第十四討 双身ノ怪

「半月足らずで四摂家のうち三つとの縁を作るとは。中々野心的だねぇ、キミは」


 含み笑いしながら、ゲンジョウは揶揄からかう。腕輪から聞こえるそれを、ヨーコはげんなりとした顔で聞いていた。本日も彼女はもちろん異界にいる。


「笑い事じゃないですよ~。二司にのつかささんと三郎士さぶろうじさんの両方から睨まれるの、大変そうなんですから」

「四摂家の威を大変の一言で済ませるとは、まったく度胸のある事だ」


 やれやれと肩をすくめる。帝都どころか瑞穂全体でも最上位の家柄の娘から睨まれたら、萎縮するのが当然。ヨーコのように飄々ひょうひょうとしている事など有り得ないのだ。


「まあ、闇討ちされないように気を付けるのだな」

「え、そこまで!?」

「無論だ。権力ある者の場合は本人が動かなくとも、周りは勝手に動くものだ。的外れな忖度そんたくをして暴走する輩が出るのは、よくある事なのだからな」

「ひ、ひえぇ……」


 異界の幻魔には怯える事の無いヨーコが身体を震わせる。


 幻魔相手ならば暴力で解決できるが、流石に人相手に刀を振り回すわけにはいかない。レイナレンに忖度する者は権力者の娘が多い帝都組。たとえ相手が害意を持っていようとも、こちらから何かすれば後々に色々な意味で面倒な事になりかねないのだ。


「ま、まあ、それよりも今は目の前の相手が怖いんですけどね!」

「それは当然というものであろうな」


 ヨーコは学校の廊下を走っていた。

 元界であれば教師に呼び止められて叱られるところだが、異界においては咎める者などいない。しかし彼女を止める者はいないが、追う者は数多く存在した。


ガッシャ、ガッシャ


 金具が揺れ擦れる音を響かせながら、大勢の具足武者がヨーコを追う。手に手に槍持ち刀持ち、弓に矢をつがえる者もいる。その全ては腐ったように皮膚が剥がれ落ち、路傍ろぼうに打ち捨てられた死者がそのまま蘇ったかのような姿であった。


「なんで女学院なのに、男の落ち武者が出てくるんですか!?」

「この瑞穂において古来から戦場となっていない地など、有ろうはずが無かろうよ。帝都もしかり、数十万の軍勢が衝突した古戦場ではないか」

「そういや、授業で、習ってましたっ!」


 一年生の頃の授業で習った、おぼろげな知識を思い出す。人生で如何いかほどの役に立つのかは分からないが、少なくとも今現在においては無用のものである事は確かである。


「逃げるのは構わぬが、目的地階段の姿見鏡まで辿り着けるのかね?」

「一応、考えが有るのでっ!」


ザザッ


 逃げ続けていたヨーコはきびすを返し、追ってきた武者と対峙する。


「てぇいっ!」

ズガッ!


 最も近くにいた者に斬りかかり、その首を叩き落す。続いて槍を持った二体の至近へと潜り込み、その脚を一本ずつ切断した。ぐらりと体勢を崩した両者の首をね飛ばし、ヨーコは再び逃走へと移る。


 しばらく走っては踵を返して数体切り伏せ、すぐに逃げる。


 それを何度も繰り返し、少しずつ少しずつ敵の数を減らしていく。剣術試合ではとても出来ない戦法と、絶対に有効打とは認められない部位への斬撃。実際の戦闘ではお行儀の良いクリーンな試合剣術より、汚いダーティーな喧嘩剣術の方が有効なのである。


「ほほう、なかなか卑怯臭いではないか」

「卑怯だ何だよりも命が大切なのでっ!」


 何等なんらの躊躇なくヨーコは言い放つ。ゲンジョウも別に正々堂々と戦え等と言うつもりはない、ただの揶揄からかいである。両者ともに現実主義なのだ。


 十二分に敵を減らした所で、ヨーコは武者の集団へと突撃する。彼女が最も警戒したのは、矢による一斉射撃。引き離しつつ戦った事で弓兵はろくにヨーコの事を狙えず、乱戦へと発展した事で更に射撃は困難となっていた。


「ふんぬっ」

ズバンッ!


 落ち武者の腕を叩き斬り、手にしていた槍を奪い取る。小さく助走をつけてそれを投擲した。それはバズンッと鎧を撃ち抜き、弓兵を打ち倒す。次から次へと武者が倒れ、遂には最後の一体となった。


「おりゃぁっ!」

チュドンッ!


