第三十八討 純ナル心
「不気味ぃ……」
「怖い」
本来は物体、意志を持って動く事の無い仏像。それが不自然な足取りで近付いてくるのだ、自然と嫌悪感や恐怖心が湧くのが当然である。ぎぎぎ、と金属同士が擦れ合う嫌な音を鳴らしながら、
「うー、遭遇する前に逃げたかった」
「頑張ろう」
「なんでそんなに前向きなのぉ……」
サラは左の拳を握ってヨーコに差し出す。同意するならコツンと拳を合わせろ、という事である。撤退のしようがない現時点において、その拳を無視する事など出来はしない。
こつん
「ぼちぼち頑張るよ」
右の拳を握って軽く打ち合わせ、ヨーコは応じる。それを受けて、サラの瞳がキラリと光った。表情の変化は薄くとも、彼女が喜びを表している事がよく分かる。
「んじゃま、いきますかー……って、サラはぶっつけ本番だよね!?なんでそんな、自信満々なの!?」
「頑張るから、大丈夫」
「論理が成り立ってないっ」
敵対者を前にして、随分と気の抜けたやり取り。それが緊張と恐怖心を和らがせ、無駄な力を肩から放出させる。口元に僅かな笑みを浮かべ、二人は歪な仏像と対峙した。
「いくよっ!」
「うん!」
左腕に輝く金の腕輪を右手で覆うように握った。そして、起動
「奇心!」
「纏装!!!」
その言葉と共に、二人は光に包まれた。
ヨーコは真鍮色の奇械を纏い、腰に佩いた刀を抜き払う。紫黒の闇の中でも、その白刃はギラリと輝いた。ブーツの底が砂利石を
カツン
軽やかな銀が大地を踏む。重さを感じさせないその音は、シンと静まり返った異質な商店街に響き渡った。カラリカラリと足首の
表面に奇械部品が見えるも薄い手袋に両手は包まれ、その感触を確かめるようにサラは握って開く。何の支障もない事を確認した彼女は、左腰に出現した同じく銀色の剣を抜く。
シィィと剣と鞘が擦れる高い音が奏でられ、切っ先が鞘の口に触れてシャンッと短く響く。その手にあるのは、ヨーコの持つ刀の半分に満たぬ厚みの尖鋭なる刃。素早い刺突斬撃を想定した、銀の細剣だ。
一度二度、手に馴染むそれを軽く振った。ヒュンと刃が空を切る。宙に薄紙でも有れば、抵抗も何もなく裂き斬ってしまえる鋭さだ。
紫黒の闇の中にあって、銀の白はより一層に強く光る。それはまさに、自縄自縛の
身を包んだ奇械と手にした鋭利な刃に一切の不具合がない事を確認し、サラは一つ頷いた。
「うん、大丈夫」
「有言実行、凄いなぁ」
「私、凄い」
ヨーコの賛辞にサラは自慢げに胸を張る。
「何を遊んでいるのかね。あちらさんは待ってはくれぬぞ?」
ゲンジョウの言葉に応じるかのように、
ガズンッ
重々しい音が誰もいない商店街に響く。だが。
「何も、起きない?」
それは歪な権現仏像の威嚇だったのか。警戒して構えていたヨーコが一瞬だけ気を緩めた。しかし。
「違う!」
サラが咄嗟に声を上げて右に飛び退く。それに頬を叩かれたようにヨーコはハッと意識を戻し、何も認識できずとも左に飛び退いた。
ヒュワッ
地を蹴ったヨーコのブーツが
「今の……」
先程まで自分が立っていた場所で、視認できぬ何かが起きた。攻撃である事は確実だが、その正体が分からない。ヨーコの頬にツゥと冷や汗が伝う。
「何かが、足から伝わってきた。錫杖を打ったのと関係ある……?」
奇械に包まれて鋭敏となった両足の感覚、それが捉えたのは掠手権現が放った何かの手掛かりだ。サラは疑問を小さく口に出し、ジッと敵の動きを見る。
無機質で無感情、一切の意志を感じられない仏像はその首を九十度左に曲げた。ギシギシと銅の首が鳴り、それまで瞑っていた目をクワッと開く。そこにあったのは、ぎょろぎょろと周囲を見回す人間の目だった。
権現仏像の首が横倒しになったまま、頷くようにしてヨーコの方を向く。
「怖っ」
思わずヨーコは声を上げる。くすんだ青緑の完全に無機質な顔に反して、焦点を合わせる気の無い黒紫の瞳は人間そのもの。違和感を物体として成形するならば、これこそが正解の例であろう。
ブンッ!
