第二十六討 瑞穂庭園ノ怪

 異界は元界の写しの様な場所だ。

 建物の配置はほぼ同じであり、その意匠も変わらない。通りを飾る店々も相違無く、石畳の道の真ん中に軌条レールを持つ路面電車も同じだ。大きな違いがあるとすれば、人間がいない事でそれらの殆どに光が無い事であろうか。


 それゆえにヨーコが踏み入った瑞穂庭園も、つい数時間前に見た場所と変わらない。だがしかし庭園の木々に彩る緑はなく、吹雪を作っていた桜の花にも色が無い。全てが青白あおじろで、なんとも寒々しい場所となっていた。


「木の影から何か出てきそうで怖いな~」

「そう言いつつ、尻込みしないのは実に素晴らしい」

「お、私ホメられました?」

「図太さに関しては天下一を狙えような」

「全っ然、褒められてなかった!」


 残念ながら、労働報酬の中に賞賛は含まれていなかったようだ。渋い顔のまま、ヨーコは寒色さむいろ木立こだちの道を歩いていく。


 何度も何度も暗がりから幻魔が現れ、その度にヨーコは応戦する。人間大の蟷螂カマキリに顔面から禍々しいきのこが生えたアリ、潰された蜥蜴トカゲの様に扁平へんぺいな体の狼、幻魔はやはり多種多様だ。


 斬りつけられ、酸を吐かれ、飛び掛かられ。その全てを切り伏せて奥へ奥へと進む。この程度、異界慣れした彼女にとっては何の障害にもならないのだ。異常に日常を侵食されてそう思えてしまう、実に悲しい事に。ヨーコは心の中で静かに嘆いた。


「ひぃ~、腕が痛~い」

「おや、どうしたのかね?」

「いや、博士のせいですよっ!」


 刀を持つ右の二の腕を、奇械で包まれた左手でさする。無償労働ボランティアの対価に彼女は、疲労という得難えがたい物を受け取っていたのだ。そのせいで、ちょっと握力に不安が残る。


「噂は無害そうであるからな、腕がどうなっていようと探索には問題あるまい」

他人事ひとごと過ぎる発言だぁ」

「実際、吾輩が実行する事ではないからな」

「いつか異界に放り出してやる……っ!」

「無駄だ、帰還は容易だからな」


 強大な幻魔に近寄らなければ、異界のどこからでも研究所へ帰還する事は出来る。好き好んで幻魔に自ら近付く奇特な者など、世の中にそうそういるものではあるまい。


「くそぅ」


 稀有けうなる奇特な少女は一言、そう呟いた。






 うろうろ、うろうろ。

 舶来庭園と同じく、瑞穂庭園もまた広い。迷路無駄な物が無いだけマシだが、とにかく水場が多いのだ。人工的に作られた川や池、石を積んで作られた小さな山からは滝が流れ落ちている。


 勉学の合間の休憩には良い場所であるが、異界においてはただ不気味なだけ。そして、そこを住処にする幻魔が溢れる地に様変わりしている。無害なものも多いのだが、それと同等かそれ以上に襲ってくる幻魔が多い。


 巨大百足むかでが幅を利かせていた舶来庭園と比べると大きな幻魔は少なく、反面で数が多いようだ。つまりはヨーコにとっては、結局どっちも同じという事である。


「せぃっ!」

ゾパンッ!


 樹上からりてきたデッカイ蓑虫ミノムシを叩き斬る。真っ二つになったそれが自らの糸に吊られたまま、振り子時計のように右に左に揺れ動く。それを躱す様に身を屈めて、ヨーコは先へと歩を進めた。


「おりゃ!」

ドズンッ!


 木の枝に擬態していた七節ナナフシが飛び掛かってきた。細長い胴体の中心に横蹴り一発、だったそれがの字に変わってスッ飛んでいった。木々の向こうで何かがし折れる音を聞いて、ヨーコは真っすぐ道を行く。


「うーん、とりあえず池まで到着、っと」


 歪なひょうたん型の池は、他の場所と比べて幻魔が少ない。視界が開けた事もあり、それらを回避するのは容易であろう。池の縁を歩きながら、カエルを探そうと水面を見る。


 僅かな風に撫でられて水が軽く波を立てた。揺らめく水面みなもは青白の世界にあっても美しい、だが水底みなそこは沼のように濁って見える。まるで底知れない闇を包み隠しているかのようだ。


「カエル、か~え~る~」


 探しカエルを求めてヨーコは目を凝らす。月夜の海を見るが如くであるため、中々に水中を見るのは困難である。しかし彼女は諦めない、どうせ見つかるまでゲンジョウが帰してくれないのだから。


「お、カエルいたっ!」


 少し先の水面に白い腹が見えた。背泳ぎするカエルと言う事ならば、腹が見えるのが当然というもの。つまりは瑞穂庭園ノ怪と思しきものを見付けたという事であり、さっさと帰る事が出来るという事だ。


