第三十四討 七ツ星ノ百貨店

「……………………なんでこうなる」

「流石に今回は私もそう思うわ」


 二人はほぼ同時に溜め息を吐いた。


 お使いを済ませた二人はゲンジョウの下へと帰還。本を手渡して、さて帰ろうとした所で彼に引き留められる。嫌な予感を覚えながらそれに応じると、今度は珈琲コーヒー豆のお使いを指示されたのだ。


 更なるお金を受け取ったものの、町へ繰り出そうとしていた二人にとっては面倒事でしかない。だがしかし断ろうとも逃走は不可能、渋々ながらヨーコは依頼を受けたのだ。


「珈琲豆の焙煎ばいせん屋なんて、ここから遠いわよね」

「大通り挟んで向こう側の路地裏にあったと思うけど、結構な距離だね~」

「となると、百貨店の方が近いわね」


 商店街を抜けて、一本通りを超えた先。上町と下町のちょうど中間地点に七星ななほし百貨店は建っている。その中には多くの店があり、珈琲豆を取り扱う店についても漏れはない。


「んじゃ、そっち行こっか。品切れとかしてなさそうだし」


 気持ちの面から少々の疲れを感じながら、二人は新たな目的地へと歩き出した。






 白い建物は見上げる程に高く、その入り口はガラス戸がずらりと並ぶ。黒背広スーツを来た店員が客を出迎え、警備を担う者が目を光らせている。店の中へと吸い込まれていく者、手に手に商品を抱えて帰っていく者。上流と言われる身なりの者もいれば、気軽な服装の庶民たちも多い。


 誰に対しても差別なく良い物を手ごろな値段で提供し、遠方の品々を汽車で運んで店頭に並べる。朝どれの野菜、水揚げされたばかりの魚、自社畜産場で育てた牛豚鶏。他国で作られた衣類や各種の医薬品、住宅雑貨から鉛筆消しゴムまで。


 ありとあらゆる品を扱い、民需みんじゅこたえる新興財閥。それが七星ななほし財閥である。海軍需に応える五洋ごよう、陸軍需に応える灯六辺ひろべと合わせて三財閥と呼ばれる、平民のいただき


 四摂家しせっけとはまた違った、財貨を力とする者達である。


「あ、官憲かんけんさーん」

「む?」


 彼女が言った官憲とは警察の俗称、一般市民からすると警察よりも馴染みのある名である。見知った顔を見付け、ヨーコは手を振って駆け寄った。


 陸軍将官服にも似た、落ち着いた青色を基調とするパリッとした印象を受ける制服。肩には紺色の肩章があり、それに付いた金色の一つ星と二つ線は警部補という肩書を示している。被る帽子には警察を示す、翼を大きく広げた金色のわしとその翼に抱かれた五芒ごぼうの桜花。


 ズボンの左腰にはサーベルをき、右腰のホルスターに在るは最新式の半自動式セミオート短銃ピストル。不届き者から善良な市民を守る正義の味方だ。


 黒のショートヘアに、意思の強さと正義感を宿す茶色の瞳を抱く釣り目。ヨーコと同等の身長は、警察官としては実に理想的な身体と言えよう。年の頃は二十八、若くとも経験を積んだ有能な人物である。


 実力主義の瑞穂帝国、女性警察官や軍人も珍しくない。彼女のように若くとも昇進する者も多いのだ。


椎津しいづ警部補殿、お勤めご苦労様です!」

「ヨーコ君、今日も元気があって良しっ」


 ヨーコは勢いよく見様見真似の敬礼を実行。椎津と呼ばれた女性警官がそれに敬礼を返す。両者はサッと手を降ろし、ニコリと笑い合った。


「今日は買い物かな?」

「はい~、とぉ~~~っても不本意ながら」

「んん?どういう事だ?」


 妙な事を言う少女に椎津警部補は首を傾げる。


「とある人からのお使いで珈琲豆買いに来たの。港から商店街、一回戻って今度は百貨店。二度も往復するのは面倒臭いったらないわ」

「むむむ?」

「私、とある所でアルバイトしてまして……」


 ヨーコは手早く事情を説明する。勿論、異界だのヱレキテルだの理解されがたい事は伏せて。すべて聞き終えた椎津警部補は、その眉間に深く皺を寄せる。


「あの、平賀博士、か……。悪い事は言わない、あまり近付かない方が良い」

「ですよねぇ」

「そうよねぇ」


 彼女の言葉に、ヨーコとユウコは二人して何度も頷いて同意する。


「でも、官憲さんがそこまで言うの珍しくないです?」

「我々は公僕、基本的に市民を悪くは言わない。が、あの博士を私は注視している。時々異音がする、不気味で何をしているか分からない等と周辺住民から報告が来ているのでな」

