第三十一討 傍ニ在リ
『なるほど~。ユウコは他
『そうね、一応ひと通りは。あ、でも隣人ノ怪だけは分からないわねぇ』
喫茶店で出会いを懐かしんでいた時、彼女はそう言っていた。
今にして思えば、知らないではなく分からないという単語は不可解だ。『知っているのか』に対して『知っているが詳しくは分からない』そういった意味で発するのが普通だが、彼女は『知らない』という口ぶりで言っていた。
疑問にも思わなかった、だがそれは当然の発言だったのだ。
自分自身に対する噂を『知っている』と言ってしまえば詳しく問われる。知らないと言えば、六つを知っていて一つだけ知らないのは妙となる。ゆえに発した言葉が『分からない』だったのだろう。
噂は誰かに語られるがゆえに噂で居続けられる。自ら自身の存在を誇示してしまえば、それは単なる怪物だ。いるがいない、見えないが見える、知っているが知らない。その不安定さ、曖昧さこそが噂なのである。
「ふっ!」
ギィンッ!
首を狙って、
「「活きが良いわね。さっさとくたばりなさいな」」
彼女は僅かに宙に浮き、右手を天にかざす。風がその手に集まり
「「ほら、これをあげるから」」
ザァッ!
ゆるりと差し出された手はヨーコに向けられ、作り上げられた球が放たれる。
自身へと迫る、弾丸を混ぜた竜巻の様なそれを見てもなおヨーコは冷静だ。
「すうぅ……」
大きく息を吸い込み。
「はぁっ!」
活を入れるように、短く強く声を放った。彼女の周囲のヱレキテルがそれに応じるように響き、烈風なる夕立を吹き飛ばして晴らす。辺りに雨が散り、世界の青と白を映して輝く。
気合一声でヱレキテルを震わせる。それが出来ると事前に知っていたわけではない。そうなれ、と。そうする、と。ヨーコは思い、成したのだ。それこそが奇心を持つ者の成せる業である。
「「小癪ね」」
今度は左手を掲げた。青白の世界に赤が輝く。灼熱の太陽を思わせる火球、光の塊だ。だがしかし、それはヨーコに対して放たれはしなかった。
「「地が乾くほどの太陽の暖かさって、いいわよね」」
火球はそのまま浮上し、天井へと辿り着く。すると。
ゴオッ!
瞬く間の内に教室内はおろか、校舎全体が火に包まれた。
轟々と燃える炎が柱を焦がし、壁を焼いて崩れさせる。校内にいた幻魔たちが大急ぎで外へと逃れていく。火の山となったそれの中、ただ二人が視線を交わす。
「「さあ、このまま焼いてあげる」」
ゴウッ!
壁を柱を燃やす炎が蛇のような姿をとって、彼女の隣に
同時に蛇がヨーコへと飛び掛かり、グパリと大きな口を開ける。口の中には舌も牙もなく、どす黒い闇の様な炎の穴があるだけだ
「こんなのっ!!!」
ズドンッ!
白刃が円弧をなぞり、蛇の体を上から下まで切り裂く。両断された蛇は大口を開けたまま動きを止め、火の粉となって弾けるように飛び散り消えた。撒き散らされた火の源が更に校舎を焼き、轟々と炎が広がる。
ヨーコは止まらない。蛇を切り伏せた刃を再度振りかぶる。
ダッ!
「おおるぁっ!!!」
床を蹴って跳び、咆哮と共に切っ先を友へと落とす。
ガギィンッ!
「「変わり映えがしないわね。鉄の棒きれを振り回すだけの馬鹿の一つ覚え」」
羽衣に刃を防がれたヨーコを心底呆れた表情で見て、彼女は冷笑を浮かべた。
普段のヨーコは暢気屋だ。運動に比べると勉学は苦手、数学に至っては赤点スレスレを飛行する。だがしかし彼女は
それを証明するように、空中で羽衣と競り合うヨーコは奇械の左手を大きく後ろに引く。
「じゃあ、変えてあげるっっっ!!!」
ドガァンッ!