「ん?」


 小走りで近寄っていく途中で、その物体の違和感に気付く。一切動かず、背泳ぎしている様子も無いのだ。目の前まで近づいて、ヨーコはその原因を発見した。


「うわぁ、どてっぱらに穴あいてるぅ……」


 ヨーコの上半身位の大きさはある、額に角が三本生えたカエルの幻魔。その腹には風穴があり、周囲には臓物が散っていた。自身でやったとは思えない、何かしらの敵に襲われたのであろう。


 辺りに影が落ちた。異界の空にも雲はある、月の様に不可解な程に白い太陽を遮ったのだ。死骸から視線を上げたヨーコは、影が落ちて暗い池を広く見た。


「んん?」


 カエルは水か地にいるもの、ゆえに足下と水面を見ていた。だから、そこにある物に気付かなかった。


 池の中心の四阿あずまや、そこに圧し掛かるようにしているたわら型の物体。影の中でもさらに黒いそれは、細い無数の糸を木々に結んでいる。それらは人間の五、六倍の巨大な繭を支えるには随分と頼りない。


 雲が動き、太陽の顔を衆目にさらす。明るくなった世界の、その場所にある物体は。


「カイコのまゆ?」


 それは本来、手のひらの上でコロコロと転がせるほどの大きさだ。人が完全に家畜化した存在であり、瑞穂の貿易品としても優秀な真っ白な生糸を吐き出す益虫。非常に価値のある虫である。


 そう、真っ白な糸を吐き出すのがカイコであるはず。池の真ん中に鎮座するそれは、真っ黒な生糸で繭を作っていた。それは本当にカイコなのか、異界においてその疑問は解を得られぬ事なのかもしれない。


「っ!」


 その光景を元界で見ていたゲンジョウが閃く。瑞穂庭園ノ怪の噂、それが指し示すものの正体について。


 机にあった紙を乱暴に手繰り寄せる。上に載っていたペンや定規が、ガラガラと床へ落ちた。されど彼はそんな事は気にも留めない。


「カエルとは、土の虫」


 広げた紙に文字を書く。『蛙』という文字を。


「それを背泳ぎ、つまりは反転させる。つちの逆となるは、あめ


 天を書き、その下に虫を書く。そこに出来上がったのは。


「即ち『かいこ』瑞穂庭園ノ怪、正体見たり」


 その文字から顔を上げ、映し出されるそれへ目を向ける。


 いまだヱレキテルに強い乱れは発生していない、それは何故か。生糸を取る蚕。その繭は本来、幼虫からさなぎへ、蛹から成虫へと至る彼らの揺りかごだ。つまり、その繭の中身こそが本当の脅威である事の証左である。


「ヨーコ君、その蚕が瑞穂庭園ノ怪だ」

「え!?どういうことです、それ?」


 ゲンジョウは自身が至った解を手早く伝える。それを受けて、ヨーコは大きく頷いた。


謎かけクイズみたいですねぇ」

如何いかにも。この噂を作った者は、随分と洒落心のある文学者であったのかもしれぬな。まあそれはそれとして、その場を早めに離れるべきだと…………ふむ、遅かったようだ」


ビィッ


 黒い繭の上部が裂ける。その割れ目からより黒い脚が顔を出し、更に繭を破り開いていく。と同時に、ゲンジョウが見るヱレキテル測定装置の針が乱れ動いた。それが示すのは、強力なる幻魔の誕生だ。


バッ!


 繭よりでたのは黒の蚕。真白ましろな姿ならば愛らしい、されど純黒じゅんこくな姿となると恐ろしさを孕む。


 大きく広げたはね太袖袖口の太い着物のように、太めの胴は帯締めた着物のように。繭掴む脚は毛に覆われ、頭から伸びる二本の触角は羽箒に似ている。


 体とは逆に白く大きな目は、細かな複眼全てに景色を映す。それが映すものの一つ、池の縁にある小さな生物に蚕は興味を示した。触角はヒクヒクと動き、黒の蚕は翅と胴を僅かに持ち上げた。


バサァッ!


 巨体を宙へ浮かせるほどの羽ばたき。それが発生させた強風は、池と木々を大きくざわめかせる。ヨーコは左腕で猛烈な風から顔を保護しつつ、舞い上がったそれから目を離さない。


「蚕って、飛べましたっけ」

「いいや。幻魔ゆえの力であろう」


 そんな話をしながらもヨーコは、両手でしっかり刀を握って中段に構えた。蚕に切っ先を向け、相手の出方を探る。池の半分を挟む状態でかなりの距離がある、何が起きても対応は可能だろう。


ヒュワッ


 視認できぬ何かが宙に舞う。それは瑞穂庭園ノ怪の傍らで一瞬渦を巻き。


「うっ!?」


 何かが来る。それを気取けどって、ヨーコは咄嗟に顔を横に逸らした。


パズッ!