「よぉ~く、分かります」


 腕を組んでヨーコは更に頷く。批判されて警戒されるに十分すぎる程の実績を、ゲンジョウは間違いなく獲得しているのだから。そして自身がその被害を、最も近くで受けているのだから。


「……そこまで同意して、何故?」

「まあ、お給金がいいので。目を瞑らなきゃいけない部分が多すぎて、常時目つぶしされてる感じだけど」

「まあ、そういう事なら強くは言わない。但し、くれぐれも気を付けてくれ」


 忠告を受けてヨーコは愛想笑いを浮かべる。その言葉、二週前の自分に言ってほしかったと思いながら。


「そういえば、何で百貨店デパートの前にいるんです?偶然通りかかった感じじゃ、ないですよね?」

「ああ。近頃、百貨店や商店街で窃盗事件が多くてね。私と部下たちが巡回しているんだ」


 そう言って彼女は、クイッと顎で店の前を指す。


 そこには彼女と同じ制服の警官が二人、店の警備員と共に退店する客を見張っていた。警部補の部下となると十数名、残りの者は商店街を巡回しているのだろう。それだけの人数が対応しているとは、中々に厳重な警戒態勢と言える状態だ。


「ただ少々、妙な傾向があってな……」

「妙な傾向って何かしら?」

「窃盗を働く者の身分だよ。食い詰め者不良な生活困窮者だけじゃなく、上流階級の者もそこそこの数を捕縛しているんだ。今までの窃盗事件と比べると異質過ぎて、我々も頭を悩ませているのが実情といった所だ」


 眉間に皺を寄せて椎津警部補は、ふう、と溜め息を吐いた。その様子から、彼女達が苦心している事がよく分かる。


 そんな三人の様子を、少し離れた所から一人の少女が見ていた。


 灰色の瞳を抱える切れ長の目には、あまり感情が見えない。ヨーコ達と同年齢の彼女は、ヨーコよりも十センチと少し背丈が低い。


 紺を主として裾や袖に白のフリルが付けられたブレザーワンピース、つまりは夕月女学院の制服を着用しており、彼女もまた学院の生徒である事が分かる。足元は茶革のパンプスに白のニーソックスだ。


 彼女は駆けるでもなく足早でもなく、ただ静かにヨーコ達の下へと歩む。彼女の透き通った薄青のロングヘアが、ふわりと風にそよいだ。


「椎津警部補、何か?」


 淡々とした声で短く、意思疎通に必要な事だけを口に出した。


「七星さん。いえ、知り合いが来ましたので少し話を。それでは本官は職務に戻ります」


 ピッと綺麗な敬礼を三者に向け、彼女は去っていった。


「七星のご令嬢、確か紗良さらさん、だったかしら?」

「そう、合ってる」


 ユウコの問いかけに、サラと呼ばれた少女はコクリと頷く。言葉の数は少なく、無口と言うべきか口下手と言うべきか。ただ単純に他者に興味がないというだけなのかもしれない。


「七星さんも買い物?」

「そう」

「あら、ご令嬢ならお金出さなくても商品一つぐらい貰えるでしょ」

「それ、良くないから」


 サラは首を横に振る。少なくとも彼女は、家の力を過剰に頼るような人間では無いようだ。その言葉に感心したようで、ユウコは笑みを向けた。


「なに買いに来たの?」

「晩御飯」

「え、家でご飯出ないの!?」

「うん」


 当然と言わんばかりに彼女は頷く。


「財閥の御令嬢なら使用人の一人や二人いるでしょうに。作ってもらえばいいじゃない」


 サラはふるふると首を振った。


「今、一人で暮らしてる。四月から」

「へぇ、ご令嬢が一人暮らしなんて珍しい。よくご両親が許したわね」

「すっごく引き留められた。でも強行突破した」


 平然と、特に感情を見せる事無く彼女は言う。あまりにも表情が動かない。他国の血が混じった透明な白肌と整った容姿も相まって、まるで舶来人形ビスクドールのようだ。


「強行突破、って?」

「勝手に決めて、こっそり引っ越した。爺や有能」

「ご両親が慌てふためいている姿が目に浮かぶわねぇ」


 大切に育てていた娘がある日突然、家から出ていった。それは親からしてみれば、困惑混乱大慌ての極み。おそらく彼女の執事であろう爺やが、上手くり成したのであろう。


「だからご飯買いに来た」

「自炊は?」

「出来ない」


 ヨーコの問いを受けて、サラは表情を変えずも少ししょんぼりしている。流石に実家では、練習も実戦もする機会が無かったのであろう。自炊したくてもどうすればいいか分からない、と言ったところだ。


「二人は何しに?」

「お使いよ、珈琲豆買いに。すっごい面倒な話だけれどね」

「行先同じ階、案内する」

「わ、ありがとう~。中が結構広いから助かるよ~」


 サラを先頭に、三人は百貨店へと足を踏み入れた。

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