第二十九討 我ガ隣人

 翌週。

 ヨーコはいつも通り学校へ。そして彼女が心配する友人は珍しく、遅刻が危ぶまれる朝礼直前に教室へとやってきた。


「ちょ、ユウコ大丈夫!?」

「あ、ああ、大丈夫、大丈夫。ちょっと寝つきが悪かっただけよ」


 先週が青い顔なら今日は土色。顔色はすこぶる悪い。ヨーコの心配を誤魔化し、ユウコは席に掛けた。すぐに朝礼が始まった事でそれ以上の会話は出来ず、心配しつつも毅然とした教師の言葉を聞く。


「近頃、商店街でガラの悪い者が増えているらしい。行くな、とは言わないが、くれぐれも注意するように。……おい、日照雨そばえ、大丈夫か?」


 彼女の言葉にクラスの全員がユウコを見る。突っ伏す寸前の状態で、彼女は少し息を切らしていた。


「だ、大丈夫、だいじょうぶ、です」

「いや、絶対大丈夫じゃ無いでしょ!先生、私が医務室に連れて行きます!」

「浦ヶ瀬、頼んだ。日照雨、無理なようなら養護の者に言うんだぞ」


 教師の言葉を背に受けて、ヨーコとユウコは教室を後にする。医務室へと辿り着くも養護教諭は生憎あいにく不在のようで、部屋の中には誰もいなかった。


「先生呼んでくる!」

「……悪いわね」

「親友なんだから当然だよ!」


 いったん閉めた入口引き戸に手を掛け、ヨーコは振り返って言った。


ザザッ


「……う?」


 それはまるで、映画キネマの画面にフィルムの影が映り込むように。ザリッとした砂を噛んだような、違和感と少しの不快感を覚える何か。


「しん……ゆう…………?」


 親友。疑問も何もなく発した言葉が、頭の中で響く。それが正しい表現ではないかのように、根源からの問いを表に出す様に。


「あ…………う…………???」


 頭に手を当て、ヨーコはよろけた。自身の目が映している親友の姿が、ぐらりと揺れる。自分が姿勢を崩したからではない、彼女の姿が陽炎のように揺らいだのだ。


「ああ、そうなのね」

「え…………」


 先程までの苦し気な声とは全く違う、冷静で何かを諦めたような静かな言葉。それはヨーコの友人の口から発され、決して大きくない声なのに音の無い部屋の中に反響する。


「潮時、という事かしら」

「なに、言って……?」


 窓から差し込む日光が影を落とし、彼女の姿が黒く染まる。真っ黒な姿でありながら、その薄紫ライトパープルの瞳だけが不自然な程に明るく光っていた。


「ねえ、ヨーコ」

「な、に?」


 頭の中に響く、その人物の言葉。脳内をかき乱されるような感覚がヨーコをむしばむ。


「私たち、親友よね?」

「…………」


 静かな、静かな問い。

 それはスウッとヨーコの頭の中へ入るが、その言葉の意味が理解できない。目の前の誰かは、親友なのだろうか。いや、そもそも友人なのだろうか?名前は知っている、ユウコだ。だが、彼女はいったい誰なんだろうか。


 言葉を返せないヨーコを見て、知れども知らぬ彼女は笑った。


「さようなら、お別れね」


 その一言を最後として、瞬きをしたその刹那に彼女の姿が消えた。と同時にヨーコを蝕んでいた脳内の渦は収束する。呆然としたヨーコは、いま何が起きたのかを理解できずにその場にたたずむ。


「…………はっ!?」


 脳内でパチンと何かが爆ぜたかのように、ヨーコは我に返った。すぐさま医務室の扉を乱暴に開けて、彼女は自身の教室へと駆け戻る。辿り着いた教室の引き戸を打ち破るかの勢いで開けて、ヨーコは中へと駆け込んだ。


「おお、浦ヶ瀬。日照雨そばえの様子は―――」

「すみません、体調不良なので帰ります!!!」

「は!?お、おい、浦ヶ瀬!?」


 自身の鞄を手繰たくるように持って、病人では絶対に出せない勢いでヨーコは走り去る。教師は元より、組の中の全員が呆気に取られて何も発せなかった。






 走る、走る、走る。

 道を行く人々を右に左に躱し、走る馬車の馬を追い越す。彼女が向かう先はただ一つ。不可思議を研究する、怪しい研究所だ。


バァンッ!!

「博士!!!!!」


 建物が崩れるかと思うほどの威力で扉を開く。


「む、こらこら。あまり乱暴にするんじゃない、修理が大変だろうが。今日は随分と早いな、だがその分、吾輩の研究に貢献できるという事。実に実に有意義な―――」

「博士」


 はあはあ、と息を切らしながらヨーコはゲンジョウを見る。いつものおちゃらけた様子はなく、その目に強い意思を宿して真っすぐに彼を射ていた。


「ふむ、話を聞こう。まずは座りたまえ」


 ゲンジョウもまた大仰な態度を納め、真顔で彼女に着席を促す。


 ヨーコは先程起きた事を洗いざらい話し、ユウコなる人物との想い出をスラスラと話した。ゲンジョウは全てを静かに聞き、そして口を開く。


「一つ問題だ。二年連続で同じ組になる確率はどの程度だと思うかね?」

「ええと……?」


 急な問題にヨーコは戸惑い、すぐに答えを出す事が出来ない。


「更に席替えが三度、ああいや二年になった時の席も含めれば四度か。その全てで横の隣席となる確率はどの程度だ?」

「わ、分からないです」


 ヨーコの回答を受けても、腕を組んだゲンジョウは茶化す事はしない。


「そうだな。だが、これだけは分かるのではないか?」


 彼の黒い瞳がヨーコの薄茶色ライトブラウンの瞳を真っすぐと見る。


「あり得ない程に低い確率だ、と」


 その解はヨーコでも理解出来た。そしてそれが示すであろう事も。


「ユウコが、そうなるようにした……?」

「で、あろうな。あずまの令嬢から聞いた噂と照らし合わせるならば彼女は」

「神、様…………?」


 ずっと隣にいた人物が神。そんな事が現実だとは思えない、理解できない。


「それは分からぬ、ただし『まだ』が付くが。どうすれば良いかなど、今のキミに吾輩が言う必要など有るかね?」


 ゲンジョウの言葉が意味する所、それをヨーコは自ずと理解していた。


「行きます、異界へ」

「うむ。では始めようではないか、異界探索いつもの事を」


 ボロボロの白衣の袖をグイとまくり、博士は装置を起動させる。研究助手は絶対の意思を胸に宿し、異なる世界へと続く丸い門を潜り抜けた。


 衝撃も音も、異界へ抜ける際に何もないのはいつもの通り。自分と同じ容姿の気弱な少女が出迎えるのもいつもの通り。青白の世界を真っ白な太陽が照らすのもいつもの通り。


 ただ一つ、ヨーコの目に宿る熱だけが違っていた。


「ユウコ、一方的に言いたい事だけ言って、いなくなるなんて許さないよ!」


 彼女は駆ける、確信を持って。

 いつもの通学路を、いつもと違う奇心をもって。


 それはただ、隣人ノ怪我が友に辿り着くために。

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