第四十討 下町ノ逞シサ

「商店街、ですか?」


 放課後。ヨーコとユウコの予定にリヨが首を傾げる。


「そうそう」

「貴女には馴染みの薄い場所よね」


 瑞穂の高家こうけたるあずまの令嬢が下町に、というのは中々想像できない光景。事実、ヨーコ達の話を聞いてもピンと来ていないようだ。


「もちろん知ってはいますが、行った事は無いですね。家族で出る場合には、大座だいざ要宿かなめじゅくに連れていかれる事が殆どですから。あとは家の周りの膝下町しっかちょうでしょうか」


 庶民が集まる下町したまちとは反対に、上流階級が暮らす上町うえまち。リヨが言った大座や要宿、そして膝下町は上町の中心地たちだ。


 帝都には大通りが十字に走っており、それぞれが東西南北の名を冠する通りだ。おおまかに東西の大通りの北側が上町、南側が下町となっている。帝の御座おわ帝宮ていきゅうは北大通りの北端に位置する。


 大通りの接合部となる中心地が大座、北西部に要宿、帝宮周りは膝下町。どれもこれも帝都を代表する街であり、一庶民のヨーコにとっては縁遠い場所と言える。


「さっすが、瑞穂きってのお嬢様ね~」

「こら、ユウコ。嫌味みたいに言わない」

「あら、失礼。許して頂戴」

「ふふふ、気にしていませんよ」


 片手で口元を隠してクスクスとリヨは笑った。


「商店街も良い所だよ~、騒がしくてやかましいけど」


 整然とした中心街と比べると、ごみごみとしていて洗練されていない土地。義理人情溢れる、人間臭い街。ヨーコが散々に餌付けされる場所。形容する言葉は色々あれど、最後に必ず一つの言葉が付く。


 でも、とても良い街だ、と。


「そこまで言われると興味が湧きますね」

「お、じゃあ一緒に行ってみる?」

「こら、流石にそれは無理でしょ」

「私も興味ある」

「そうですね、皆が心配し……え?」


 会話の真っ最中に突然、四人目の声が出現した。不意打ちされて、話を続けようとしたリヨの言葉が止まる。声の主はヨーコの右腕を暖簾のように掻き分けて、脇からにゅっと顔を出していた。


「うおっ、サラ!?いつの間に!?」

「ホント、猫みたいよね、貴女」

「にゃおーん」

「よしよし」


 まったく抑揚のない鳴き声を上げた青毛の猫、その頭をリヨが撫でる。ひとしきり撫でられたところで、サラはリヨの顔をジッと見た。


「私が猫なら、リヨは兎」

「えっ」


 急に指されて、リヨは驚きの声を上げる。それに構わず、彼女は次なる者にその指先を向けた。


「ヨーコは犬、おっきいの」

「まあ、ユウコにも言われてるし……」


 妥当な所だろう、とヨーコは頭を掻いた。近頃はむしろ馬車うまと言われた方が正しいのかもしれないと、頭の片隅で思ってしまった己が悲しい。


「ユウコは狐、化かされそう」

「あら、良いじゃない、狐。こんこん」


 親指と中指薬指を合わせて右手で狐を作り、その口をパクパクと開閉する。純粋に印象からの評価であろうが、日照り雨の神を表すのに狐は適切に過ぎる。なにせ日照り雨は、狐の嫁入り等と言われるのだから。


「さ、行こう」

「え、あ、ちょっ」


 サラがぐいぐいとリヨの腕を引いた。あっという間の早業で、抵抗する事すら出来ずに兎が猫に運ばれていく。犬と狐は顔を見合わせて笑い、二人の後を追いかけた。






 先導していたサラがぴたりと足を止めて、ヨーコ達に場所が分からないと言い出す問題はあったものの、四人は無事に商店街へと到着した。いつもの通りの賑わいであるが、リヨとサラは少しばかり驚きの顔だ。


「とっても賑やか」

「活気に、溢れてますね」


 客寄せの声に気圧けおされ、リヨは思わず高身長のヨーコに近寄った。


「あらら。兎ちゃんをしっかり守ってあげなさいな」

「は~い。怖くないよ~、みんな良い人ばっかりだよ~」


 にこにこと笑いながら、リヨの肩をぽんぽん叩く。周囲に脅威がない事を確認して、彼女はゆっくりとヨーコから離れた。


「す、すみません」

「あはは、大丈夫。私も初めて来た時は同じ感じだったもん」

「意外です。ヨーコさんはそういった事は、あまり気にしないと思ってました」


 心底驚いた顔でリヨはヨーコを見る。


「さ、流石にそこまで言われると、ちょこっと傷付くというか……」

「ああ、ごめんなさいっ。そんなつもりは……」

「なに二人で遊んでいるのよ、猫ちゃん行っちゃったわよ」


 ユウコがツイッと顎で商店街の先を指す。そこには人ごみの中に消えるか否かという状態で、商店を覗き渡るサラの姿。ヨーコ達に構わずにドンドン進んでおり、このままでは確実にはぐれてしまうだろう。


