第十六討 武ノ誇リ

 翌日。

 相も変わらず色々と起きているが、ヨーコとユウコは動じない。それが面白くない愚か者たちは、その行動を更に増長させていく。偶然を装った直接的な攻撃も発生し始めていた。


「たった二日でこれか~、反撃したいなぁ」

「更に面倒事になりそうだから止めておきなさいな」


 ボールを握った手に力が入り、ミシリと音を立てる。本日の体育は庭球テニスだ。少し言葉を交わしたヨーコとユウコは互いのコートの端へ寄り、ラケットを構える。


 ヨーコは少しばかりの鬱憤を込めて、放り上げたボールをユウコに向けて全力で打ち放った。大地に着弾したそれが、ズドンと重さのある音を立てて跳ねる。ユウコの顔スレスレを通り過ぎたそれは後方の壁に衝突して、なおギュルギュルとドリルのように回転を続けた。


「ちょ、馬鹿力で撃つんじゃない!当たったらどうするの!」

「あ、ごめーん」


 命の危機を感じたユウコからの切実な訴えを受けて、ヨーコは頭を掻く。


 彼女達の周りでもラケットでボールを打つ音が響いている。彼女達が着る服は白基調だが、ある者はハーフパンツ、ある者はスカートだ。自由選択となっているあたり、夕月女学院の在り方を示している様である。


「もう一回いくよ~」


 ハーフパンツのポケットからボールを取り出し、ヨーコは声をかけた。


「ちゃんと手加減しなさいよ~、せめて私が打ち返せる程度にね」


 スカートの裾に付いたゴミをはたき落とし、ユウコが答える。


「善処します!」

「ちゃんと実行しなさいな」


 ヨーコが笑ってボールを上げる。


ズドンッ!

「ヨォコ~っ!」

「ごめんごめーん」


 またもやボールが壁に突き刺さる。完全にわざと全力射撃した射手は、被害者に対して全く心がこもっていない謝罪を贈った。


「なにが楽しいのかしら」

「ほんと、バカみたいね」


 隣のコートで練習をしていた二人が、ヨーコたちを横目に陰口を叩く。


「レン様にまぐれで勝ったくせに」

「あんな間抜けづらがレン様より強いわけ無いわ」


 自分達が熱狂する相手が、どこの馬の骨とも分からぬ田舎者に苦汁をめさせられた。その事実は彼女達にとって、自身が侮辱されるよりも遥かに強い怒りと憎しみを抱くに十分だった。


「でも庭球ならレン様の圧勝よね」

「ええ。鋭いサーブに巧みな揺さぶり、力の面でも技術の面でも圧倒的だもの」


 ふふふ、と両者はさげすみと陶酔を抱いて笑った。






 庭球は戦略眼と瞬発力、持久力、そして何よりも精神力が重要なスポーツ。それらの力は戦場における一瞬を見極める一助となる。それ故に子女の嗜みである事が多く、女学院においてもそれは同じなのだ。


「はぁっ!!」

パァンッ!


 瞬発的疾走と跳躍、そして全身の力を使ってのスイング。飛んできたボールを正確に捉え、飛来した力を上回る力で打ち返す。ラケットに打たれたそれは、相手の動ける範囲の外に突き刺さった。


「そこまで!勝者、三郎士!」


 コート横の審判台に掛けた生徒が、勝者側の右手をあげて声高に告げた。


「きゃーっ!レンさま~っ!!」

「すてきーーーっ!!!」


 彼女の試合を観戦していた女子から黄色い声が上がる。ラケットを持たぬ左手を少し上げて、レンは観客たちへと振った。スカートではなくハーフパンツを着用している事から、スマートな彼女はまるで貴公子のようだ。コート周りがきゃいきゃいと更に騒がしくなる。


「おお~、三郎士さん強いっ」

「ストレート勝ちばっかりね。他のがまるで相手にならないわ」


 騒がしい観客たちのコートを挟んだ反対側、ヨーコとユウコはそこにいた。というのも、レンのフアン達に囲まれるのは避けたかったからだ。虐めの類を警戒するというよりは、単純にやかましい事になるのが分かり切っていたからである。


「ストレート勝ちばっかりなんて凄いなぁ」

「と、ほぼ同じ事をしている人が申しております。貴女も似たようなものよ?」

「え~、そう?」


 ヨーコは首を傾げる。自覚の無い彼女の反応に、ユウコはため息交じりに首を横に振った。


 我が親友はあまりにも暢気のんき。運動に関しては十分に胸を張っても良い成績を叩き出しているのに一切誇らず、それどころか他人事ひとごとのように話すのだ。威張り散らす必要は無いが、実力に応じた態度を示すべきだとユウコは思う。


「もっと胸を張りなさい。二司にのつかさが睨んでるわよ」

「……視線が怖くて、あっち見れないよ」


 ひとつ前の試合でヨーコとレイナは戦った。両者ともさして体格が良いわけではないが、実の所はどちらも膂力りょりょくがある。それによって剛音が響くパワーファイトとなり、最終的にヨーコが勝ったのだ。


 先程のユウコの、同じ事をヨーコがしている、という言葉。その理由はレイナであり、かなりの接戦となったのである。その上で敗北した彼女は口惜しさから、射貫いぬかんばかりの視線をヨーコに送っていた。