仏像が右手の錫杖を彼女に向かって横に振る。先程と同じく、それによって何かが起きるわけではない。人間の目には何一つ変化が映らない。
「何か分からないけど、回避っ!」
過剰な程に大きくヨーコは右へ跳ぶ。攻撃の正体が分からない以上、最小限の動きで躱す事など出来よう筈がないのだ。
バッ!
今度はサラに向かって左手を広げて突き出した。
「ふっ」
バサッ
背後の屋台に被せられていた、サラの身を隠すほどの大きさのボロ布を剣の切っ先で引っ掛ける。自身の前に大きく広がるようにそれを放り投げると同時に、左へと素早く回避した。
布は僅かに
風穴が空いたボロ布は、静かにパサリと地面に落ちる。
「攻撃の範囲はそんなに大きくない。それと」
冷静にサラは言う。初めの一撃、ヨーコへの攻撃。二つを見て彼女は考えたのだ、分からないならば手掛かりを作ればいい、と。ボロ布を放り投げたのは、攻撃の正体を知る為であった。
「攻撃は多分、風。空気だから見えない」
「なるほど!」
真空の刃。それこそが掠手権現の攻撃の正体。不可視でありながら実体があり、縄のように絡まる刃が他を細かく切り刻むのだ。一瞬だけボロ布が靡いたのは、風が生じていればこそである。
「私が引き付ける」
「任せたっ!」
短い言葉が二つ、それだけでどうするかを決めた。
タッ
軽い一歩の音と共に、サラは一瞬で距離を詰める。瞬時に掠手権現の目前に到達し、仏像の胸へと目掛けて鋭い突きを放った。
バヂィッ!
細剣の切っ先と錫杖の柄が衝突し、暗い商店街に火花が散る。火の花が灰色の瞳を輝かせ、透き通った青の髪が照らされた。剣と杖が擦れ合い、ギギギと音を奏でる。
金属が擦れ合う、だが武器のそれではない。権現仏像が左腕をもたげる、その音だ。サラへと手のひらが向けられれば、先の一撃と同じ真空の刃が放たれるだろう。
しかしそれよりも速く、いま一人の少女が突撃する。
「もらったぁっ!!!」
跳び上がり刀を振りかぶったヨーコの、気合
決着だ。
そう、二人は考えていた。
メキィッ
バギンッ!
掠手権現の背が割れる。そこから生じたのは右に四本、左に四本、計八本の
「なぁっ!?くっ!」
驚きながらも刀を引き戻し、身体の左で盾とする。
ザシッ!
防御は間に合った。四本脚は刀が止め、直撃は無し。しかしほんの僅かに、柄を握っていた右手の甲に切り傷を負った。小さな小さな、それこそ枝に引っ掛けた程度の
だが。
「あっ、ぐあぁぁぁっ!!??うぐぅッッッ!?」
右手から落ちた刀が、ガランガランと音を鳴らす。咄嗟に後方へと跳ぶも足で着地出来ず、勢いのままにゴロゴロと転がった。左手で右手を包むようにして押さえながら、ヨーコは有り得ない程の汗をかいて目を見開いている。
「ヨーコ!」
何が起きたのか分からずとも、友が苦しみ悶えているのだけは理解できる。サラは声を上げると同時に仏像の前から左へ飛び退き、ヨーコの下へと駆け寄った。
「大丈夫!?」
「ぅぅぅ……ッッッ!あの脚、気を付け、てェッ!痛みが、腕が、裂けた、みたい、にッ!ぐぅぅ……ッッッ!!!」
ヨーコはバタバタと汗を地面に垂らしながら、焦点の定まらぬ瞳を動かす。
今の彼女が感じているのは、掠り傷を負った右手中指の根元から肘までが裂けたような痛みだ。縦真っ二つになった右腕を、左手で無理やりにくっつけている状態である。その激痛たるや、想像する事など出来はしない。
「あいつを倒せば」
サラは立ち上がった。実際にはヨーコの腕は裂けてなどいない、つまりは幻覚の類である。であるのであれば、それを生じさせた元を断てば治まるはず。その結論を瞬時に導き出し、ヨーコを巻き沿いにしないように彼女は離れた。
「ふぅぅ……」
距離をとれば真空の刃、近寄れば鳥の脚。正面から斬りかかれば錫杖で防がれる。戦いが長引いてしまえば、ヨーコが危ない。心配しなければならない事象は多く、出来る事は少ない。
多くの事を考えて、思考と精神に
澄み切った、純なる心を取り戻すためのリセットボタンである。
「よし」
キッと鋭く敵を見た。歪で動きの少ない
「いく、」
よ、の声を置き去りにして、彼女は駆ける。速く速く。真空の刃が彼女を捕らえようと飛来するも、それが掴むは彼女の残像だけだ。何者も得られなかったそれは、商店の壁を巻き込んで塵と成す。
チィンッ!
