第百四討 彼ラ彼女ラハ戦フ

「総帥方、スッ飛ばされんように掴まってて下さいよ!」


 普段は座っている御者席に立ち乗りした社長は、車輪が音を立てる中で背後の人物に声を掛けた。車を牽く馬の蹄が大地を強く蹴り、回る輪が土の地面に轍を作る。


「我らを気にする必要無し!この程度でどうにかなるようならば、財閥総帥などやっとれんからな!」


 アカリの父、灯六辺総帥はそう言って豪快に笑う。


「然り。今は我らへの気遣いよりも、汽車に追いつく事が肝要だ」


 青年御者が操る馬車に乗るトモヨの父、五洋総帥は跳ねる車の縁を掴みながら冷静に言った。


 線路を走る汽車に追いつくただ一つの手段、それは鉄ではない足を使う事。なんちゃって労働争議を終えて帝都中心地へ向かおうとしていた社長たちに声を掛け、緊急事態故に協力を頼んだのだ。


 その要請を快諾した彼らはすぐさま馬と車を用意した。普段は乗合馬車を牽いている大型の瑞穂馬に、一人乗りの車を取り付ける。そして通常は絶対に行わない命一杯の走りをさせ、汽車に追いつこうとしているのである。


「ウチのが先行して、それぞれの牧場主に話し通して牧柵を取っ払って家畜を退かしてます。お望み通り一直線に突っ切りますぜ!」

「対応まことに感謝する、よろしく頼む!」


 牧場には柵があって家畜がいる、それらに阻まれては馬車は通れない。社長たちは従業員に先駆けさせて所有者に声を掛け、障害となり得るものを排除したのだ。


 ひたすらに駆ける彼ら。だがそれ以上に速く、汽車まで到達した者がいた。


「貴方達!汽車を止めなさい!」


 チグサだ。 そしてシリユウである。


 誰よりも速く駆ける事が出来る者、それが彼女達。社長の指示を受けて真っ先に出発し、こうして汽車に追いついたのである。労働者たちが止まるかは分からないが、総帥たちが来るまで彼ら彼女らを可能な限り説得するために。


 推進力を生みだす先頭車輌に三名、連結された客車に五名。汽車に乗る労働者たちは、チグサの言葉に耳を貸さない。ただただ火室に石炭をべ、回る車輪を速くしようとしている。


「おかしいっ、誰も声に反応していない!」


 彼らの様子にチグサは違和感を覚える。説得に対して逡巡する様子も、反論しようとする動きも無いのだ。ひたすらに汽車を前進させる事しか頭にないかのように、労働者たちは淡々と成すべき事を実行している。


「ちょっと!話を聞きなさいっ!」


 彼女は限界までシリユウを客車に近付けさせて、扉が取り付けられていない後方開口部に立つ女性に呼びかける。ぼんやりとした表情で立っていた彼女はチグサの声を受けて、ハッと表情を取り戻した。