左の拳で思い切り、刀の背を殴りつけた。打ち下ろされた刃が
ビギビギ……
バギィッ!!!
「「くっ!?」」
鋼の如くであった灰の羽衣が砕け、破片が散った。まさか打ち負けるとは思っていなかったのか、幻魔は驚きをもって声を発する。
「でりゃぁっ!!」
低い姿勢で着地し、斜め下から相手の胸に向かって渾身の右片手突き。守る衣はすでに無く、その一撃は驚くほどにすんなりと隣人ノ怪を貫いた。
が、しかし。
「うっ!?」
手ごたえが違う、肉に突き刺さった様な感触ではない。ヌルリとドロリと、包まれ呑み込まれるような感覚だ。ヨーコの目に映ったのは、刀が入った部分が雨後の
「「乙女の胸を乱暴に突くなんて無作法ね」」
ヒュオッ
ドバンッ!
「あぐあっ!?」
ヨーコの胴体に何かが叩きつけられる。それは羽衣などよりもずっと重い、水を吸った巨大な土の塊だ。またもや彼女は吹き飛び、手から落ちた刀がガランガランと床と音を奏でた。
「「私、言ったかしら?
隣人ノ怪はそう言いながら、自身の横に生じさせた茶色い塊に手を添えている。
対してヨーコは身体中に泥が付着して、汚れに汚れている。それであっても、彼女は痛みに耐えながら立ち上がった。床に転がる奇械の刃を拾い上げ、再びその切っ先を友へ向ける。
「汚してくれたね、
少し冗談めかして、ヨーコは口元に笑みを浮かべた。先の一撃で身体中が痛い、やせ我慢である。それでも彼女は決して怯む事無く、己の望む所から目を逸らしてはいない。
「「あら、ごめんなさい。食べる前に皮を剥く事しか考えていなかったわ」」
人の言語を話しながら、人間の物言いから外れた事を平然と口に出す。その口元には余裕の笑みが浮かび、目の前の食材を待ちきれずに舌舐めずりした。
ベチャリ
上げた手と連動するように泥濘が動く。先の火炎の蛇は生き物のようだったが、泥濘はただの物体。隣人ノ怪に操られるそれは、いわば巨大な
轟々と燃える建物中、両者はにらみ合う。
状況を画面越しに見ていたゲンジョウは、棚にあった本を漁っていた。不要な物が投げ捨てられ、バサバサと床に散らかっていく。求める本は
「おお、あったあった」
手に取ったのは
「これか」
紙を送っていた手を止める。所々
「
その者は空から人を見て、いるいらないにかかわらず雨を呼ぶ。
「
雲一つ無い快晴であっても雨が降る。日照りの田に水を
「
それは人に
「古き祠の場所は老人も知らなかった。隣人ノ怪は神であるという
画面の向こうで剣を振るうヨーコと泥濘を操る幻魔。ゲンジョウは確信をもって結論を出す。
「
彼は顎に手を当て、ヨーコから聞いた友人との思い出話を想起する。
『私は
『随分珍しい名前ですねぇ、聞いた事もない』
『そうね。私も私以外知らないわ』
私以外知らない。
家族があれば私の一族以外知らない、となるはず。彼女はヨーコとの出会いの初めから妙な事を言っていたのだ。
「
画面の向こうに在る
「応答の必要は無い、ただ聞きたまえ。彼女は古き神、だが力を失った存在だ。本来の彼女は、あくまで間接的に人に恵みと災いをもたらす者。しかし今、キミを直接的に殺さんとしている。これは在り方から大きく外れた行為だ」
泥濘を躱し、一瞬のうちに接近して斬りかかる。しかし出現した炎の壁に阻まれ、その切っ先は何も捉える事は無かった。反撃として上から落ちてくる泥濘、それに気付いてヨーコは咄嗟に後方へ跳ぶ。
「それはおそらく、彼女の身と力に大きな負担を生じさせている。端的に言うならば、このままでは救う以前に自滅の可能性があるのだ」