 何かがヨーコの頬を掠める。背後から鳴ったのは、何かを硬い物に突き刺したような音だ。恐る恐る顔をそちらに向けると背後の木の幹に、人間の目玉程度の大きさの貫通穴が生じていた。


「ひぃぃ」


 ヨーコは震える。それも当然、顔を逸らさなかったら風穴が空いていたのは自身の顔面だったのだから。はらり、と何かが彼女の肩へと垂れ下がった。


「飛んできたの、この糸……?」


 肩に乗ったそれを手にする。髪の毛ほどの太さで少し艶のある綺麗な糸、そんなものが木の幹に穴を空けたのである。ヨーコの背筋にゾワッと悪寒が走る。


「退避ッッッ!!!」


 脱兎のごとく駆け出した。ほぼ同時に彼女の背後で木が倒れる、風穴を空けられた木に無数の糸が飛来して幹を乱れ撃ったのだ。幹を蜂の巣のように削られた木が倒れるのは、至極当然の事である。


ダッ

ビスッ!

タッ

バスッ!

トッ

ドツッ!


 ヨーコが一歩進むと同時に、背後で音が鳴る。立ち止まる気も振り向く気も起きない、止まれば眉間かこめかみを撃ち抜かれるのが関の山だ。ゆえに彼女は走る走る。


「うわーん、接近するしかないーっ!」

「頑張りたまえ、死にたくないだろう?」

「当然ですーっ!逃げられないの、辛いーーーっっ!」


 ヨーコは全力疾走しながら嘆いた。

 そう、逃げられないのだ。ゲンジョウに止められているからではない、走りながら気付いたのである。いつの間にか、池を包み込むように黒糸の繭が出来ている事に。


ダガガガガッ!

「うひぃぃぃっ!」


 雨というには貫通力が高すぎる糸の暴風雨。それを何とか背後に置き去りにしながら、ヨーコは木々の影に隠れるように進み続ける。正確な狙いが定まらないのか、蚕は滅多矢鱈めったやたらに糸を繰り出す。


 猛攻をやり過ごし切ったヨーコは、遂に池の中心の中島へと続く朱塗り橋へと辿り着いた。蚕が飛ぶのは四阿あずまやに寄り掛かった繭の上空、おおよそ五メートルだ。


「ぬおおおおぉぉぉっっ!!!」


 全力疾走を超える全力。橋の上には遮蔽物が一切無い、自身の速度で攻撃を躱す以外に選択肢は無いのだ。駆ける速さ、穿つ速度、どちらも高速でありながら、僅かにヨーコの脚が勝る。


タッ

ダンッ!

バッッッ!


 軽やかに四阿の屋根に跳び、強くそれを踏んで更に跳躍。繭の上へと降り立って、グッと足に力を入れて垂直に空へと舞った。


 ヨーコが直下に至った事に気付いた蚕が、広げた翅を大きく羽ばたかせる。更に上へとその身を持ち上げるために。


 だが、ヨーコはそれを許さない。両の手で握った刀を、全身をひねる形で振り抜いた。


「ふんぬっ!!!」

ジパッ!


 繰り出した刃、その切っ先が蚕の胴をなぞる。薄皮一枚程度を裂くだけで、致命傷などとは決して言えぬ傷。翅の羽ばたきによる上昇が、ヨーコの一撃よりも早かったのだ。しかしそれで諦める程、彼女は潔くはない。


「もう、いっちょ!!!」

ヒュパッ!!!


 届かないならば、送り届ければいい。

 全力で振った刃が描く孤が光る。飛燕、それは飛ぶ斬撃。羽化したての蚕の慣れぬ飛行よりもそれは速く、燕は幻魔の胴を貫いた。


ズドンッ!


 鳴き声を上げる器官の無い蚕。だが斬撃を受けて、大きく反らせた体が悲鳴に代わる。僅かに滞空した幻魔は、全身の力を無くしてヨーコと同じく自由落下を始めた。


「よしっ!」


 グッとヨーコは拳を握る。しかし。


「ん?…………ヤバイ!!!」


 四阿から繭、繭から宙へ。彼女は真上に跳んで蚕を斬った。

 そう、真上に跳んだのだ。斬った相手は自由落下を始めている、もちろん真下へと。簡単に言ってしまうならば、このままでは潰されてしまうのだ。


「うおおっ!」

グルンッ


 空中で全身を反らせて、前方へ一回転。着地地点をずらした事で、彼女の背後に蚕は落ちた。繭と四阿が粉砕され、池に瓦礫が飛ぶ。それが納まった後、ヨーコはようやく立ち上がった。


「あっぶなぁ~、まあこれで…………んん?」


 振り返って蚕を見た彼女は首を傾げる。その巨体に、真っ黒な生糸が集まっているのだ。


「ほお、そういう事か。なぜ蛙が腹を抜かれていたのか、ようやく分かった」

「え、それってどういう?」

「その蚕は繰り返しているのだ。成虫と繭、つまりはさなぎをな。先の蛙は前回の成虫によって射られたのだろう。ああ、噂の『背泳ぎする蛙がいる』とは『蚕が射る』なのか。ふむふむ、やはり文学者の作った―――」

「いや、そんな事はどうでもいいですっ!つまりまた羽化するって事ですよね!?」


 口早に言葉を紡ぐゲンジョウに構わず、ヨーコは朱塗りの橋を全力疾走。このままこの場所に居続ければ、再び蚕と戦う事になるのは必至。面倒事からは逃げるが勝ちである。


 風流なる庭園の中を彼女は駆け抜けたのだった。

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