第百五討 人々ノ為ニ

バォン、ブォン、ブロロロロ……ッ!


 尾の様な後方の排気管から、汽車の角のように黒煙を噴き出し突き進む。それは革靴の様な形であり、前方後方にそれぞれ一組の車輪を持っている。汽車よりもずっと速く回る輪は護謨ゴムに覆われ、軌条レールの無い地面を何の問題も無く走っていく。


 馬車の席に座る御者の如く、操る者は椅子に掛けている。靴ならばちょうど足を入れる場所、そこに横に並んだ二つの座席があるのだ。


 靴紐に当たる部分には立ち並ぶ六基の円管シリンダー。蒸気をもって動く汽車のそれと同じく、忙しない動きで上下に往復ピストン運動を繰り返している。それによって生み出された動力が車軸に伝わり、車輪を回しているのだ。


「はっはっは!動作良好、実に良い試験運転である!この平賀幻尉ゲンジョウが作りしは自動給炭きゅうたん式小型汽車……うぅむ、長い!短縮し『自動車じどうしゃ』と呼称するとしよう!」


 言いつつ彼は、右足で踏板ペダルを踏み込む。自動車の機関エンジンが唸りを上げ、より速度を増した。


「おぉぉっ!博士、なんですかコレ!?」

「聞いていなかったのかね、ヨーコ君。吾輩が作りし、自動車、である!」


 純粋に驚くヨーコに、ゲンジョウは言い放つ。


「わわわっ、速いですっ!」


 アカリは姿勢を低くして、飛ばされないように車体部品を握った。


「ユウコ、どしたの?」


 ゲンジョウの隣、そこに座って項垂れる人物にサラが声を掛ける。ユウコは随分と具合悪そうに、ゆっくりと顔を上げた。


「気持ち悪いのよ、純粋に。吐きそうな感じ、とでも言えばいいかしら?」

「ユウコ君、吐瀉物としゃぶつをまき散らすならば車外に向かってしたまえよ」

「吐かないわよ、ただの比喩だっての。というか貴方のせいでしょ」


 はあ、とユウコは溜め息を吐く。


機関エンジンから生じる熱を神通力で冷やして、幻魔との衝突から雨の膜で保護して、その上で滅茶苦茶に揺さぶられて」


 やる事だらけで力を使い続けている彼女は、随分と疲れた様子で顔をしかめた。


「まあそれよりも自分の心配をした方が良いんじゃないかしら?」

「その指摘、実にもっともである。吾輩は異界にそう長くは居られぬからな」


 ほんの少しだけ悔し気にゲンジョウは言った。


 『奇心を持つ者達ヨーコ達』は異界に適応し、何の支障もなく活動が出来る。だがしかし、持たぬ者にとっては異界は毒なのだ。ただ居るだけで具合を悪くし、最終的には昏倒する。アカリが討滅士となったその時に、トモヨが意識混濁状態であったように。


 ゲンジョウは持たざる者。即ち今、異界において車を走らせているだけで彼は精神を蝕まれているのだ。


「ヨーコ君、サラ君、アカリ君。吾輩が意識を保てるのは精々が十分、早急にあの幻魔を討ち倒すのだ」

「了解です!」

「がんばるっ」

「分かりました!」


 ヨーコ達は前を走る汽車へと目を向けた。


ドォンッ!


 先に電車を粉砕した角の射撃。大きく放物線を描き、自動車を狙って飛来する。


「ふん、その程度で吾輩の発明をたおせるとでも?」


 ゲンジョウは鼻で笑って、握っている船の舵輪の様な輪を回した。それに連動した車輪が進行方向を変え、右に左に車体を移動させる。二発の剛槍を危なげなく軽々と躱し、自動車は再度汽車の真後ろに付いた。


「よしっ」


 ヨーコが跳ぶ。斬撃を飛ばして威力が足りないというならば、直接斬り付ければいい。電車よりも速度を増し、更に接近した今ならばそれが出来る。


 だが。


バギギギギ……

「!?」


 切りかかろうとしたその時、機関室を守るように車体から黒い岩石が生成された。両手を使って包み隠すかのように、それは攻撃を防ぎ止める。


ガギィッ!

