第四節 大講堂の怪

第十五討 他者ヲ苛ム

 人間とは実に分かりやすいものである。

 自身の思う通りにならなければ顔をしかめ、苛立ち不機嫌となる。他者の事が気に入らないのであれば、その人物とは距離を取るのが普通の感覚だ。しかし、そうしない者たちも存在する。


「あー……」


 机の上の花瓶とそれに活けられた白菊しらぎくの花。葬式に使われる花を贈られるという事は、遠回しに棺桶に入れと言われているも同然である。ゲンジョウの忠告をなぞるような、案の定の出来事にヨーコは呆れたような表情を浮かべた。


「まったく、朝からツイてないわねぇ……」

「あ、ユウコ、ってどうしたの!?」


 教室へと入ってきた友人の様子に驚愕する。前髪から水を滴らせ、びしょぬれとなった顔をハンチで拭いながらやってきたのだから当然だ。駆け寄り心配すると、ユウコが彼女を手で制した。


「大した事じゃないわ。隣のクラスの子がつまづいて、彼女が持っていた水筒の水が

私の顔に直撃しただけよ」

「それって」

「ま、そういう事ね。あー、せっかく整えたセットした前髪が台無しよ、まったく」


 顔を拭い終えて、至極面倒くさそうにユウコはハンケチを仕舞う。

 あまりにもくだらない事であり、怒りよりも呆れと面倒臭さの方が先に立ってしまう。昨日の出来事剣術試合を受けて即座に行動を起こすなど、自分達が犯人である、と主張しているも同然である。


いじめなんて、馬っ鹿馬鹿しいにも程があるわ。自分達は愚かです、って主張したいのなら、校門で演説でもしてなさいな」


 ユウコは肩をすくめる。苦笑しつつもヨーコもまたそれに同意した。

 廊下から舌打ちが聞こえる、どうやら愚か者は愚か者らしく自己主張したいらしい。キロリとヨーコが少し鋭い視線を向けると、彼女達はそそくさと去っていった。


「おはようございます」


 柔らかな挨拶と共に、昨日出来たばかりの友人が現れる。革の鞄の持ち手を両手で持ち、楚々とした所作で教室へと入ってきた。彼女はほんの少しだけ歩調を速め、ヨーコたちの下へと歩み寄る。


「ヨーコさん、ユウコさん、おはようございま……す?」


 リヨは首を傾げた。二人の様子はどう考えても普通ではなく、ヨーコの机の上には花瓶に活けられた菊の花がある。何かは分からないが、何事かがあった事だけは明白だ。


「なにか、あったのですか?」

「友達にお花を貰ったんだよ」

「眠気があったから顔を洗ってきたの」

「???」


 二人の言葉にリヨは首を傾げる。

 更に問おうとした彼女が口を開くよりも先に、ユウコが会話を始めた。ヨーコもそれに乗り、リヨもまたそれに巻き込まれる。彼女が浮かべた疑問はうやむやにされ、そのまま授業へと入ってしまったのだった。






 授業合間の休憩時間に、ヨーコとユウコは連れ立って渡り廊下へと出た。リヨは他の生徒と話しており、二人の後を追って来てはいない。開けた窓の枠に両腕を置いてヨーコは中庭を眺め、ユウコは目を瞑りながら壁にもたれ掛かっていた。


「巻き込めないよねー」

「ええ」


 ヨーコの言葉にユウコは同意する。彼女達の会話の内容は勿論、今朝から始まったくだんの件についてだ。


「四摂家の彼女が虐めの対象となる事はあり得ない。でも彼女の性格から言って、確実に私達を助けようとするわ」

「そーなったら、自分達のためにリヨを利用したー、とか言われそうだよね。二司にのつかささんと三郎士さぶろうじさんが激怒しそう」

「その程度なら良いけど。最悪、あずま家に取り入るために彼女に近付いた、とか言いふらされるわよ」

「そうなったら、リヨは傷付くよねぇ」


 二人は小さくため息をく。友人の事を思って、彼女には心配を掛けないようにする。リヨを蚊帳かやの外に置くようなやり口だが、厄介事を招かないようにするためにはどうしようもないのだ。


「あ~、何で私達が悩まないといけないのかしら」

「ホント、理不尽だよねー」


 愚痴を窓から宙に放り投げ、二人は教室へと戻る。


 ヨーコたちの教室内において、直接的な虐めは発生しない。リヨがその場にいる以上、愚か者たちも積極的な行動は出来ないのだ。今朝の一件は、二人がリヨとよしみを結んでいるなどとは知らなかったからこそ出来た事である。


「チッ、まさかリヨ様に取り入ってるなんて……」

「大丈夫よ、気付かれないようにやる方法なんていくらでもあるんだから」


 教室へと戻るヨーコ達から少し離れた所で、数人の生徒が集まっている。彼女達は二人の事を忌々しく思いながら愚考を巡らせていた。






 本日は快晴なり。

 されどヨーコとユウコはげんなり。朝の一件を皮切りに、休憩時間の度に何かが起きるのだ。お花摘みトイレに出かけて戻ってきたら、二人揃って教科書が消えてなくなる。少し探してみれば階段横のゴミ箱の中に移住していた。


 昼食から戻れば鞄が無い。ふと思いついて窓から下を見れば、校舎横の花壇の上に鞄が二つ。はあ、と呆れから来る溜め息を吐いて二人は一階へと向かった。


 下校時。どうせあるだろうと思ってブーツをひっくり返してみれば、画鋲がいくつかコロリ。二人は顔を見合わせて、可笑しくなって笑ってしまった。柱の影の何者かが、それを見て舌打ちしたのを二人は聞き逃さない。


 門を出て街を行く。ヨーコ達にちょっかいをかけてきた者は帝都組である。放課後は二人が行くような下町庶民の街ではなく、洗練された上町中心地へと赴くのだ。つまりは学院から出てしまえば追跡などは無いのである。


「ホンッッットに迷惑ねぇ」


 ユウコが肩をすくめて、首を横に振る。


「どーしよっか~」


 ヨーコは足下の石をこつんと蹴る。てんてんと転がったそれは、側溝に落ちて消えた。


「あーっ、むしゃくしゃするわ!こういう時は甘いものよ、甘いもの!」

「あはは、じゃあパーラースイーツ喫茶にでも行こっか」


 プリプリと頬を膨らませるお隣さんをなだめながら、ヨーコは彼女を誘導する。


 その日、小さなパーラーの洋菓子がすっかり消えてなくなったのは言うまでもない事である。

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