆薬、そして大量の圓札えんさつ。男の言うように、彼らには十二分な物資と資金がある様子だ。


 労働運動の暴走による騒擾そうじょう、それが紫背広スーツの男たちの目的であった。


 再度の計画を練らなければならない、次こそは成功を。


 そんな事を男達が考えていた頃、外では。


茅場かやば大尉どの、包囲完了しました」


 椎津警部補は綺麗な敬礼を、身の丈百九十センチの偉丈夫へと送った。


「感謝する」


 短く言って、短い黒髪の男性は一つ頷く。猛禽類の様に鋭い目を持つ彼は、その茶の瞳で官憲によって完全包囲された建物の入口扉を見た。


 彼の服装は官憲とは全く違う。茶の二ツ釦ダブルブレスト軍服に同色のズボン、足下は黒の軍用ブーツだ。左半身を隠すように濃い茶色の片側マント、その下からは左腰に佩いた刀が顔を出している。


「では、行こうか」


 足音を立てぬように扉の前へと至る。彼の後ろには椎津含め、五人の官憲が続いていた。


「ふっ!」

バァンッ!


 騒乱を企てる者に礼儀など無用。

 茅場と呼ばれた男は右の前蹴り一発で扉を打ち破った。


「な、何だっ!?」


 突然の音、そして雪崩れ込んできた官憲。紫背広の男と彼の仲間は対応が出来ずに混乱するだけだ。


「官憲、それに陸軍軍人だと!?」

「先の鉄道労働争議において、騒擾を企てたのは貴様らだな?」

「な、何のことやら。我々は……」


 茅場は聞くが、それは質問ではない。ただの確認だ。


「調べは付いている!貴様らは完全に包囲されている、大人しく投降しろ!」


 椎津警部補は鋭く言い放つ。


「くっ」


 紫背広の男はそれに気圧され、ジリッと後退りした。


「ぐぐぐ……くそぉッ!」

パァンッ!


 仄暗い室内に響く発砲音。男は懐から拳銃を抜き、引き金を引いたのだ。


 いや、引こうとしたのだ。


「う、ぐ……っ」


 右肩から出血した紫背広の男は、その手にある拳銃を落とす。


 彼の銃撃よりも早く、目標を撃ち抜いた者がその場にいたのだ。


「陸軍人に銃の早撃ちで勝負しようとは、随分な自信だな」


 茅場だ。


 右腰のホルスターから瞬く間に自動式拳銃を抜いて、正確に男の肩を射撃したのである。彼は紫背広が落とした拳銃を足で払い飛ばし、その銃口を男へと向ける。


「大人しく縛に就け」

「ぐ……っ、おのれ……っ」


 男が何かをしようとした瞬間、その腹を茅場が思い切り蹴りつけた。その場に蹲った男は官憲によって確保され、男の仲間もまた同じ運命を辿った。


「情報提供、ご協力感謝いたします。茅場大尉どの」

「いや、第三者から得た情報を教えただけだよ、私は」


 男達が連行される中、茅場と椎津は軽く言葉を躱した。


「それでは、私はこれで失礼します」

「ああ、連中の事は頼んだ。椎津警部補」


 現場を保存する要員を残し、椎津は部下と共にその場を後にする。彼女達を見送り、茅場は夜空に輝く月を仰ぎ見た。


「さぁて、情報提供者に謝礼を用意するとするか」


 先程までの威厳溢れる陸軍大尉ではなく、表情を緩めた三十過ぎの男は言う。彼が思い浮かべるのは、貴重な情報を自身にもたらした少女たちの姿だ。


「ああ、そうだ」


 そしてもう一人。十数年来の腐れ縁を茅場は思い出す。


祇郎しろうにも何か差し入れしてやるか……」


 頭を掻きながらそう言って、彼は夜道を歩いていった。

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