「え、あ、あれ?私、なにして……?」

「ねえっ!聞いてって!」

「な、なんで汽車が走って!?ど、どういう事!?貴女だれ!?」


 自分が何をしていたのか、何故ここに居るのか、そして馬を走らせて呼びかけてくる人物は誰なのか。全てを一気に考えた女性は混乱し、頭に手を遣って周囲を見回す。


「汽車を止めなさいっ!早く!」

「え……。この車輌が線路を走っている、って事は……?」

「このままじゃ帝都駅に!」

「あああ!?」


 状況から把握した事とチグサから得た情報。二つを組み合わせて彼女は遂に理解した。現在自分が何をして何処にいるのか、仲間がどうなっているのかを。


「と、止めないと!止めないと!!!」


 女性は焦りながら、近くにいる仲間に声を掛ける。しかし彼らはぼんやりとしたまま立ち尽くすのみで、彼女の声に反応する事は無かった。


「おおおおお!」

「あっ、社長!」


 チグサは後方から聞こえる声に気付いて振り向く。そこには凄まじい形相で手綱を握り、馬に鞭する鬼神の姿が在った。


「追いつきました!」

「おー、お疲れ!」


 青年御者も社長に続いてチグサに並走する。


 彼女は手早く状況を社長たち、そして二人の総帥へと説明した。事態を把握した灯六辺、五洋の総帥はすぐさま判断を下す。


「すまない、客車に限界まで近づいてくれないか」

「それは構わんですが、どうする気で?」

「身体を張るのはなにも労働者だけではない、という事さ」


 灯六辺総帥はそう言ってニヤリと笑い、茶色の背広を脱ぎ棄てる。グイと腕まくりをした彼は、拳と手のひらをバシンと打ち合わせて気合を入れた。


 社長は慎重に馬を線路へと接近させ、馬車と客車を近付ける。灯六辺総帥は車の扉を開け、その縁に手を突いて立ち上がった。身を乗り出した彼は二つの車の動きを見極め、そして。


「はぁっ!」


 跳んだ。


 客車後方の開口部にしがみつき、腕力一つで身体を引き上げる。先んじて正気に戻った女性がそれに気付いて手助けし、彼は何とか客車に乗り込んだ。


「まったく。灯六辺さんは無茶をなさる」


 呆れつつも感心した様子で五洋総帥は言う。


「え、ええと。こちらも同じようにした方がよろしいですか?」

「いいや、私には彼の様な芸当は出来ぬよ。このまま並走してくれたまえ、気遣い感謝する」


 彼は軽く笑いながら、青年御者の申し出を断った。


 客車へと入り込んだ灯六辺総帥は内部の様子に怪訝な顔をする。


「おい、君」


 ぼうっと立ち尽くす男性に声を掛けるが、何の反応も示さない。肩を掴んで軽く揺さぶっても、彼はただ虚空を見つめるだけだ。他の者も同じで、席に掛けるでもなく列車の動きに合わせて揺られている。


「……申し訳ないが」


 全く正気に戻らない彼らに謝り、灯六辺総帥は右の掌を広げる。大きく振りかぶった彼は、それを立ち尽くす男性の背へと叩きつけた。


ばぁんっ!

「んぐはっ!?」


 肩甲骨の間を叩かれた事で思わず声を出す男性。灯六辺総帥の剛腕から繰り出された張り手の威力に押されて、彼は思い切りつんのめった。


「大丈夫かね?」

「げほっ、げほ……っ。何なんだよ、いった……いぃ!?灯六辺総帥!?」


 まさかの人物からの声掛けに驚き、男性はすぐに姿勢を正す。


「すまない、君が正気に戻らなかったのでな」

「い、いえっ!おかげで目が覚めましたですっ!」


 彼のそんな様子に灯六辺総帥は笑顔を見せ、そして状況を説明した。客車内にいる他の労働者たちに手分けして声を掛けるが、やはりその程度では正気に戻る者はいなかった。


「……」


 クキクキと灯六辺総帥は右手首を鳴らす。


ばぁんっ!

「ごふあっ!?」

ばぁんっ!

「あげふっ!?」

ばぁんっ!

「ひあぁっ!?」


 男女関係なく平等に、精神復活張り手が炸裂した。


 ようやく客車に乗った全員が意識を取り戻し、現在の状況を理解する。そして彼らは、石炭をべて汽車を走らせる仲間の下へと行こうとした。


「くっ、開かない!」


 扉は完全に閉じられており、向こう側には鎖が巻き付けられているようでビクともしない。どうにか開けようとするが手段無く、体当たりを繰り返す事しか出来なかった。


「君。馬車をあそこへ近付けてくれ」


 五洋総帥は青年御者に指示を出す。彼がステッキで指す先は、灯六辺総帥らが格闘している扉の反対側だ。御者は鞭を振るい、馬を更に速く駆けさせる。


 十二分に近付いた所で、五洋総帥はステッキの根元を捻じった。カチリと音が鳴って持ち手部分に引き金が現れ、杖の先端部分の口が開く。


 仕込み小銃ライフルだ。一般的に流通しているような代物ではない、彼が試しに作らせた護身用のステッキ銃である。


 五洋総帥はそれを構え、鎖へと狙いを付ける。


パァンッ!

ヂィンッ!


 弾は正確に鎖に当たり、その一部を破壊した。


「はっはっは、五洋さんは腕がいいですなぁ。よし、私も負けてはおられん!」


 二人の総帥と労働者そしてチグサ達は、走り続ける汽車と格闘を続ける。

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