「あっ!こらー、サラ、待て~!」


 人の波を躱し、ヨーコは気ままな猫を追いかける。ようやく声が届く距離まで追いついてサラの名を呼ぼうとした、その時。


ドンッ

「だっ」

「あっ」


 店頭で商品を見ていたサラが身体の向きを変えた瞬間。対向から歩いてきた年の頃三十程度、身の丈およそ百九十センチはある大男と衝突してしまったのだ。重量差に押されて、サラは数歩後方へとよろけてしまう。


「痛ってぇな、このガキ!」

「ごめんなさい」

「謝って済むとでも思ってんのか、アァ?その制服、夕月ユウゲツのお嬢様じゃねぇか。たんまり金持ってんだろ?おら、財布出せや!」


 強面こわもての男は凄みを利かせ、サラへと詰め寄った。自由奔放な流石の彼女もこれには後退あとずさりし、その分だけ男が前進する。居合わせた者たちがその騒ぎに気付き、二人を円の中心にして距離を取った。


 雑踏の中で不自然にポカンと空いた場所。屈強な大男が可憐な少女から財布を奪い取ろうとしている。情けなく浅ましい奴だ、と皆が思ってはいるものの、大男相手に立ち向かう勇気は流石にない。


 誰かどうにかしてくれと皆が心配して見る中、二人の間に割って入る人影があった。ヨーコだ。


「止めて下さい」


 左腕を伸ばしてサラを庇い、強引に男の前へと身体を差し込む。


「なんだ、テメェ。お前も夕月かぁ?」

「そうだよ、だから何?」

「連帯責任って言葉、知ってるか?お前も金、出してもらおうじゃねぇか」

「なんで?この子、さっき謝ったよ。それ以上、私達が何かする必要なんて無い」

「うるせぇな!さっさと出せって言ってんだろが!」


 声を荒らげた男はヨーコの胸倉を掴み、そのままグイッとヨーコの事を引き上げた。流石に二十センチも違う相手ではヨーコも背伸びする形となり、えりが首に食い込んでくる。


 それでも彼女は男の目を真っすぐ睨む。並みの相手なら多少怯むであろうが、荒事に長けているであろう眼前の相手には効き目はないようだ。だからと言って先の窃盗犯のように投げ飛ばすには、真正面からでは不意を突きにくい。


 どうするべきかとヨーコが考えていた、その時。


「おい」

「アァ?なん―――」

「おらぁっ!」

ボゴォッ!

「だぶぁっ!?」


 肩を叩く手、それに応じて振り返る男。突如として白くて長い何かが、その顔に直撃して砕け散る。中々の硬さの物体による一撃を受けて思わず男はり、ヨーコの胸倉から手を離した。


 くるくると宙を舞う、白い何かの残骸。それは人のももほどもあるかという太さで、所々に細い髭が生えている。先端は円錐状で、求める物のために大地を穿つ様はまさに杭。既に季節は過ぎたが、冬場に鍋の中で蒟蒻こんにゃくなんかと煮られているおでんの主演役者。


 そう、大根だ。


 何とも立派な大根による一撃、文字通り痛打。それを証明するように男の顔面は横一線に赤くなり、鼻からは血が噴いている。


「何しやがんだ!」

「そいつぁ、こっちの台詞だ!バカヤロウが!!!」


 攻撃の主に身体を向けた男は怒声を放つ、だがそれ以上の怒号をもって返される。そこにいたのは中年に似つかわしくない隆々とした筋肉が眩しい、八百屋のオヤジであった。


「ふんっ!」

ドゴッ

「ぅぐっ!」


 男の左脇腹に重い右拳が突き刺さる。天然の重量物である野菜果物を取り扱う実践筋肉には敵わなかったようで、男の身体がの字に曲がってくぐもった声が口から漏れた。


 だが無駄に頑丈な男はそれを耐え、激高して八百屋のオヤジに突っかかる。


「テメェ、よく―――」

「こういうのはぁ、いけねぇなぁ」

ブスッ

「もぉうがっ!?」


 一歩踏み出した左脚の太腿に細い何かが突き刺さる。てらてらと妙に光沢を纏うそれは、豚肉と野菜のエキスを吸った竹串だ。いつの間にやら男の至近に寄った串カツ屋のおっちゃんによる容赦のない一撃である。


 なおその串は先程までおっちゃんが食べていた、自分の店の商品の残骸だ。


「クッソ、こんのジジィが……」

「おぉん?やるかぁ?おっちゃん、こう見えて強いぞぉ~?」


 シュッシュと拳で空を打つ。普段ののんべえ姿からは想像できない、中々に様になった拳打と体捌きである。八百屋と串カツ屋に少しばかり気圧された男は、一転して逃走を図った。


「ちっ、やってられるか!」

ドンッ

「うぉっ。コラ、逃げんな!誰か取り押さえろ!」


 八百屋のオヤジを突き飛ばした男は一目散に、ヨーコ達とは逆方向へと駆け出した。ももに刺さっていた串を引き抜いて乱暴に投げ捨て、進行方向にいる者達に怒声を投げかけて威圧する。遠巻きにしていた彼らは突然向かってきた男に驚き、道を空けてしまった。


 完全に遮る者の無くなった道を、男は勝ち誇った顔で駆け抜ける。


「ハッ、バカが!そう簡単に捕ま―――」

「よっ、と」

ザララァー……

「るぅぁ、あぁぁ!?うおぅっ!!??」

ドダァンッ!


