第二十討 吏ノ矜持

 小テストとは簡易的な試験の呼称である。

 それが普通なのだが、ことヨーコ達を担当する数学教師のそれは違う。作りに作り込まれた難問が並ぶ、下手な大学模擬試験よりよっぽど凶悪な代物なのだ。設問数も桁外れ、授業が丸々試験となる程の重量級選手である。


 落第点を取ったからと言って罰などは無いが、生徒からしてみればテストがあるだけで拷問だ。それ故に今、ヨーコのクラスの雰囲気はお通夜状態であった。


「ぐぐ……」


 鉛筆を折らんばかりに指に力が入る。設問への答えが浮かばず、解答欄は空白となっていた。その空白が壁となり、先へと進む事が出来ない。苦悶の声は、誰に聞かれる事もない程の小声である。


「ふぅぅ…………」


 知恵熱が出るかと思う程の脳内フル回転。今の彼女を形容するならば、過剰加熱オーバーヒートによって頭から煙が生じている状態であろう。いつもであれば、そのままダウンしてしまう所だ。しかし、今回は違う。


「駄目なら、次へっ」


 首を小さく横に振り、脳の熱を払う。気持ちを切り替えて、空白の壁の先へと歩を進めた。リヨに教わった技、分からないならば放っておく、だ。兎に角、分かる所を処理する事を優先するのである。


「あ、これ、リヨに教わった所……!」


 教科書の内容そのままでは決してない。だがヨーコはそれが、リヨに教わった事の応用である事に気付いたのだ。思い出しながら式を作り上げ、そして答えを導き出す。


「よしっ」


 解答欄に絶対の自信をもって結論を書き入れた。小さく頷いたヨーコは、それで気を抜かずに次へと進む。


 台形の面積を出せと問われ、底辺と高さを掛けて二で割った。図形の角度を求めよと言われ、公式と機転をもって導き出す。必要もないのに動き回る点を追いかけ、なんとかかんとか捕まえた。


 そして、難敵との戦いは終わりを告げる。


「はい、そこまで」


 教師の短い言葉と一つだけの拍手。それを受けて生徒たちが思い思いに声を上げた。ある者は終わった事に対する安堵を、またある者は悲惨な結果を確信して嘆きを。そしてヨーコは、天井を見上げて一つ息を吐く。


「はぁ、終わった」

「ふふ、どうだったかしら?」


 ぽつりと呟いた言葉に隣席のユウコが反応した。最後の問いを受けたヨーコは、彼女を見て答えを告げる。


「ばっちり!……とは言えないけど、自分なりにはよく出来た方だと思う!」


 疲れが見えながらも、彼女はにこりと笑った。






 翌日。

 凄まじい量の設問を持つテスト、それを生徒の数だけ配布しておきながら教師の採点は早い。自身の時間を切り崩して行ったそれは、彼の人なりに生徒を想って彼女達のために実力確認をしているという事の証左だ。しかし、その善意が生徒に正しく伝わっているかは定かではない。


 返されたテストを見て、ある者は安堵し、またある者は膝から崩れ落ちる。

 そして、当のヨーコはというと。


「よっし!」


 彼女の膝は崩れる事無く、しっかりと身体を支えていた。


「随分と良い顔ね」

「ふっふ~ん、今回はよく出来たもんね~」


 ニヤリと笑うユウコに自信満々な笑みで返す。いつもは机に額をつけてお亡くなりになっているのだから、今日の彼女の様子は全く違う。


「お二人とも、どうでしたか?」

「お、先生がいらっしゃったわよ」

「せんせーっ」


 にこやかに現れたリヨに、勢いよくヨーコが抱き着く。わあ、と彼女が驚きの声を上げた。


「おかげで良い点取れたよ~、ありがとうっ」

「そ、それは、良かったです」


 抱きしめた状態でリヨに頬ずりする。困惑する彼女に同情したユウコが、ハネ毛と頭の空中線アンテナが特徴的な大型犬を引き剝がした。


「で、ヨーコは何点取ったのかしら?」

「ふっふっふ、聞いて驚いてよ~」

「…………ごくり」


 もったいぶるヨーコ、律儀にリヨが唾を呑んだ。少々呆れ顔でユウコがそれを見る。


「六十四点!!!」

「おおー!…………?」

「はあ、やっぱり」


 自信満々に返された答案用紙を見せつける。六割の丸よりも、四割のバツの方が目に付く紙だ。一度は驚いてくれたリヨも、中途半端な点数に首をかしげてしまう。どうせそんな事だろうと予測していたユウコがため息を吐く。


「その点数で胸を張れるの、なんだか羨ましいわ」

「え、そ、そう?」

「褒めてないわよ、皮肉よ」


 額面通りに言葉を受け取ったヨーコは、照れて頭を掻く。そんな彼女を言葉の太刀で、ユウコが一刀両断に切り捨てた。


「さぁて、これで貴女の負けが決まったわね」

「残念ですが、レイナちゃんには……」

「うっ、ま、まだだ!二司にのつかささんが名前書き忘れて零点になってるかも!」


 途轍もなく低い確率を唯一の希望として言い放つ。流石にリヨもこれには苦笑し、肩をすくめたユウコと顔を見合わせてしまう。


ガラッ!

