第五節 運動場の怪

第十九討 他者ニ強イル

「数学のテストで勝負ですわ!」


 青天の霹靂へきれきとは、こういった事を言うのだろう。面倒な事は常にあちらからやってくる物なんだなぁ、と遠い目でヨーコは考えていた。


 彼女の鼻先に付きそうなほどに突き出された指の持ち主は、ブロンドのウェーブ縦ロールが印象的な二司にのつかさ令嬢レイナ。隣のクラスから取り巻き二人を率いて、わざわざヨーコの席までやってきたのだ。


 そして今、彼女から勝負を申し込まれたのである。


「あーっと……何故、でしょうか?」

「連日、貴女に屈辱を受けたからですわ!このままでは二司の名誉に響きますの。良い時分じぶんにテストがありますから、勝負と致しましょう」


 二日後の数学でテストがある。四月半ばの時分、一年生の授業の振り返り小テストだ。抜き打ちではないだけ、教師の温情が見られる。点数という明確な結果が出るテスト、勝負とするには良いのは間違いがない。


 だが。


「ええと、嫌です」

「何故ですの!?」


 キッパリと断ったヨーコに、レイナが驚愕の声を上げる。断るのも当然だ、ヨーコ側には何の意味もない戦いなのだから。


「だって、勝負する意味が無いんで」

「意味がない?そんな事は有り得ませんわ!わたくしの名誉が回復するのですから!」

「ええぇ…………」


 自身の勝ちを決定事項のように、またヨーコ側に断る権利など存在しないかのようにレイナは言い放つ。彼女の取り巻き二人も、レイナの言葉に同調してヨーコに迫ってきた。


「よろしいですわね!それでは、御機嫌よう」


 頭を下げる事はせず、言いたい事だけを言ってレイナは去っていく。取り巻き二人はヨーコに念を押した上で、彼女の後を追った。要らない勝負を無理やり渡されたヨーコは、颯爽と歩いて行った御令嬢の背を呆気に取られた顔で見送る。


「あらら、面倒な事になったわね、ご愁傷様」

「他人事だと思ってぇ~」

「だって他人事だもの」


 ユウコが揶揄い、他の生徒たちは同情の目でヨーコの事を見ている。負けん気の強い二司のご令嬢が、誰かに勝負を挑むのは今日に始まった事ではない。大体の場合、相手は三郎士のご令嬢となるのだが、それ以外が対象被害者とならない等という事は無いのである。


「レイナちゃんが強引でごめんなさい」


 少し離れた自分の席を立って、ヨーコたちに歩み寄りながらリヨが謝罪する。


「いやいや、リヨが謝るような事じゃないよ」

「幼馴染として、少々申し訳なくて……」


 気まずそうな顔でリヨは頬をいた。真面目かつ穏和おんわな性格である彼女ゆえに、友人ヨーコに対して幼馴染レイナが行った事について気を揉んでしまうのだ。


「ま、そんなに気にしなくても良いわよ。どうせヨーコが負けるから」

「やる前から言い切らないでよ~」

「あら?一年生の頃の数学テストの点数を忘れたのかしら?」

「ぐぅっ」


 言葉の矢に貫かれた胸を押さえてヨーコが苦しむ。

 勉学においてヨーコは、おおよそ平均的な成績である。多少国語が高い印象はあるが、突出する教科は無い。が、点数が陥没状態にある教科は存在するのだ。


「私が付きっきりで教えて、ようやく赤点回避したものねぇ」

「その節はどうもお世話になりました……」


 対するユウコは成績優秀。ヨーコがちゅうであるならば、彼女は上の中といったところだ。舶来語を除く全教科が、九割九十点前後の点数を獲得する程度には優秀である。


「それでは大変ですね。レイナさんは全教科満点を取る位なんですよ?」

「あー、勝てないのが確定したぁ」

「ちなみに貴女は?」

「苦手、という教科は有りませんね……」


 リヨは謙遜するが彼女の成績は上の上。レイナが全教科満点を取る勢いなのであれば、リヨは全教科九割五分九十五点取る程度。試験や教科、試験範囲によって点数の振れ幅があるレイナと比べて、彼女は常に同程度の点数を獲得しているのである。


