第二十二討 運動場ノ怪
少女は捕らわれていた。いつそうなったのかは最早覚えていない。
走る事が好きだった、それだけを覚えているだけだ。自由に自分の思うままに走る事が好きだったのであって、誰かに無理やり走らされる事が好きだったわけではない。トラックコースのように、始まりも終わりも分からない。背後から追う存在が、立ち止まる事を許してくれないのだ。
走り続ける。それ以外に選択肢は存在しない。それが彼女を運動場ノ怪として広め、真なる存在を包み隠す事になった。それはなんと皮肉な事であろうか。だがしかし、彼女の前に現れた討滅士はそれを覆す。
「なんとなく分かった。あいつが元凶!」
「間違い無かろう。結果としてだが、噂は捻じ曲げられ真実が隠されていたのだ。気を付けたまえよ」
「もちろん、ですっ!」
返事と同時にヨーコは走る足を止める。捕らわれの少女を追う運動場ノ怪を目掛けて、彼女は突撃した。
タッ
「はぁっ!」
走り幅跳びの如く大きく飛び、鬼顔の牛に斬りかかる。
ブオオォォッ!
頭を一度下げ、ヨーコを弾き飛ばさんとかち上げた。黒々とした角が風を切り、ブオッと音を立てる。
ガッギィッ!
刃が角と衝突し、暗い異界に火花の灯りが散った。
ギギ……ッ
「くっ」
鋼鉄のような牛の角に刀の刃が通らない。となれば有利不利は明確だ。
バッギィンッ!
「うあっ!」
力負けしたヨーコが弾き飛ばされる。飛び掛かったのと同程度弾き飛ばされたが、空中でくるりと後方に一回転して器用に着地した。
「くぅ……手が痛いっ」
衝撃を受けて痺れた手を払うように振った。追われる少女はなおも走り続け、鬼の
ガギッ!
ズガッ!
バギィッ!
何度も斬りかかり、何度も吹き飛ばされる。諦める事などせず、立ち向かう。だがしかし車を牽く鬼顔の牛は止まらず、天蓋付きの座に在る者には切っ先が届かない。
「
「ふむ、だが少々分かってきたぞ。運動場ノ怪はあくまでコースを走っている、そこから
俯瞰的に状況を見ていたゲンジョウはヨーコに伝える。だからと言って、それがそのまま倒すための助言とはならない。ただの情報の伝達だ。
「縛り?」
「うむ。汽車が
「…………あの子を殺せば、自分は外に出られる」
「そういう事だ。彼女は長い事、逃げ続けてきたのであろう」
淡々としたゲンジョウの解説に、刀を握るヨーコの手に力が入る。彼女は体勢を整え、キッと鋭い目で幻魔を睨んだ。
「届かないなら、届かせればいい!」
右腰で脇構え、グッと体勢を低くしてすぅっと軽く息を吸い、脚に力を込めた。
ダンッ!
陸上選手を思わせる脚力で大地を蹴る。前進の勢いを刀に載せ、逆袈裟に切っ先で弧を描いた。集中した力がヱレキテルを纏って撃ち放たれた。それ即ち、名付けたばかりの討滅の技、飛燕である。
ヒュオッ!
燕が飛ぶように風を裂き、刀が斬るように風を纏う。だが、それはあくまで飛ぶ斬撃。威力は増せど、鬼顔の牛を討つには足らない。
だが足らねば足せばよいというのが、世の常というものだ。
「りゃぁっっ!」
ギュキュッ!
ダンッッ!!
ブーツの底がトラックコースを掘るように
逆袈裟に斬った刃を引き戻し、右肩に担ぐようにしてヨーコは突撃。その速さは、陸上を走る選手を遥かに超える超高速だ。それ故に彼女は自身が放った斬撃に追いついた。
「こ、れ、で、も、喰らえぇっ!!!」
逆袈裟の斬撃と斜め十字を描くように、思い切りの力を込めて袈裟に斬る。
ブモォォォッッ
頭を下げて角で迎え撃った鬼顔の牛。斬撃は頭皮を十字に裂き、頭蓋を砕いて首から上を微塵に弾け飛ばした。ヱレキテルが強化した二つの斬撃は、牛の耐久力を遥かに超えてしまったのだ。
ガラ……ガラ…………
動力を失い、ゆっくりと牛車が止まる。運動場ノ怪となった少女は、遂にその理由を失ったのだ。
だが、まだ全てが終わったわけではない。
ザァッ
牛車を覆っていた天蓋、いや
その背丈はヨーコの五倍。体格は頑強に見えるが定かではない、その身を厚い
頭には男が被る、立て
運動場ノ怪の陰に隠れる、歪で禍々しき高貴なる土人形。
その者の名、
「でっか!こっわぁっ!」
巨大な相手、しかもその顔は感情など読み取れない
「おお、埴輪ではないか。帝都は古の都であったとも聞く、それゆえであろうな」
「今は歴史の授業は求めて無いんですがっ!」
「それは残念。まあ埴輪であるならばその身は陶器のようなものだ、割ってしまえばよかろう」
「ですよね!でもそれをどうやるかが問題なんですけどっ!」
刀を構えるヨーコ。
「これは、無理っ!」
ドッガァァンッ!