澄み切った高音が響く。
カロァン
内側が空洞の枝が落ちたかのような反響した音が、掠手権現の足下で鳴った。
そこにあったのは一本の鳥の脚、権現の隠し手。八本の内の左上部の一つが根元から落ちたのである。無論、自然に脱落するようなものではない、それを成した者がいるのだ。
「うん、大丈夫」
十二分に対応が可能である事を確認し、サラは呟く。
タッ
彼女は再び駆け出した。
真空の刃が目に見えぬならば、同じく自分も見えなくなればいい。単純明快、理路整然。流石に不可視となる程に速くは走れないが、奇械の力によって競走馬を抜き去る程度には速度を出せる。
その速さでありながら、サラは自由自在に動く事が出来る。となれば動きが緩慢な仏像など、仏殿に安置されたそれと大差なし。鳥脚の腕が多少自由に動くと言えど、その可動域など知れた事だ。
カララン
コロロン
カコォン
一番危険な八本の鳥脚の腕。それが次々と脱落して音を奏でる。木琴の演奏のように連続的に発生したそれは、七つ目で打ち止めとなった。
「全部、斬り終わり」
掠手権現の正面へと戻った彼女は、血振るいするように剣をヒュンと払った。八本腕を失った仏像は、グッと姿勢を低くする。
ダァンッ!
銅製で重量のある体を、両の脚で宙へと投ずる。鳥脚の腕は斬られ、真空の刃も当たる事は無い。である以上、直接的に打ち込むしか選択肢は無いのだ。
低空で真っすぐに掠手権現はサラへと突撃、対する彼女もまた姿勢を低くして構えた。権現仏像は錫杖を大きく振りかぶり、脳天から粉砕しようと振り下ろす。
タンッ
バガァッ!
人間など容易に粉砕する錫杖が、目標地点を叩き潰した。
だが、そこには既にサラはいない。彼女は何処へ行ったのか。
チンッ
細剣が鞘に仕舞われる音が、掠手権現の遥か後方で小さく鳴った。と同時に、権現の体がザラザラと微塵へと変わっていく。
錫杖が、腕が、頭が、胴が、足が。全てが銅の粉へと変じ、その場に砂山を作り上げる。それはザアァと音を立てて地面に吸い込まれ、跡形もなく消えて無くなった。
ざわざわ
がやがや
異界商店街の賑わいが戻ってくる。青白の異界に在っても、その騒がしさが心に少しの安らぎを与えてくれた。纏装を解いたサラは、少し離れた所で転がっているヨーコへと駆け寄った。
「大丈夫?」
「う、うん、なんとかね……。あ~、痛かったぁ……、死ぬかと思ったよ」
無事だった右腕をさすりながら、ヨーコは少し疲れ顔で笑った。その様子に安心したサラは、ふう、と一つ息を吐く。
「ん?」
無害な幻魔たちはサラとヨーコの戦いを認知していたようで、ぞろぞろと近付いてきた。口々に何かを言っている様に思うが、幻魔の言葉など分かるはずもなし。二人は顔を見合わせて首を傾げる。
「感謝されてるみたいよ、多分ね。あの仏像、結構怖がられていたみたい」
「うわぁっ!?ユウコ、いつの間に!?」
「びっくり」
突然背後に現れたユウコに、ヨーコは飛び退き、サラは目を丸くした。
「なによ、私が自由に
「そうだけど、流石に突然は驚くって」
何度か頷いてサラもヨーコに同意する。
「あらら。じゃあ次からは、ちょ~っとだけ気を付けましょうかね」
「あ、これ絶対、また驚かせに来るやつだ」
「なかなか鋭いじゃない」
ヨーコの指摘を受けて、ふふふ、とユウコが笑う。
「ふふ」
そんな二人のやり取りに、サラの口からも思わず笑い声が生じた。
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