 進行方向に突然、差し込まれるように何かがぶちまけられて男はそれを踏む。ざりっという音のすぐ後に足が前に滑り、体勢を戻そうとしたもう一方の足がもう再び前に滑る。


 完全に復元力を失い、仰向けに地面へと転倒した。男はしたたかに頭を打ち、ぐったりと動かなくなる。


「ふぅ、上手くいって良かった」


 安堵の表情で店舗から出てきたのは、眼鏡が知的な魚屋のお兄さん。彼は袋に詰めていた保冷用の氷を男の進行方向へと、回避できないタイミングで撒いたのである。


「おお、よくやった!魚屋の!」


 追いかけてきた八百屋のオヤジが賞賛の声を上げた。


「まったく、まだ若いのにこんな事するなんて勿体ないわねぇ」


 肉屋のおばちゃんが、倒れている男の頬を軽く叩く。気を失っていた男はハッと意識を取り戻し、ガバッと上体を起こした。


「ぐ、ぅ……」

「ほら、悪い事するからそんな事になるんだよ、反省するんだね」

「アァ?うるせぇ、クソババア!」


 男はどうやら、自ら危難に飛び込んでいくタイプであったようだ。


「あぁん?」

グワシッ

「あだっ!?」

「いま、なんつった?」

ミリミリミリ……

「あががががっ」


 普段はひき肉を捏ねている黄金の右手が、男の頭を鷲掴み。強靭な握力で頭蓋を握りつぶす勢いで力がこめられる。男の耳には、身の内から響く骨の悲鳴が聞こえている事だろう。


「お嬢さん、だろ?」

メキメキ……

「は、はいぃ……。可憐なお嬢様ですぅ……」

「謝罪は?」

ギシギシギシ……

「す、すびば、せんでしたぁ……あがががが」


 そこまで言わされてようやく男は解放されるが、そのまま説教タイムへと移行した。路上で正座させられた男は完全に縮こまって肉屋のおばちゃん、否、お嬢様のご高説を拝聴している。先程までの威勢の良さは何処へやら、である。


「おい、誰か官憲さん呼んで来い。サッサと連れて行ってもらわんと、あの馬鹿が挽肉機に掛けられてメンチカツにされちまう」

「あはは、じゃあ僕が行ってきますよ。店、見といてくださいね」

「お~、おっちゃんが見とくぞ」

「刺身つまみにして飲むつもりだろ、串カツ屋」


 大捕り物の後でありながら、店主たちは愉快に笑っている。


「みんな、流石だね~」

「まあ慣れてっからな。ガラの悪い奴も一定数来ちまうくらいには客が来るのがココ、明奉寺みょうほうじ商店街ってこった」

「すごいすごーい」

「なっはっは!」


 パチパチとサラが手を打つ。そんな事をしているとユウコたちも追いついてきた。


「おじ様がた、見事なものね」

「おう、ユウコちゃん。お褒めに預かり光栄ってもんだ!」

「こういった事は結構ある事なのでしょうか?」

「元はここまで派手なのは少なかったんだがなぁ……。今年に入ってからミョーに色々と多くてな」


 顎に手を当てて、八百屋のオヤジは首を傾げる。


「若ぇ者集めて自警してるが、この商店街も広いからなぁ」

「あ~、南北に大きい通りが二本、東西に二本だもんねぇ」


 明奉寺商店街は下町の中でも有数の商店街なのだ。それだけに人も店も多く、小さな問題から大きな問題まで様々発生するのは、母数が多い以上はある程度は仕方がないと言える。


「ま、いざとなったら久坂部くさかべの旦那を呼びゃぁ良いからな」

「元は官憲さんで腕っぷし最強だもんね、久坂部のおじさん」

「ところでだ、ヨーコ」

「なに?」


 ぽん、と肩に手を置かれ、ヨーコは首を傾げた。


「お人形みたいなお嬢さん二人、何処から攫ってきたんだ?」

「人聞き悪ぅっ!そんな訳無いでしょ、っていうか、さっきの会話も聞いてたよね!?」

「お~、聞いとったぞ~。女学院の友達だったなぁ、刺身食ってけよぉ」

「他人の店の物、勝手にあげちゃダメでしょ。というか、もう食べてるし」


 先程の八百屋のオヤジの指摘は正しかったようだ。


「ふふ、何だか皆さん逞しいですね」

「うんうん、強い」

「あら、怯えたりするかと思っていたのだけれど」


 ヨーコと店主たちから少しだけ離れた所で三人は言葉を交わす。いつもと大して変わらないリヨとサラの反応にユウコが驚いた。


「この程度で怯えていては、あずまの家の娘ではいられませんから」

「あーゆーのには弱みを見せるなって教えられた」

「貴女たち、存外逞しいわね……」


 お嬢様方の予想外な強さに、ユウコは感心したのだった。

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