隣人ノ怪の顔のヒビが更に拡大する。最早右半分は完全に脱落し、体と同じ赤紫の肉が見えてしまっている。残る左側も頬が今にも崩れていまいそうだ。
「即ち、残された時は少ない。どんな形でもよい、彼女の
一方的に早口でそこまでを話し切る。言われた内容の一割も理解できていない、だがしかし少なくとも分かる所だけはしっかりと把握した。全てを聞き終えて、ヨーコはギリリと食いしばる。
「言われなくても消させるもんかっ!!!!!」
脚に力を込める。床がギシリと軋み、彼女が踏み出した衝撃で木板が粉砕された。
「「また?いい加減、諦めなさいな」」
締め上げる蛇のように泥濘に炎が纏う。巨大な火炎の槌が、ヨーコを潰さんと振り下ろされる。それが掠った天井は一瞬で炭となり、バラバラと粉々になって飛び散った。
「諦める?私が?」
ゴオオと音を立てて迫る槌、それは巨大な隕石の如し。
「決めたら、
袈裟斬り一閃。全力全開で放たれた飛燕が、隕石に立ち向かう。
ズドォッ!
だが、その程度で隕石は止まらない。しかし、その程度でヨーコは諦めない。
「もういっちょッッ!!」
下から右横へ振り抜く形で更に一閃。二羽目の燕が大きく羽ばたく。
ガズンッ!!
だが押し返せない。しかし怯まない。
「二で駄目なら、三ッッッ!!!!」
右から左へ、左から右下、右下から真上に。
ズガガッ!!!
締めて五つ。星を描くように飛んだそれは、
ドバァッ!!!!
「「なっ!?」」
泥が弾け、炎に炙られ土となり、衝撃を受けて砂と散った。
砂塵の向こうから
「届いたよ」
「「!!」」
防御も何もできない、完全に無防備な隣人ノ怪の懐。そこにヨーコの顔があった。右肩に担ぐようにした刀を両手で握り、彼女はその刃に力を込める。ヱレキテルが白刃を更に煌めかせ、そして。
「はぁっ!」
ザンッ!
「「がっ、は……っ」」
左肩から右脇腹まで刃が通る。今までの破壊音に比べれば、遥かに静かなヨーコの一撃。だがしかし、それは確実に友へと届いた。
隣人ノ怪の、いや友の体から力が抜ける。刀を放り捨てて、ヨーコはユウコの身体を抱きとめた。
「ユウコ!」
右肩に彼女の頭が載る。グジュリと腐った身体の感触、だがそれに構わずヨーコはユウコを強く抱きしめる。
「あ……う……ヨー……コ?」
「うん、そうだよ!」
「ふ、ふふ。なか……なか……やる、じゃな……い」
静かに深く、彼女は息をする。身体からは既に力はなく、とはいえユウコの顔は実に穏やかだ。それはまるで、睡魔に襲われているかのように。
「ああ……なん、だか、凄く……眠い、わ…………」
「え!?だ、ダメ!寝ちゃ駄目だよ、ユウコ!!」
夢の世界へ行こうとする彼女の事を離さないように、ヨーコはギュッと両腕に力を込める。だが何故だか、先程よりもユウコの身体の感触が
「少……し、休ませて、もら……う、わね……」
「駄目、ダメ、だめっっ!!!」
彼女の身体が段々と淡くなる、次第に透明となり見えなくなる。手に腕に伝わるユウコが消えていく。焦るヨーコに対して、彼女は静かに問い掛けた。
「ねえ……ヨーコ…………」
「わたし、たち…………」
ユウコの目が閉じられる。大きく息を吐き、彼女は。
「しん、ゆう……よね…………」
その言葉を最後に、ヨーコの腕の中から消え失せた。
「……あ……ぁ……」
重さも感触も何もかも。
完全に消えてしまったその手を、彼女は呆然と見つめていた。
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