第三十五討 掠メル手

 豪華でありながら主張し過ぎず、かといって決してみすぼらしくはない。一定以上の品位を備えながらも、肩ひじを張らなくても良い気軽さを兼ね合わせる。百貨店の内装と装飾は、如何なる者も歓迎してくれていた。


 電気照明が煌々と店内を照らし、白黒茶の大理石タイルが滑らかな身を輝かせる。透明なガラスケースに入れられた装飾品は元より美しくありながら更に綺麗に見え、それを客に紹介する店員は誇りをもって職務を遂行する。


 初めて訪れた者は驚き、二度来た者はその便利に感心する。三度やってきた者は店内を探検し、四度覗いた者は気に入りを得る。五度足を踏み入れれば夢を持ち、六度気が向けばそれを手に入れる。七度れば離れない。


 物を売るならば、何よりも客を見よ。客を見たならば、次はその欲する物を見よ。内を見たならば、自ずと成すべきを知れ。商いは己の為のものならず、他を喜ばせる事こそ肝要と知れ。


 七星財閥の長、即ちサラの父はそれを旨として生業に臨んでいる。それは従業員たちにも共有され、誰もが店を訪れる者のために働いているのだ。


「いらっしゃいませ」


 一階宝飾品売り場の店員がヨーコ達にお辞儀した。


 軽く会釈を返したサラは店内奥へと進み、ヨーコとユウコもそれに続く。最奥部の壁面には、ガラスが嵌められた鉄扉と鉄格子、そしてその向こうにある小さな個室。扉上の壁には上半円形の階数表示板と、一から七までの数字と最上階を指す針があった。


 電動式昇降機エレベーター


 瑞穂の中心地たる帝都にあっても、まだまだ普及していない最新の設備だ。しかしサラは平然と、その扉と鉄格子の蛇腹引き戸を手で開けて中に乗り込んだ。箱の上下動や各階停止は自動であるが、扉の開け閉めは手動なのである。


 彼女に続いて、ヨーコとユウコも足早に箱の中へと乗り込む。幸いにして他に乗客は来ない、それを確認してヨーコが二つの扉を閉めた。サラはカチリと壁の盤のボタンを押す。すぅっと静かに、箱が上へと動き出した。


「いやー。まだ慣れないなぁ、エレベーターって」

「そう?」

「なんていうか、お腹の中がふわっとする感覚があってねぇ」

「ああ、言わんとする事は分かるわ。確かに独特よね」


 上へと進むエレベーターは最上階を目指す。食料品や趣向品、食堂は七階フロアにまとまっているのだ。チンという到着を告げるベルの音。蛇腹引き戸をガラリと開くと、そこは食の商店街だ。


 生鮮食品から総菜、ヨーコ達が求める珈琲豆に代表される趣向品の数々も。客でごった返すフロアは、何とも活気に溢れている。すれ違えない程ではないが、人は多い。休み時間の学院廊下の様な状態、と言えるだろうか。


「こっち」


 向かってくる人の波をスイスイと抜けてサラは進む。


「わっ、ちょっと待って~」


 上手く人を躱せずにヨーコは向かってきた客の進路を塞ぎ、全く同じ方向へ身を避けようとして通せんぼ。両者は数度気を合わせ、互いに苦笑いしながらすれ違った。


「何を遊んでいるのよ。ほら、彼女行っちゃったわよ」


 あきれた様子で、先行した案内人サラの背を指す。人の波に消えようとしているそれに気付き、ヨーコはユウコを前に向かせて彼女の両肩を後ろから掴んだ。


「なんで私を押すのよ」

「防波堤にいいかなって」

わたしゃ、壁か」


 自身より二十センチ低い彼女をグイグイと押す。半強制的に前進させられたユウコは更に呆れながらも、向かってくる人々を切り開いていく。


「あれ?」


 後ろにいたはずの二人が、いつの間にかいなくなった事にサラはようやく気付いた。背後をキョロキョロと見回し、かなり後ろに赤っぽい空中線アンテナ毛を発見する。


「いた」


 そんな特徴的な髪、ヨーコの他にいるはずもない。背丈は女子の平均より大分と上、その頭からピョンと跳ね上がる毛は人ごみにあっては良い目印だ。来た時と同じように軽やかに人を避けて二人へと近付いていく。


 その時だった。


「!」


 サラは気付く。自身の前を行く男、その人物が更に前を行く客に対して実行した事に。ゆえに彼女は声を上げた。


「泥棒!」

「なっ!?」


 短く強く。澄んだ高い声は雑踏の中で響き、周囲の客の視線を集める。


「チッ、くそ!」


 犯人は舌打ちをして、目撃者であるサラから逃げるために駆け出した。その者が犯罪者であると知った進路上の客は咄嗟に回避し、皮肉な事に一本の道を作り出してしまう。


「退けっ!」


 逃げ遅れた客を突き飛ばし、床に落ちた商品を蹴り飛ばす。男は一直線に、ある方向へと駆けていく。


「危ない!」


 サラは再び声を上げる。男の進路上、そこにいたのは。


「えっ」

「あら」


 ヨーコとユウコだった。二人で話をしながら歩いていた事で、判断が遅れたのだ。ポカンとする少女に男は向かっていく。


「退きやがれ!!!」


 自身より体格が劣る女子供、威圧すれば怯えて道を開けるは道理というものだ。


 しかしながら、道理が通じない者がいるのもまた、世の常である。


ガッ

「アッ?」

ブゥン

「おりゃぁっ!」

ズダァン!

