第三十討 隣人ノ怪

「これは吾輩の仮説に過ぎないが」


 異界をヨーコは駆ける。く疾く、更に疾く。女学院へ向かって、ただ走る。


「ヱレキテルとは、湯船に満ちる湯のような物だと考える。即ち、ある一点に山が出来れば、別の一点に谷が出来る。一つの囲いの中で力が流動しているのだ」


 木っ端幻魔には目もくれず、はだかる者を鎧袖一触がいしゅういっしょくの下に討ち滅して。


「女学院はその湯船だ。内部にヱレキテルが満ち、流れ動いていた」


 障害を全て越え、一直線に突き進む。


「その湯船の栓を抜いたのは我々だ。七不思議の怪を討った事で均衡が崩れたのだ。五つを滅し、一つを連れ出した事で湯船の中に山も谷も消え失せた」


 そして辿り着く、我が学び舎の門に。


「ゆえに最後の怪は力を得られず、キミを惑わす事が出来なくなったのだ。そして、学院に居続ければどうなるかを察した。ゆえに、潮時と発した」


 門から真っすぐに、高校校舎へと突き進む。骨馬の幻魔が道を阻むが、その首を殴り飛ばして粉砕した。倒れゆくそれには目もくれず、ただただ前進あるのみ。


「自身が消える前に、新たな力を得られる場所へ。それ即ち、純粋なる幻魔として生きるという事であろう。長い時を掛けて女学院に張り巡らせた力と同等の力を手にするのは、容易ではなかろうからな」


 建物の入口扉を開け、校舎へと入る。


「だが、それよりも先に力を失って消滅する事も考えられる。むしろこちらの方が現実的であろう。消えゆく者に助けの手を出せる者がいるとするならば、ヱレキテルを操る事が出来る者。それ即ち」


 いつもの日常と同じく階段を上り、その場所へと至った。


「討滅士たる、キミだけだ」


 引き戸に手を掛け、ヨーコは開く。ついさっき、いつもの通り日常の挨拶をして開いたその扉を。彼女は挨拶を口にせず、学友たちの挨拶も無い。


 だがしかしそこには一人だけ、ヨーコがよく知る彼女がいた。


「ユウコ」


 自身に背を向けて、窓の外を見る者の名を口に出す。それを受けた者は振り向く事なく、声へと答えた。


「ああ、ヨーコ。貴女だったのね」

「ああ、ヨーコ。お前だったんだ」


 声が二つ、両者は僅かにブレて発される。

 一つはヨーコが知る彼女の声。もう一つは地の底から響くような重く低い声だ。


「こんな所で会うなんて奇遇ね」

「こんな所に来るなんて馬鹿ね」


 片方はいつもの通りに悪戯っぽく。知らぬ方は冷たく罵倒するように。


「そういえば、七不思議を調べているって言ってたわね」

「そういう事、七不思議を殺しまわってたのはアンタか」


 ついこの前を思い出して懐かしみながら。今に至る事を理解して憎しみながら。


「どう?知りたい事は知れたかしら?」

「ねえ。やりたい放題楽しかったかしら?」


 重なる声は教室に響く。ぐわんぐわんと反響するそれに、ヨーコは答える言葉を持たなかった。


「ああ、そうそう。聞きたい事があったのよ」

「ああ、そうそう。聞きたい事があったのよ」


 全く同じ言葉。だが、その温度は全く違う。

 一方は友人に気軽に問うように、他方は相手を見下して詰めるように。


「「わたしたち、親友よね?」」


 僅かにズレていた二つの声が重なる。それは真っすぐに、ヨーコへと向けられた。


「当然だよ。それがたとえ、ユウコが何かした結果だとしても」


 友の顔は見えない。代わりにその頭をしっかりと見てヨーコは答えた。


「「そう」」


 短い一言。それと同時に、彼女は顔だけ振り向く。だがしかし、見えた右半分の顔、それはヨーコの知る彼女の顔では無かった。


 綺麗だったその肌は水が枯れた大地の如くヒビ割れ、悪戯っぽく他人ひとを見ていた目は白が黒に染まっている。吸い込まれるように綺麗な薄紫ライトパープルの瞳、それだけがそのままである。異常な状態の中で変わらぬ輝きが違和感を覚えさせ、ゾクリとした怖気おぞけが呼び起こされた。


「「じゃあ」」


 彼女は完全に振り返る。

 顔の正中せいちゅうから左はいつもの友人の顔。だが、割れ崩れた右側からヒビが侵食し、墨汁が紙に滲むように白目が黒に染まっていく。


 彼女は満面の笑みを浮かべる。だがしかし、それはヨーコの良く知る顔ではない。邪悪な悪意を包み隠すために貼り付けられたような、ただ笑顔であるだけの表情だ。


 煮凝にこごりにした違和感を発しながら、隣人ノ怪友人は怪しい光を目に宿す。そして幻魔は右手を前に出し、ヨーコを指さした。


「「貴女の事、べるさせて?」」

バリィンッ!!!