 頭の先から股まで一刀両断。竹が割れるように綺麗に真っ二つとなった武者は、その場にどちゃりと倒れ伏した。


「ふー、何とかなった~」

「実に見事。しかしどこで学んだのかね、咄嗟に出来る事ではあるまい?」

「ちょっと実家の方で……っと」


 言いかけた所でヨーコは気付く。


ズズズ…………

「げ」


 打ち倒した武者たち。体を切断されて首が飛ばされていながら、立ち上がろうとしている。元より生きてなどいない存在であるがゆえに、斬られようとも関係ない様子だ。


三十六計さんじゅうろっけい逃げるにかず!!!」


 歪になりながら立ち上がろうとする彼らに背を向け、ヨーコはすぐさま走り去る。どうにもならない面倒な事からは逃走するのが、最上の兵法ひょうほうなのだ。


「よし、逃走成功っ」


 ガチャガチャと音を立てて武者たちが走る。階段の中二階に身を隠してそれをやり過ごし、彼らが去った事を確認してヨーコは顔を覗かせた。一息ついた所で、そこに姿見鏡がある事に気付く。


「あ、ここ目的地だ」

「気付いていなかったのかね。てっきり逃走ついでに向かっていたと思っていたが」

「いやいや、全部私の計画通りですよ?わたし天才!」


 咄嗟に取り繕ったものの、ゲンジョウにフッと鼻で笑われた。恥ずかしさに少しばかり顔を赤くしながらヨーコは立ち上がり、銀縁の姿見鏡に近付く。


「うーん、普通の鏡にしか……」


 そこには自分の鏡像が映るだけ。触れてみるも特に何も起きはしない。


「ふむ、双身ふたみノ怪はただの噂に過ぎぬという事……ん?」

「え、どうかしまし…………」


 ぱちり、とそれと目が合う。


 鏡に映る自分、その後ろ。そこに一人の少女がった。少し伏し目がちにしている事でその顔は判然としないが、背格好や髪形はよく知っている。何故ならば。


「私?」


 鏡ごしのそれから目を逸らさずにヨーコはポツリと呟く。


「ヨーコ君、後ろだ」

「え」


 くるりと振り返ると、鏡の向こう側にいると思っていたそれがそこにいた。


 背格好はヨーコと瓜二つ。髪形も服の柄も、胸から腕までを覆う奇械までもが同じ。だが鏡に映ったかのように、彼女は全てが反転しているのだ。奇械は右胸から右手までを覆い、佩く刀は右の腰に在る。


 ただ唯一の決定的な違いは瞳の色。ヨーコが明るい茶色ライトブラウンであるのに対し、それはパープルの瞳を持っていた。


「これが、双身ふたみノ怪!」


 ちきり、と刀の鯉口を切り、その柄に手を掛ける。だが、幻魔はただヨーコを見るばかり。先手必勝とばかりに、彼女は抜刀する。


「ひぃっっ!!!」

「は?」

「む?」


 振り上げた刀、それから自身を守ろうと頭を両手で覆って幻魔はうずくまった。彼女は涙目になり、震えながらヨーコを見ている。この不可解な出来事に、ヨーコもゲンジョウも思わず声が出た。


「えーっと……」

「ぴぃっ!!」


 刀を降ろして、手を伸ばす。それにすら怖がり、幻魔ヨーコは鳴き声を上げた。


「あー、なんでしょ、コレ?」

「ふーむ。双身と言う以上はキミなのだろうな」

「私、こんなです?」

「いや、キミは不遜ふそんと言っても良い程に失礼な上に、心臓に毛でも生えていそうな程に図太い故、似ても似つかぬな」

「ちょっと言い過ぎじゃないですか?泣きますよ?」


 ゲンジョウの正当なる評価にヨーコは不満げな表情を浮かべた。その顔にすら恐怖心を抱いているようで、幻魔ヨーコが震えている。


「ああ、そういう事か。鏡像なのだな」

「え、どういう事です?説明求む!」

「よかろう」


 ずずっ、とゲンジョウは珈琲をすする。


それ幻魔はまるでキミの生き写しだ、鏡に映ったキミなのだから当然だな」

「はあ、それはまあ」

「だがその姿は反転している、鏡に映った姿なのだから当然だな」

「そうですね」

「ならば、中身はどうだ?」

「あ、まさか性格も反対に?」


 ヨーコは幻魔の事を見る。自分自身と同じ姿かたちでありながら、小動物のような怯え様だ。腰の刀を抜く素振そぶりすら無く、戦いへ望む姿勢など欠片も見えない。見ていると違和感も相まって、生理的嫌悪がふつふつと湧き上がってくるようだ。