「グハッ……ぅ」


 押しのけようとした手。それを掴んで引かれて、肩に担がれる。駆けていた足を払われて宙に浮き、グルンと上半円形に身体が軌跡を描いた。前進していた勢いを載せて、男の背中が床に叩きつけられた。


「お見事、一本背負い」

「大人しくしろ!」


 スッと横に避けていたユウコが小さく拍手。ヨーコは男の胸を片膝で押さえつけ、身動きを封じる。投げ落とされた衝撃が効いたのか、男はぐったりとしていて抵抗する気配は無かった。


「大丈夫?二人とも」

「ええ、問題ないわ。うちの用心棒ワンコは優秀なのよ」

「番犬扱いっ!?」


 駆け寄ってきたサラに対してユウコが答え、ヨーコがその言葉に反応する。常人ならば人生で経験する事すら無い稀な事態でありながら、二人は平然として如何いかにも日常の一ページようだ。


「冷静、だね」

「まあ、慣れてるというか何というか……」

「慣れ?」

「こっちの話よ、気にしないで頂戴」


 余計な事を言ったヨーコの言葉に首を傾げるサラ。それをユウコがはぐらかす。


 異界で荒事あらごと三昧ざんまいのヨーコにしてみれば、成人男性など恐れるものではない。どれだけ脅されようとも、所詮はただの人間なのだから。


「で、コレどうすれば良いのかしら?」

「警備、呼んでくる」

「お願い~」


 サラは小走りで警備員を呼びに行った。






「協力、感謝する」


 ヨーコに綺麗な敬礼をして、椎津警部補は犯人を連行していった。男性警官に両脇を固められた犯人は、頑強に抵抗する事も無く大人しい。犯行時の威勢の良さは何処に行ったのだろうか、と言いたくなるほどに静かである。


「ごめん」


 目的の物を手に入れて店の外へ出た所で、サラは謝罪の言葉を述べた。困り眉になって申し訳なさげな彼女に対して、ヨーコは首を傾げ、ユウコは腕を組む。


「え、なんで七星さんが謝るの?」

「うちの店で起きた事、二人を巻き込んだから」

「今回みたいのを全部謝っていたら、困った眉が戻らなくなってしまうわよ?」


 建前などではなく、二人は全くもって今回の一件を気にしていない。そんな事などつゆ知らず、サラとしては責任を感じていた。


「気にしな~い、気にしない。別にあれくらい慣れてるからさ」

「あ、おバカ」

「さっきも言ってた。犯罪者捕まえるのに慣れてる?なんで?」

「やべ」


 何とかはぐらかす事に成功した飼い主ユウコの努力は、番犬ヨーコによって無駄となった。どうやって誤魔化すべきか少し考えて、ふとヨーコは気付く。


「別に隠す必要なくない?」

「言われてみれば。貴女、悪事を働いてるわけじゃ無いものね」

「???」


 官憲警察に対して事情を明かすのは非常にマズイ。ヨーコ達が、というよりはゲンジョウが、である。うら若き少女を、訳の分からない理屈で命の危険が有る研究の実験台にしているのだから。給金の良いアルバイトが無くなるのは、ヨーコとしてもそれなりに痛手である。


 だが、サラに話した所でさしたる問題は生じない。首を傾げられる可能性の方が高く、たとえ信じられたとしても特殊な研究の手伝いをしている程度の認識になるだけだ。


 そして何より、あの変人ゲンジョウのために自分達が苦労して誤魔化す義理などないと気付いたのである。


「じゃあ……」


 随分と気が楽になったヨーコは話を始める。

 異界、幻魔、七不思議。奇心、奇械、纏装てんそう云々うんぬん。今までの出来事のさわり重要な部分い摘んで。ただし一つだけ、ユウコの正体については話さずに。


「と、いう感じ」

「……」


 一節ひとふし語って、ヨーコは話を終わらせる。言葉一つ発せずにそれを聞いていたサラは、ヨーコの顔を真っすぐと見るだけだ。


「信じられないよねぇ、うんうん。私も逆の立場だったらそうだし、だからこの話はここでおしま―――」

「面白そう」

「いっ!?」


 話を切ろうとしたヨーコは、まさかの言葉を受けて驚愕の声を上げる事となった。

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