バンッッ!


 教室の入口引き戸が勢いよく開かれる。勢いが過ぎて、レールの端に衝突して音が立った。隣の組から威風堂々とやってきたのはレイナだ。


「浦ヶ瀬さん、御機嫌よう」

「ご、ごきげんよう」


 強い目力で威圧しながら行われた挨拶に、ヨーコも思わず鸚鵡おうむ返しする。それ以上の前置きは無しにして、レイナは本題を突きつけた。


「貴女の点数、教えて頂きましょうか」

「ろ、六十四点っ!」


 塵芥のような希望を手に、ヨーコは言い放つ。


「…………ハッ」

「うぐっ、鼻で笑われたぁ……」


 敗北が確定した。元より勝ち目は無かったのだが。


わたくしは九十一点ですわ!相手にもなりませんでしたわね!」

「雲の上過ぎるっ!」


 太刀打ちできないにも程がある圧倒的な差に、ヨーコはがくりと肩を落とす。打ちひしがれた彼女はさめざめと泣いた……りはせず、勝つ事が出来なかった事を残念そうにしていた。


「ふふん、じゃあ貴女は?」

「ん、私?なんでよ、勝負はヨーコとでしょ?」


 レイナに問われ、ユウコは当然の疑問を返す。


「ただのですわ。さあ、どうだったのかしら?」

「八十点よ、おめでとう」

「おーっほっほ!揃いも揃って相手になりませんわね!」

「中々腹が立つわね、このお嬢様」


 高笑いする令嬢、ユウコの眉間に皺が寄った。流石にやりすぎとリヨが間に入る。


「レイナちゃん、ちょっと言い過ぎです!」

「リヨさん、これは勝負なのですから。勝った側が誇るのは当然というものですわ」


 その言葉にリヨはムッとして、幼馴染を強い目で見た。


「勝った方が、誇っても良いんですね?」

「ええ、勿論。こちらの二人にわたくしは勝ったのですから」


 高笑いしようとしたレイナ。しかし、リヨが差し出した物がそれを阻止する。


「こ、これは…………っ」

「九十六点です。私は勝ち誇っても良いんですよね」

「……潔く負けを認めますわ。わたくしの負けですわね」


 先程までの威勢は鳴りを潜め、サッパリとレイナは表情を和らげた。


「もう。それだけ素直に出来るなら、他人ひとに意地悪しちゃダメです。さあ、ヨーコさん達に謝ってください」

「いや、それは」

「謝って、く、だ、さ、い」

「……はぁ、分かりましたわ」


 普段温厚なリヨに強く迫られ、レイナは渋々といった様子でヨーコ達に向き合った。


「先程の非礼、詫びますわ。ごめんなさい」

「あー、うん。私は別に……」

「ま、大人しく受け取っておくわ」


 ヨーコとユウコは謝罪を受け入れる。


「はい、これで仲直りですね!」


 その様子にリヨはニコニコ、円満な解決である。

 レイナの取り巻き達は不服そうにしていたが、そちらもリヨから説教を受けて大人しくなる。彼女の気が余所よそに向いているうちに、レイナはヨーコ達に小声で話しかけた。


わたくしの取り巻き達が勝手をしているのは知っていますわ。まあ、どうにかしておきましょう」

「あら、貴女が差し向けていると思っていたのだけれど」

「ちょ、ユウコ!」


 相手を逆なでするような言葉を放つ友人をヨーコが止める。だがしかし、ユウコは相手を詰める表情を崩さない。レイナは一つ、ふう、とため息を吐いた。


「元々、今回の勝負は彼女達を納得させる理由とするつもりでしたわ。わたくしが勝負を挑めば、必ずリヨさんが貴女に助け舟を出すと予測してましたから」

「え、そうだったの!?」

「ええ。まあ貴女が赤点を取ったら、何もするつもりは無かったですわ。でも、一応は及第点を取ったので」

「その程度で彼女達が納得するのかしら?せめて私くらいの点数八十点は必要じゃない?」


 今回の試験は中々難しい物だった。出題が一年生の範囲全てとはいえ、基本的には復習の応用のような内容だ。ちゃんと勉強している者ならば、八十前後は取れるテストだろう。


「普通の者ならばそうでしょう。ですが貴女は数学が苦手、一年生の時は赤点と及第点を行き来していた。ならば今回の結果は努力の末の物、納得させる材料にはなりますわ」

「え、ちょ、私の去年の点数、何で知ってるの!?」

「フンッ。官吏を取り纏める二司の家の娘ならば、同学年の生徒の成績など網羅しているに決まってますわ」


 レイナは腕を組み、当然とばかりに言い放つ。彼女は現在の官僚の長の娘、ならば政務に関する実力は有って当たり前、という論理である。


「ま、次の勝負も私が勝ちますわ。それでは、御機嫌よう」


 またもや言いたい事だけ言って、レイナは去っていく。リヨから説教を受けて縮こまっていた彼女の取り巻き達も、そそくさとその後を追った。


「…………はっ!?あれ?私、また二司さんと戦う事になってる!?」


 呆気に取られていたヨーコは、衝撃の事実に気付いて驚愕する。


 まだまだ彼女には、平穏な日常は訪れないようである。

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