 ヨーコはすぅっと刀を振り上げる。その顔には明確に、目の前の幻魔への苛立ちが見て取れた。得物を握る手にグッと力を込めて、それを振り下ろす―――


「待ちたまえ!」

「はっ!?」


 ゲンジョウの静止を受けて、ヨーコは正気に戻ったように目をしばたたかせる。


「わ、私、何しようとしてました……?」

「写し身のキミを叩き斬ろうとしていたよ。まあ、危ない所だった、と言うべきなのだろうね」

「危ない所って…………?」


 ヨーコは抜き身だった刀を鞘へと仕舞った。なるべく幻魔の事を見ないようにしながら、ゲンジョウの言葉に意識を集中させる。直視してしまうと、引っ叩いたり蹴り飛ばしたりしてしまいそうな感情を抱くのだ。


「双身ノ怪の噂話はどういった物だったかね?」

「え、えーっと。階段に設置された姿見鏡に自身の死に様が映る、って話だったはず……」


 ユウコから聞いた話を思い出しながら、目の前に現れた者についての噂話を口に出す。


「これは吾輩の仮説であるが……。双身ノ怪が死に様を映すのではない、としたならばどうであろうか。即ち、その幻魔はあくまで自分自身の反転でしかない、と」

「え、うーん?そんなの、ただの鏡じゃないですか」

「そう、鏡なのだ。だが先程のキミの行動が仮説を補強する。正反対の自分は違和感の塊、ゆえに消し去りたい衝動に駆られるのだ。そして、噂話と繋がる」

「んんん???」


 説明を受けて、ヨーコは腕を組んで首を傾げた。


 鏡像を映し出すのは鏡ならば当然。それが形となって現れたが、妙な事だらけの異界ならば常識の範疇であろう。自分と同じ姿の存在が自分と似ても似つかぬ行動をしていると妙にイラつく、それは当然というものだ。それらがどうやって噂話に繋がるのか。


「あ、死に様は自分で作る?」

「おお、よく分かったな、及第点合格最低ラインをあげよう」

「そこは百点が欲しいです」


 答えを導き出した設問、その配点はどうやら低かったようだ。


「幻魔は映すだけ。それは姿も、性格も、そして結末も、だ。衝動に駆られて自ら手を下せば、それが映されて自分がその結末を辿る。双身ノ怪とはそういったものなのだろう」

「あ、あっぶなぁ~。つまり私、あとちょっとで死ぬ所だった、と」

「命拾いしたな、吾輩に感謝するのだぞ?」


 はっはっは、とゲンジョウは笑う。苦情を申し立てたいが命を救われたのは確かであるため、ヨーコはその不満をグッと呑み込んだ。


「で、コレ、どうしましょう?」

「ふうむ、放っておいて他の幻魔に食い殺されたらどうなるのだろうな?少々興味がある、やってみないか?」

「いや、ぜっっっったい嫌ですよ!?どう考えても私が死ぬじゃないですか!」

「となると……よし、その幻魔を研究所へ連れて行きたまえ」

「え、そっち元界へ連れてくのって無理ですよね?頭でも打ったんですか?」

「やはりキミは双身と似ても似つかぬな」


 はあ、とゲンジョウのため息が聞こえる。肩をすくめて首を横に振っている姿が見えるようだ。ぐぐぐ、とヨーコは口から飛び出ようとする苦情を何とか抑え込む。


「連れてと言ったであろうが。幻魔をそちらの世界の研究所へ、だ。少なくとも武者やら大百足やらがいる学院に置いていくよりは安全であろう」

「あー、なるほど。はじめからそう言えばいいのに、変人博士がこんちくしょう」

「おやおや、随分な言われようだ」


 丁寧な説明を受けてヨーコは納得する、のと同時に抑えていた物が外出していった。


 幻魔に移動を促そうにも怯えるばかりであったため、無理やり背負いヨーコは異界を走る。途中、何度も投げ捨てそうになる衝動を抑えながら、彼女は無事に研究所へと辿り着いた。双身ノ怪はその噂話の結末を迎える事無く、ヨーコたちに保護されたのである。


 こうして鏡像は、鏡から抜け出したのだった。

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