「次!浦ヶ瀬、三郎士!」

「「はい!」」


 教師から名を呼ばれ、二人が返事と共に立ち上がる。コートの中心へ歩んだ両者は、ネットを挟んで対面した。


「レイナが来るかと思っていたけど、君が上がってくるとはね」


 笑みを浮かべているが彼女の目は笑っていない。剣術試合の時は面で隠れていたそれは、あらわになった事で更に鋭さを増している。その濃茶色ダークブラウンの瞳は、ヨーコの薄茶色ライトブラウンの瞳を真っすぐと捉えていた。


「一応、頑張りましたから。二司さんは強かったです」


 先程までユウコとのんびり談笑していた時の気の抜けた顔は、今のヨーコには無い。先のレイナの時もそうだが、言動は兎も角としてヨーコは戦いに際しては一切気を抜かないのである。


 両者はコートの端へと移動し、対角に立った。先攻となったレンが片手で、ポンポンとボールを跳ねさせる。コートの反対側で待ち構えるヨーコの事を捉えて、狼の如き目がギラリと光った。そして彼女は、上へとボールを軽く投げる。


「ふっ!」

パァンッ!


 ボールが爆ぜたかと思うほどの音が響いた。撃ち放たれた弾丸はネットを超え、コートに着弾する。ボールは低い弾道で、ヨーコから逃げるように飛び跳ねた。


「くっ!」

ザザッ

スパァンッ!


 自身の横を通り過ぎようとするボールを、しっかりと目で捉えてラケットを振る。それの中心で弾丸を捕らえ、腕力だけでなく全身の筋力を使って打ち返した。


 強い回転が掛かったボールが低い弾道で弧を描く。ネットのスレスレを飛んだそれは、レンのラケットが届かぬであろう場所へと飛んでいった。だが。


「そうは、いくかっ!」

ダンッ!


 大地を強く蹴って身を宙へと浮かせ、空中で身体を捻って得物を振るう。届かないはずのボールがラケットの中心に収まり、膂力をもってそれを打ち返した。


バズンッ!

「あっ!?」


 着弾地点を予測して、すでにヨーコはそこへ向かって走っていた。だが彼女がラケットを差し出すよりも速く、ボールが通り過ぎる。


「よしっ」

「くぅっ」


 点を取ったレンは拳を握り、小さく喜びを表に出す。対するヨーコは口惜しさに、思わず声が出てしまう。だが二人は気持ちを切り替え、すぐに次のプレイへと移った。


 再びレンのサーブがコートに刺さり、それをヨーコが上手く返す。戻ってきたボールを鋭く打ち、しかしそれを巧みに捌いていく。


 実力は伯仲。点を取っては取られて、まさに一進一退である。


「ッえぃッ!!」

パァンッッッ!!!


 全力全開の一撃が放たれ、コートに突き刺さる。相手はそれに反応しきれず、ボールは後方へと飛んでいった。一方は勝利を喜び、もう一方は敗北に悔しがる。そして、審判が勝者を告げた。


「そこまで!勝者、三郎士!」


 わああっ、と彼女のフアンたちが歓声を上げる。明確な声は出していないが、レイナの取り巻き達もほくそ笑んでいるのが分かった。そんな中で、ヨーコとレンはネット越しに向き合う。


「中々良い試合だった、予想外に熱くなってしまったよ」

「こっちも。はぁ~、勝ちたかったなぁ」

「ふふふ、悪いがフアンたちの前で二度も無様は見せられないからね」


 歓声を上げる生徒たちに目をやり、ぱちりとウインク。黄色い声が大きくなったかと思えば、すぐに静かになる。誰も彼もが脱力して、その場にへたり込んでしまったのだ。


「わぁお、威力絶大」

「ふ、ボクに掛かればこんなものさ」


 汗で張り付いた前髪をサッとかき上げる。そしてレンは半歩近寄り、ヨーコの至近で顔を見合わせた。


「えーっと?」

「ボクのフアンたちが悪さをしているようだね」


 他の者には聞こえぬ声でレンがささやく。


「あー、そうですね。止めてもらえるなら止めてもらいたいなぁ、と」

「ふっ、この試合で君を見直した、という事にして彼女達を納得させておこう」

「という事にして?見直しては貰っていないんです?」

「もちろんだ。帝国の武門たる三郎士が陰湿ないじめをしている、等という風聞は願い下げなのでね。ボクの意にそぐわぬとしても、家の名誉のために仮面くらいは付けるさ」


 さも当然、とばかりにレンは言った。それを面と向かって当事者ヨーコに対していうあたり、四摂家としての誇りと多少の傲慢が見て取れる。だが彼女は見下している意識など無く、ごく自然にそうしているのだ。


 家柄の有る無し、地位の有る無し、財貨の有る無し。それらは直接的にも間接的にも、帝都と外様を隔てている。レンのように差別も何も意識なく、それが自然とばかりの行動や言動。それ自然こそが両者を分ける見えない壁の正体なのだ。


 良い事をした、とばかりにヨーコへ笑みとウインクを贈ってレンは自身のフアンたちの下へと去っていく。少しばかり腑に落ちない部分はあれど、面倒ないじめ行為が納まるならばいいか、とヨーコは乾いた笑いを浮かべたのだった。

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