 彼女の言葉と同時に、全ての窓が外から内に割れる。無数の硝子が宙を舞い、幻魔が指した方向へと横殴りの雨の如く降り注いだ。


「くっ!」


 圧倒的多数の透明な弾丸を躱し切る事などできない。すぐさまそれを理解してヨーコは回避を捨て、奇械を纏った左半身を半歩前に出す。左腕で顔を防御し、来たる鋭き雨と対峙した。


バババリガッシャァッ!


 硝子が砕け、光が散る。

 壁に床に光の粒が乱れ落ち、赤い滴が数滴落ちた。その源はヨーコの右頬、鋭利な雨を防ぎきれずに僅かに傷を負ったのである。


「この程度っ!」


 ブンッと腕を横へ振り、奇械に付着した硝子を払う。


 防御によってヨーコの目から隣人ノ怪が見えなくなったのは、そう大した時間ではない。だがしかし、その僅かな時で彼女の姿は大きく変わっていた。


 耳隠しに整えられ、艶やかだった黒髪は振り乱された長い白髪へ。矢を意匠とする矢絣やがすり柄の羽織りは裾と袖が破れ、所々に大穴まで空いている。お洒落に気を使って着ていたワンピースはその姿を消し、ズタズタになった瑞穂着物に代わっていた。


 前面の着物は完全に破れ落ちて体があらわとなっている。だがそれの皮膚と肉は溶けるようにただれ腐り、赤と紫、そして所々にカビの様な緑も見えた。髪、顔、体に着物。それらの惨状があるものを明確に想起させる。


「亡者」


 画面越しに一言、ゲンジョウが呟く。野に打ち捨てられて供養もなにもされず鳥獣とりけものついばまれて朽ちた人間の体、それを表すような姿だった。単語を証明するように、隣人ノ怪の体からはボタボタと赤黒の液体が滴っている。


「ユウコ、今助けるからっ!」


 刀を握る手に力が入る。窓側にいる彼女に向かって廊下側から一足飛びで接近し、光る白刃を振り下ろした。


バヂィッ!

「「へぇ……」」

「うっ!?」


 キロリと隣人ノ怪がヨーコをめ付ける。

 いつ現れたのか、両者の間には天女の羽衣の様な薄布があった。それは灰色に濁り、所々に穴が生じている。刀で容易く切り裂けるはずの厚みのそれは、まるで鋼鉄のようにビクともしない。


「「他の七不思議と同じように、私も殺すのね」」

バァンッ!

「あぐっ!」


 灰の羽衣が隣人ノ怪の手足のように自在に動き、思い切り蹴るようにヨーコの胴を叩く。その威力は身体を宙に浮かすに十分で、彼女を容易に吹き飛ばした。


ドッガァァンッ!


 整然と並んでいた机と椅子を巻き込み、更には教室と廊下を隔てる壁を粉砕してヨーコは廊下の壁に叩きつけられた。木切れへと変わった机らの残骸が、バラバラと廊下に散る。


「ぐっ、なんのっ!」


 それらの残骸を跳ね除けて立ち上がり、ヨーコは我が友を見る。特に感情の無い顔で幻魔は、宙に浮く羽衣を片手で撫でた。それは体の周りをグルグルと回り、定位置である背後に整然と舞い戻る。


「「私は、お腹が空いてるの。親友なら助けて?」」

「そんな変なお願い聞けないよ。親友ならその位は分かるでしょ?」

「「あら、残念。じゃあ、首でもねて調理しなきゃ」」


 隣人ノ怪は両腕を大きく広げて掲げる。

 まるでヨーコを懐に迎え入れるかのような恰好。だがそんな友愛など、気が触れた幻魔にはありはしない。ただそこにいる者を自分の所有物だと、これから食べる昼食ランチなのだとでも言いたいのであろう。


「知ってるでしょ、ユウコ」


 冷静さを取り戻すために深く息を吸い、大きく吐く。刀を中段に構え、その切っ先の向こうに親友の顔を捉えた。その目には覚悟の光が宿り、総身に意気が満ちる。


「私はやると本気で決めたら、梃子てこでも動かないんだよっっっ!!!」


 その言葉と共に、ヨーコは親友へと立ち向かった。

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