「くそっ!」


 岩石の一部を破壊するも、機関室に届きはしない。


 鋼鉄ほどの硬さは無いそれはまるで石炭の様に黒々しい。ヨーコが破壊した部分はすぐさま新しい岩石に覆われ、元の状態へと戻ってしまう。頑強な車体とは異なる形で、高い防御力を持っているようだ。


「しっ!」


 サラが空中を。僅かな距離、それで最大まで加速した彼女はヱレキテルを纏って輝いた。細剣をやじりとしてサラは一筋の光矢こうしとなる。


ズッドォォンッ!


 斬撃で駄目なら刺突で。削岩機の杭の様に、彼女の突きは石炭の壁を破砕する。


 だがしかし。


「んぎぎっ」


 掘り進んだが貫通ならず。突撃は黒々とした石の壁に阻まれ、完全にその威力を防ぎ止められてしまった。


「むむぅ」


 空中でクルクルと回転して自動車の上へと帰還したサラ。全力の攻撃を防がれた彼女は、顎に手を当てて唸った。


「あちゃぁ、サラでもダメかぁ」

「私の銃撃では無理そうですね、この様子じゃ……」


 サラ自身の重量と刺突の突撃力、両者が合わさったのが小さな銃弾とは別格の威力を持つ光矢だ。それで撃ち貫けなかった石炭の壁。炸裂させられるとはいえ小さな銃弾一発でどうにかなるとは思えず、アカリは悲し気に手に在る自分の得物を見た。


「……うんにゃ、多分アカリのが一番効く」

「え?」


 サラが言った。その意味が分からず、彼女は顔を上げる。


「壊しても元に戻る。でも壊す事は、出来る。私とヨーコが壊して、アカリがバーンでどかーん!」

「え、えぇと?」

「……私達が壁を破壊して取り除く。火室の蓋が開いたら、そこを撃って」


 サラはいつもの調子ではなく、正しく姉らしい表情と口調でアカリに伝えた。


「で、でも、さっきは……」


 先程の出来事。完全に目標を捉えたと思った銃撃が、火室の扉に易々と防がれた記憶。彼女はそれを思い出して俯く。自分の力で、お姉さまの望む結果が出せるかが不安なのだ。


「大丈夫、信じてる。アカリは昔から頑張り屋さん。トモヨもだけど」


 フッと優しく笑んで、サラはアカリの頭を撫でる。


 アカリは、強い意思を瞳に宿して再び顔を上げた。もう大丈夫、と姉に伝えるように。


「はは、サラはお姉ちゃんだね」

「んみゅ?そう?」

「あ、いつもの状態に戻った」


 ついさっきまでの、見様によってはヨーコよりも年長に見える姿は霞のように消えて無くなった。今そこにいるのは自由で気まま、やりたい事をやりたいように実行するただの猫である。だがしかし、ヨーコにとってはそのサラである方が頼もしい。


「んじゃ、行きますか!」

「おー!」


 ヒュッと二人は剣を構えて、脚に思い切り力を込めて同時に跳んだ。


 斬撃では破壊力が足りない。

 一人での刺突では突破力が足りない。


 ならばどうするか。

 対応策は一つしかない。


「せーのっ!」

「せいっ!」


 刃が二つの平行線を引き、それが合流して一閃へと変わる。


 剣閃一矢いっし


 ヨーコとサラ、二人の力が一点へと集約した。


ドッパァァァンッ!


 削岩どころか爆裂。突きを阻もうとした石炭の壁は微塵に吹き飛び、機関室を守るものは消滅した。


「今ッ!」


 その時を待ち続けたアカリは、絶好の機会に引き金に掛けた指に力を込める。


 が。


バギギギギッ


 黒鉄汽鬼は凄まじい再生速度で機関室の前に壁を生じさせる。決して厚くはない壁だが、その向こう側を見通す事が出来ない。それは即ち、銃撃で火室を狙えないという事だ。


「くそ、コイツッ!」

「もう一回、ちょっと無理」


 二人で突撃を放ったヨーコとサラは宙に在る。渾身の力で攻撃した事で完全に体勢が崩れており、迅速な再攻撃は出来そうにない。


「むぅ……、ぐっ」


 舵輪ハンドルを握るゲンジョウが呻く。


 頭を玄翁ハンマーで叩かれているような鈍痛、目の前に濃い霧が生じているかのような視界。そして何よりも腹の底から湧き上がってくる吐き気。全てが一気に襲ってきている。


 ヨーコ達が攻撃を続ける最中も飛んでくる角の砲撃を、自動車を操って躱せているのが不思議な状態だ。限界が近い。


「くっ、私が……っ。力が、入らない、わね……っ!」


 ユウコは汽車へと向けた手を力なく下ろす。忙しなく動く自動車の中心部を冷却し続ける事に力を吸われ、岩石を破壊するほどの水弾を放つ事が出来ないのだ。


(どうすれば……ッ!)