受け止める事は考えず、横方向飛び退いた。ヨーコがいた場所が粉砕され、人間数人分のクレーターが出来上がる。砕け散ったトラックコースの残骸が、周囲にパラパラと降りそそいだ。
「うひぃ、当たったら粉々になるの確定っ。でも!」
ダッとヨーコは駆け出した。
「動きは、遅い!」
「おりゃあっ!」
ヱレキテルを纏わせた刃で上から下へ一閃。烏の首も落とした剣、十二単であろうと切断可能。その内の埴輪の体も粉砕出来る。
そう思っていた。
ガズゥ……
「はぁっ!?」
十二単に刀が食い込む。布の手応えではない、それは。
「粘土の塊!?」
粘土にヘラを刺し入れたような、ねっとりと重い手応え。刀で斬るというよりも、鉄の棒で押している感覚だ。十二単の柄が歪み、それが全て粘土で出来ている事が分かる。
グリンッ!
埴輪の顔が後ろを向く、だが人間のように振り返ったわけではない。首から上が百八十度回転したのだ。
ゴオッとその口と思しき穴に空気が吸い込まれる。そして。
ボワァァァッ!
「ぎゃーーーっ!?」
火炎がヨーコに襲い掛かる。広範囲に火を噴いたのではなく、溶接の炎のように真っすぐ勢いのある火炎放射だ。叫びながらヨーコは撤退、その背を灼熱の炎が追いかける。
「こっのぅっ!負けるか!」
振り返りざまに彼女は横一線に剣を振った。もはや繰り出すに慣れた飛ぶ白刃、飛燕だ。羽ばたき飛んだそれは、迫る炎と激突する。
ドッパァンッ!
飛燕の衝撃が炎を吹き飛ばした。周囲に散った炎が運動場を焦がし、
「感情が分かんないの怖い。あと首が後ろ向いたままなのも」
造形物のような存在であるがゆえに、生物の身体の構造など関係ない。首が百八十度回転し、腕を背中側に回して
ピカッ
「うっ!?」
埴輪の目が光る。それを認識した瞬間、ヨーコは飛び込み前転で回避した。
バジュンッ!
チュドッ!
一瞬遅れて光線が発射される。着弾した大地が熔解し、ドロドロとマグマのように燃え
「いや、いやいやいや。冗談じゃないっ」
当たれば、身体に風穴が空いて死。それどころか一瞬で焼けて灰になりそうだ。つまりは逃げるしかない。
チュドンッ!
「わぎゃっ!」
チュパンッ!
「ひぃっ!」
ボワァッ!
「そっちも同時に撃てるのぉっ!?」
光線の雨をかき分け、火炎放射を躱す。なんとか回避出来ているのは、ヨーコの身体能力と奇械の力である。走る彼女を追いかけてグルグルと首を回転させる
「どうする、どうする、どうするっ!!!」
走りながら、回避しながら、ヨーコは考える。逃げ続けても状況は変わらない、その場から完全に撤退しようと背中を向けたら光線の餌食だ。こちらから攻撃して、討ち倒す以外の方法は存在しないという事である。
「ヨーコ君」
「なんですかっ!?取り込み中なんですけどっ!」
前方へ跳び、片手で大地を突いて側転の形で攻撃を回避して更に前方へ進む。
「幻魔はあくまで埴輪だ」
「それがっ、何かっ!?そんな事、分かってるんですけどっ!!!」
「まあ聞きたまえ」
噴かれた火炎がヨーコの背後を通り過ぎ、光線が宙を穿つ。
「首が高速回転しているが、それはあくまで胴体と繋がっているはず。両者は擦れ合いながら回っているわけだ。さて、ここで質問である。鉄などよりも遥かに強度が低い土器が、いつまでもそれを続けられると思うかね?」
「なるっ、ほどっ!」
ゲンジョウの助言にヨーコは納得し、攻撃の考えを捨てて走る速度を上昇させる。
パラッ
黄土色の粒が幻魔の首から散る。それは次第に多くなり、遂には。
ビキッ!
ツルリとしていたその顔にヒビが入る。それは右目と口の二つの穴に繋がり、パキンと右頬を崩壊脱落させた。落ちたそれが幻魔の体に当たって跳ね、少し離れた場所に落ちてバリンと割れた。
ギ、ギギ……
勢いよく回っていた頭が止まる。壊れた右頬がどこかに引っかかっているようだ。そしてこの状況は、対峙する者にとっては最上の好機である。
「ほっ、やっ、はっ!」
幻魔の
「よし、辿り、着いたっ!」
肩に乗り、最後のひと跳躍。
「おおりゃぁっっ!!!」
空中へと身体を放り投げ、それを狙って刀を振るう。
ザガッ!
切断された紙が、はらり、と宙に舞う。ヨーコが狙ったのは、立て
その判断は、間違いではなかった。
ビキビキビキッッッッ!
パラ、パラ、パラ…………
背丈八
「ふ、ふぅ~。生き残ったぁ……」
その場に尻もちを
「ああ……あああ…………ありがとうっ!」
走り続けていた少女がヨーコに近寄り、涙ながらに礼を言った。彼女は遂に立ち止まる事が出来たのだ。
「はぁ~、疲れたよ~」
「ふふ、私もです。あー、ようやく自由だー」
幻魔の少女はグーっと伸びをする。
二人は笑みを交わし、疲れを労い合ったのだった。
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