第百一討 夢ト思ヒヲ心ニ持ッテ
「くそっ、退避、退避ーっ!」
打ち破られようとしている金網の門を押さえていた官憲が、他の者へと命令する。彼らが離れるとほぼ同時に門が開くどころか倒れ、それを踏み越えて人々が雪崩れ込んできた。
「進め!我々の主張を通すために!」
先頭を走るのは先程まで壇上で演説をしていた男。彼に率いられているのは、二つの鉄道労働者たちだ。もはや暴徒となった彼らは車輌基地の鉄柵を破壊し、設備すら手を掛けようとしていた。
「止めろ、お前ら!」
資材に棚、机や椅子を使った
鉄パイプにハンマー、そこらに転がっていた鉄板などを武器に暴徒が向かってくる。しかしそれに一切怯む事無く、職場を守ろうと彼らは箒や
「厄介な状況になっているな……」
工場敷地内の五階建ての建物の最上階。窓から眼下の状況を見るアカリの父、
柵を破壊されようが設備が壊されようが、そんな事は彼にとっては些事。灯六辺総帥が心を痛めているのは、従業員同士が争い合っている状況に対してだ。
「官憲と警備の者だけでは対処できぬか。軍に出動を……いや、従業員らを力ずくで排除するのは非合理的だな」
報告に来た者から状況を聞いた五洋総帥は顎に手をやり、考えている事を口に出しながら思考する。時折口ひげを弄るのは、彼が考えを巡らせる時の癖である。
アカリの父が人情派ならば、トモヨの父は合理主義。状況を冷徹に判断し、最大限の利益を得る事を至上としているのだ。
本来ならば多くの企業を纏める財閥総帥が、
「君、暴徒化した労働者と対峙している従業員に伝えてくれ。無理だと判断したならば即時に設備を放棄して逃げるように。己の身を第一に考えるように、機械などまた購入設置すれば良いだけ。これが財閥総帥の言葉である、と」
「はっ!」
背広を着た側近に灯六辺総帥が命ずる。彼はすぐさま駆け出し、部屋を出ていった。
「灯六辺さんは人に優し過ぎますな」
「そう言う五洋さんは利益に聡いでしょう」
皮肉にも似た言葉を投げ合い、そして二人はフッと笑う。
「はっはっは。方向は違えど、我々は商人ですな」
「左様。利に過ぎれば悪辣となり、仁に過ぎれば行く道に惑う。巨大な組織を纏める以上、どちらかに傾き過ぎぬようにせねばなりますまい」
灯六辺は仁に
五洋は利に従順であるが、傘下の者からの陳情を聞き入れないわけではない。必要とあれば末端の言葉も拾い上げ、企業および従業員に寄り添うのだ。
仁も利も商売に必要なもの、これは小さな商店でも巨大な財閥でも同じ。頂点にある者の舵取りによる影響が、小さいか大きいかの違いがあるのみである。
そしてもう一つ、商売に欠かせないものが存在する。
「彼ら彼女らが作るもの、それが築く未来を思うのは夢を見るが如し。だが重要な事である」
「ですな。ただ働かせるだけではなく夢を見させる、それこそが我らの役目。労働には対価を払うと同時に、夢を与える必要がある」
それは夢。
自分の手にある物が何に使われ、どのように社会を支えるのか。従業員一人一人に理解させ、経営を担う者と共に同じものを見させるのだ。
ボオォォォーッ!
「「!!!」」
車輌基地そして工場、果ては建物の中にいる両総帥の耳にまでその音は届く。鉄道に関わる者であれば誰もが良く知るその音であり、夢の象徴とも言える物から発された声。だがしかし、今の状況においては最も聞きたくない咆哮だ。
「五洋総帥!灯六辺総帥!大変です!労働者たちが新型汽車を動かしています!既に整備場から出発し、試験用線路を進行中!」
「なんだと!?」
「不味いな、試験線路はそのまま本線に繋がっている。新型汽車は
「……今、同軌道で帝都駅に停まっているのは」
二人の総帥の頭に、駅で休む鉄の龍の姿が浮かぶ。
「明日御行幸に向かわれる陛下がお乗りになる、お召し列車だ」
「このままでは正面衝突する、どうにか止めなければ!」
側近たちを引き連れ、二人の総帥は部屋を出た。廊下を足早に歩きながら、二人は次善策について話し合う。
「他車輌は動かせるか?」
「車輌基地にある汽車は全て整備中です。敷地内に暴徒化した労働者が溢れており、無理に動かせば怪我人どころか……」
「そうか、ならば他を考えよう」
灯六辺総帥は側近に尋ね、返答を貰った次の瞬間には別の手を考える。豪快で人情に篤い人物と評判の彼だが、こうした際の頭の回転の速さは流石財閥の頂点にある者だ。
「一先ず帝都駅へ連絡を」
「はっ!」
五洋総帥の命により、側近の一人が電話へと走る。
「……お召し列車を移動させる事は可能か」
「機関士及び機関助手は陛下の御温情により、総員休養中です。招集を掛けたとしても間に合わない可能性が高いかと」
「下々に対しても優しき陛下の御気持ちが、今回ばかりは仇となってしまうか……」
コツカツと革靴を鳴らして歩きながら、彼は心を痛めた。帝国の長たる帝、その心にあるのは
夢物語と陰でいう者はあれど、年の頃三十のまだ若い帝が掲げるには十分に夢のある御旗だ。五洋、灯六辺、そしてこの場にはいない七星。各財閥の長は帝の掲げる理想に共感し、組織を動かしているのである。
「試験線路は、確か大きく東に湾曲していたな」
灯六辺総帥が呟く。
彼の言う通り、汽車の試験用に作られた線路は東に大きく弧を描いている。その円弧の内には車輌基地、工場、そして牧場が納まっている形だ。
試験線路は最終的に帝都駅の直前で本線と接続しているが、そこまでは完全に一本道。横に逸れる道も無ければ、隣に敷かれた線路も無い。特殊車輌の為だけの線路であるがゆえに、道は一つあれば十分なのだ。
「……ここから一直線に北へ向かえば、ともすれば先行出来るやもしれん」
可能性を見出し、五洋総帥が顔を上げる。
「し、しかし、どのように?北へ伸びる線路はありません」
側近の女性が困り顔で彼に問う。
「人の脚となるのは鉄の道だけではない。古くからその任を担ってきた者が存在する」
「その通り。普段は商売敵、だが有事にあっては協力する約定もある。……こと今日においては、事後に宴会の費用をガッツリ請求されそうですなぁ、ははは」
「ふっ、会計係に話を通しておかねばなりませんな」
二人の総帥は行く先に目を向けたまま彼女の問いに答え、そして笑った。
「あれは……」
危険な動きを見せる労働者とそれに対応しようとする経営者。彼ら彼女らとは全く違った場所にある建物の屋上で、とある人物が遥か遠くで線路を行く黒い車輌を見ていた。
「今日は新型を動かす予定は無かったはず。……とすれば」
彼は現在の状況を認識し、屋上を後にする。
その目には、働く者としての覚悟が宿っていた。
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