 アカリはギッと歯ぎしりする。自身の銃撃で壁を破壊できたとしても、再装填する間に壁は再生する。状況を打破するには一手足りないのだ。


 誰か、あと一撃。壁を撃ち砕いてくれさえすれば。


 乙女はそれを願った。


 悪事災難、在る場所に。

 呼ばれて来るは、正義の味方。

 弱きを助け、強きをくじく。


 天魔悪魔を打ち倒し。

 亡霊死霊、打ち払う。


 小さき姿は頼りなし。

 大きな心は頼もしい。


 車を足場に宙へと飛び立ち。

 狙う先はただ一つ。


 鉄鋼鉄鬼、いざ参る!!!


「ッ!?」


 突然視界の中に現れた彼にアカリは驚く。


 建物の屋根から街灯、そして自動車へと飛び移ってきたのだ。全ては正義を成すために、悪鬼の汽車を討つために。そしてそれを遂行しようとするアカリ達の力となるために。


 空中でクルリと一回転した鉄鬼は跳び蹴りの姿勢をとる。煙突角が赤熱し、ブオッと黒煙が噴き出した。それを更なる推進力として、彼は超高速の黒の槍となる。


ドッズゥゥンッ!!!


 槍は壁に突き刺さり、槍は壁を打ち砕いた。


 遮るもの全てが無くなった事で、アカリは目標をその目に捉える。


(ありがとう、鉄鬼さん!)


 砲口を揺らさぬために声には出さず、彼女は頭の中で礼を言う。


(ただ弾を撃っただけじゃ、さっきと同じ事になる)


 元界ならば十二分な銃弾の速度。しかしこの状況ではそれですら足りない。


(なら、もっと速くすればいい)


 引き金に掛ける指に力を込める。ヱレキテルが小銃の中へと集まり、赤金あかがねの銃弾を強く輝かせた。


(埴輪さんが撃ってた光の線みたいに!)


 彼女の頭の中に浮かんでいたのは、初めて纏装を成した時に見た光景。自分たちを追ってきた悪魔に向かって埴輪の目から放たれた光線である。


 そして、それを自身の技術と合わせるのだ。


(今ッ!!!)


 火室の蓋が開いた瞬間。


 彼女は弾丸を―――否、火の雷を撃ち放った。


 火雷ほのいかづち


 後にゲンジョウによって名付けられる事になる、彼女の技。単なる銃撃よりもずっと速く、まさに雷の速度でそれは目標へと着弾する。


バドンッ!


 何に遮られる事も無く、雷は火室へ飛び込んだ。そしてその内部で、火のついた爆弾の様に炸裂する。


 一拍おいて。


ボッ、ボッ、ボッ!

バグワァァンッ!


 煙突から数度大きく煙を噴き、その後に爆裂。巨大な車体が建物の屋根より高く吹き飛んだ。空中でバラバラになった黒鉄汽鬼は鬼の顔がはじけ飛び、再度爆発して鉄屑に姿を変えた。


「鉄鬼さん!ありがとう!」


 車体に着地する事無く、地面へと着地しようとする彼にアカリは大きな声で礼を言う。彼女に対して正義の味方は握った拳を突き出して、グッと親指を立てた。その様を真似て、アカリも同じように彼へと拳を向ける。


「凄い!」

「いい子いい子」

「アカリちゃん、凄い……!」


 ヨーコが驚き、サラが頭を撫で、元界からトモヨが賞賛する。アカリは照れて頬を赤くした。


「やるわね、うぅ……」

「うむ、見事……くっ、限界だ。このまま元界へと帰還するぞ」


 ユウコとゲンジョウは賞賛しつつも、その顔には既に余裕はない。彼の言葉の通り、二人は既に限界が近いのだ。


 大通りを走り抜け、自動車ごと彼女達は元界へと帰還する。


 異界を舞台にした超高速の追跡劇は、こうして幕を閉じたのであった。

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