第二十五討 噂ノ妙
本日の授業は全て終わり、生徒たちは思い思いに放課後を過ごす。ある者は部活動で仲間と切磋琢磨し、またある者は
ヨーコはユウコと共に下町へ繰り出すか、誰かの頼みごとを消化するのが普段の日常。しかし今日は違った。朝から体調が優れないユウコが真っすぐ家に帰る事となり、ヨーコは一人となったのである。
「ユウコ、大丈夫かなぁ……」
革鞄を横に置いて、下駄箱でブーツの紐を結ぶ。
一つ一つの下駄箱が大きいおかげで、長さのあるブーツも型崩れなく入れられるのが実に助かる。こうした細かい部分に気を配っているあたり、女学院が様々な配慮に苦心しているのがよく分かる所だ。
ぎぃ、と扉を開き外に出る。
ヨーコと同じように一人で帰る者、友人と語らいながら帰路を行く者、それぞれが門へと向かって歩んでゆく。帝都組は校内の寮へと帰る者が多数である事を考えると、彼女達の多くは外様組であろう。事実、制服ではなく私服である者が多数だ。
ヨーコもまた門へと向かって歩いていく。特に語らう相手もないため、黙々と足を前へ前へ。今日はこのあと何をしようか、そんな事をぼんやりと考えていた。
「おお、ちょうどよい所に」
「げ、また出た」
「吾輩を野ネズミか何かのように言うのは感心せんな」
十日ほど前と同じく、突然現れたゲンジョウ。ヨーコは露骨に嫌な顔で彼を出迎える。彼女は確信していた、絶対に面倒な事に巻き込まれると。それ故に足早にその場を去ろうとした。
「おっと、何処へ行くのかね?」
「帰るんですよ、それ以外にあります?」
「んん?吾輩を手伝う以外の選択肢が有るのかね?」
「この変人博士は……」
他者の事など気にせずに意を通すのがゲンジョウの常である。
この状態の彼を無視すればどうなるか、ヨーコは異界探索の始めに経験した故によく知っていた。彼の発明品は実に多様多彩であり、他者を捕縛する事など容易いのである。つまりは彼と出会った時点で、そのまま帰るという選択肢は消滅したのだ。
「はあ…………。で、なんの用ですか?」
「校内に設置した吾輩の発明品の整備だ。まあ、そちらは事のついでなのだがな」
「ん?他に何かする事があるんです?」
自身が設置した発明の点検は彼の仕事。それを付加要素のように言うとは、何と不誠実な事であろうか。一般人として当然の常識を備えているヨーコは首を傾げる。
「無論、残る七不思議に関する調査である」
「ええと、残ってるのは瑞穂庭園ノ怪と隣人ノ怪ですよね。あと二つだけなのに、今更調べる意味あります?」
「
はあ、とため息交じりにゲンジョウは肩をすくめた。平静を装いながらもヨーコの口元は、まろび出そうになる文句を耐えるようにぴくぴくと引き攣っている。
「隣人ノ怪だけは他の六つと異なり、場所ではない。調べねばどうにもならんだろうが」
「ああ、そう言う事ですか。初めからそう言え、このやろう」
「目上の者に対する口には気を付けたまえ、
口という堤防は容易く決壊し、ゲンジョウに対する文句がまろび出た。学院の品位などよりも、自身の
「まあいい。ついてきたまえ、まずは
「へぇ~い」
ゲンジョウが言う面倒事とヨーコが考える面倒事は似ているようで全く違う。さっさと帰りたい思いを横に置かず前面に出しながら、ヨーコは彼の後を追った。
「ぜぃ……ぜぃ……、つ、疲れた…………」
「なんだ、情けない。若いのだからもう少し体力を付けるべきであるな」
「こ、こき使っておきながら…………っ」
ヨーコが先程まで行っていた仕事は、二十五
だが何よりも大変だったのは、自動で清掃を行う黒板の整備だ。黒板を取り外して分解整備した後に、それを壁面に取り付ける作業。一時的とはいえ黒板を一人で支えていた事で、彼女の腕は作業が終わった今なおプルプルと震えている。
なお、黒板の重さは四十
「というか、私が手伝わなかったらどうしようとしてたんですか」
「教師や他の生徒に手伝わせるだけだが?皆、基本的には協力的であるからな」
何故そんな事を聞くのか、といった顔でゲンジョウは言う。
彼の言う通り、放っておいても協力者が現れる事が多いのだ。というのも、学院には男性が殆どいない。いたとしても既に六十を超えた、高家付きの執事程度だ。そんな中に顔立ちの整った、三十やそこらの男がいたらどうなるかなど推して知るべしである。
更に言うなれば、身なりを整えたゲンジョウは他者からは紳士と見られている事も大きいだろう。以前ユウコから噂を聞いた際には、詐欺師も裸足で逃げ出すほどの大噓つきだとヨーコは思った。
「そんな事はどうでもよい、学院関係者に適当に話を聞いていくとしよう。……ふむ、そこなお嬢さん、少々よろしいかね?」
「あ、は、はい。なにかご用でしょうか……?」
特に当たりを付ける事もなく、近くを歩いている少女を呼び止める。突然見知らぬ男性から話しかけられた彼女は驚きつつも、少しだけ顔を赤らめて
「学院の七不思議というものを小耳に挟み、少々興味が出たのだ。七不思議、ご存じかね?」
「はい、一応は」
「では聞きたい。隣人ノ怪に関して詳しい所を知っているだろうか」
単刀直入にゲンジョウは本題をぶつける。それを受けて少女は知っている事を洗いざらい話し、事が済んだらすぐに詐欺師から解放された。ほんの少しだけ残念そうに、彼女は元通り帰路につく。
通りがかった者を手当たり次第に、完全に無作為に捕まえて同じ事を実行していく。生徒教師問わず、おおよそ三十人程度に聴取したところで彼はヨーコの下に戻ってきた。
「妙だ」
「何がですか」
「実に妙だ」
「いや、だから何が」
顎に手を当ててゲンジョウは呟く。
「適当に聞いてみたが、隣人ノ怪について詳細に知る者がいない」
「どういうことです?」
「生徒の中に潜んでいる、それだけだ。図書室ノ怪などのように、殺されるだのの詳しい噂が出てこないのだ」
「あ~、私も知らないですねぇ」
言われて初めて気付き、ヨーコは腕を組んで考える。
図書室ノ怪は落とされた本に関連した形で殺される、舶来庭園ノ怪は戦いを見たらなますに斬られる、双身ノ怪は自身の死に様が映る。
運動場ノ怪の実態は恐ろしき幻魔に追われていた少女だったが、噂では首を取られるという事だった。大講堂ノ怪については
明確に死を表す数々の噂と異なり、隣人ノ怪は生徒の中に紛れている、ただそれだけの情報しかない。改めて考えてみると確かに不自然である。
「ふぅむ。次なる調査対象が決定したな」
「あ、隣人ノ怪を探すんですね」
「キミは実に短絡的だな、他者に騙されぬように気を付けるべきであるな」
肩をすくめるゲンジョウにヨーコは笑顔で腹を立てた。だがそんな事はどうでも良い事である、彼は答えを出した。
「瑞穂庭園ノ怪だ、次はな」
「なんでです?」
「かの噂はどういったものだ」
「ええと、庭園の池に背泳ぎするカエルがいる、っていう……っああ、なるほど。無害そうで死ぬ感じはしない噂、詳細も分からないし隣人ノ怪と同じだ」
「そういう事である。子細の分からぬ者を追うよりは建設的であろう」
標的を明確に定めた二人は、揃って研究所へと歩いていった。
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