「貼り出されていた試験結果で、全教科の上位に毎回貴女の名前が有ったわ。過ぎる謙遜は嫌味に近いわよ?」

「ええ!?そ、そんなつもりは…………」


 予想外の指摘を受けて、リヨは驚きの声を上げた。そんな彼女を見て、ユウコは悪戯っぽく笑う。


「冗談よ。貴女は腹芸はかりごとが得意なほど芸達者じゃないでしょ?」

「そ、そうでしたか、良かった」


 心底ほっとした様子でリヨは胸を撫で下ろした。


「……箱入りお嬢様は揶揄からかい甲斐が無いわねぇ。それが良い所なのだけれど」

「え?いま何か言いましたか?」

「いいえ、なーんにも?」


 ユウコは肩をすくめて、すっとぼけた。疑問に思いつつもリヨは、事実に心臓を貫かれて元気の無いヨーコの頭を撫でて慰めている。


「あ、そうだ。貴女がヨーコに数学を教えたらどうかしら?」

「え、私がですか?そんな、人に教える程では」

「謙虚が過ぎると?」

「う、嫌味になる、ですか……。わ、分かりました!先生になりますっ」

「ああ~、リヨ様~。ありがとう~~~」


 現れた救いの女神にヨーコはすがりつく。というか抱き着いた。更に言えばぐりぐりと頭を擦り付ける。そんな彼女にリヨは戸惑い、ユウコは苦笑したのだった。






 放課後。

 皆が帰った教室の中で二つの机が付けられ、三つの椅子がそれを囲んでいた。机の上には教科書と雑記帳ノート、鉛筆と消しゴム、そして散らばる消しゴムのカス。教師リヨ生徒ヨーコは向かい合い、熱心な指導が行われていた。


「なので、ここはこうして」

「ふんふん」


 教科書の一節を指さし、書かれた公式を説明する。それを聞いた生徒は、十分に理解して問題へと取り組んでいく。


「出来た!」

「はい、こことここが間違いね」

「うぐはぁっ!?」


 完了と同時に採点役ユウコが指摘した。一撃必殺を二回も喰らって、ヨーコは断末魔の声を上げて撃沈する。


「大丈夫ですよ、ゆっくり理解していけば」

「うう……先生は優しいなぁ」

「私は優しくないって事かしら?」

「その通りだよ、この鬼ぃ」

「あら、心外。見逃しをしないように、目を凝らして差し上げているのに」


 昔話の貴族のように口元を手で隠して、おほほ、とユウコは笑う。その頭には二本の角が生えている、ヨーコにはそう見えていた。


「ふふふ、お二人は仲が良いですね」

「まあ、丸一年一緒にいたものね」

「同じクラスで席替えが有ってもずっと隣の席だし、そりゃ仲良くなるよ」

「席替え、三回は有りますよね。それで離れないなんて、えんに結ばれているんですね」


 顔を見合わせて軽く笑い合うヨーコとユウコを見て、リヨはくすくすと笑う。


「あ、そう言えばリヨのお家は神社だっけ。縁結びとかやってるの?」

「瑞穂の大宮司おおみやづかさを纏める家ですから、正確にはちょっと違いますけどね。家が神社なのは間違いないですが……。縁結びも承っていますよ。どなたかと御縁を?」

「うーん、結びたいというよりも切りたい……」


 げんなりとした表情でヨーコは溜め息を吐く。どこの誰某変人博士と縁を切りたいのか、それはヨーコ以外には分からない事である。


「ほらほら、話を逸らして勉強から逃げようとしない」

「くっ、鬼にバレたっ」


 手から離した鉛筆を再び握らされ、ヨーコは難敵へと立ち向かう事を強いられる。異界で切り結ぶ幻魔よりも、元界の鬼の方がよっぽど怖い。優しい先生に手を引かれながらも、鬼に尻を鞭で叩かれているような状態だ。


「さ、頑張りましょう?次はこれです」

「は、はひぃ」


 先生は優しいが、決して甘やかしてはくれない。進め進めとやんわりと促され、決して立ち止まる事を許してくれないのだ。


 走る鉛筆によって雑記帳ノートには解答が書き込まれ、赤い線がそれを採点する。翌日も同じように勉強会が開かれ、初めはバツだらけのそれに次第に丸が増えていく。日が暮れる頃には随分と丸の花が増えていた。


 そして遂に、数学テスト勝負の時がやってきた。

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