第十討 舶来庭園ノ怪

「ぜぇ……、ぜぇ……」


 植栽迷路を駆けずり回り、なんとかかんとか大百足をやり過ごす。ずずず、と音を立てながら、かの幻魔はどこかへと去っていった。


「し、死ぬかと思ったぁ」


 空を見上げ、大きく息を吐く。寒くも暑くもない世界だが、恐ろしい経験によって随分と体温が下がったように感じた。しばらく白毛玉と共に休憩し、ヨーコは息を整える。


「あー、ここ何処~?滅茶苦茶に逃げ回ったからどこにいるか分かんなーい」


 お手上げとでも言うようにバッと両腕を振り上げる。嘆こうとも落胆しようとも、自分の足で動かなければどうにも出来ない。それを重々理解している彼女は、白毛玉を足元に置いて立ち上がった。


「じゃあ私は行くよ、毛玉くんも気を付けてね。あー、どっち行けば広場なんだろ……」


 頭を掻きながら前後左右を見る。迷路であるがゆえに、どちらも同じ景色で方角も分からない。生徒が迷って出られなくなりそうな物を校内に作るな、とヨーコは心の中で創設者に文句を言った。


「きゅうっ、きゅうっ」

「ん?」


 足元で白毛玉が鳴きながら飛び跳ねている。それに気付き彼を見ると、白毛玉はヒタヒタと歩き始めた。少し先に行った所で、くるりと振り返ってヨーコの事を見る。それはまるで彼女の事を案内しようとしている様だ。


「ついてこい、って事かな?」

「きゅうぅっ」


 ヨーコの問いかけを理解しているのかいないのか、白毛玉はピョンピョンと跳ねる。


「ま、どのみち方角は分からないし、案内してもらうか~。壁を乗り越えてると大百足に見付りそうだしねぇ」


 ぐいーっと大きく伸びをして、彼女は彼の後を追った。






「おおっ、凄い。本当に広場に出た!」


 最短距離で白毛玉はヨーコを広場へと案内した。その様たるや、熟練の旅行案内人ツアーガイドのようだ。惜しむらくは言葉が話せないのと、迷路の中は同じ景色しかない事である。


「ありがとね~、助かったよ」


 お礼に頭と思しき辺りを撫でてやる。きゅうきゅうと鳴いた白毛玉は、ヨーコに別れを告げるようにもう一度鳴いて、迷路の中へと帰っていった。癒しの案内人を見送った彼女は、くるりと広場へと向き直る。


「あー、もう帰りたい」

「それは出来ないと分かっているだろう?」

「悲しい事ですが重々と理解しておりますとも、ちくしょうめ」

「心外だな、心優しき雇用主に言う言葉ではあるまい。ああそうそう、そこからは戻れぬからな」

「って事はいるわけですか……。あーあ、楽して帰りたいのにーーーっ」


 ヨーコの悲痛な叫びに応じるかのように、周囲の景色が歪んでいく。植栽は蛇のようにうねり、平らだった広場は出鱈目に隆起する。バキバキと音を立てて木が空へと吸い込まれていき、石柱は木っ端微塵の瓦礫に変わった。


 広場を守護するように立っていた四体の騎士石像が動く。だがすぐにバラバラに砕けてしまった。


「あ、あれ?石像まで壊れた?襲ってくるとかじゃないの?」


 刀を抜いて警戒していたヨーコは困惑して辺りを見回す。だが彼女は気付いた。その場で起きている事の意味を。


「壊れた石が集まってる……!」


 広場の中心、そこに渦巻く石礫せきれきの球。石像、石柱、テーブルに椅子。白い石で作られた全ての残骸が集まっていく。うねりくねっていた植栽と隆起していた大地は、石の球を中心にして遠い国に在る闘技場の如く周囲を円形に囲んだ。


 石礫の球は凝集し、人間二人分の直径を持つ大きな一つの石となった。だが綺麗な球ではなく、ゴツゴツとしたいびつな物体である。ベキベキ、バキバキと音を立てて石が変形し、現れたのは四つの騎士の頭と八本の腕と脚。その手には四つの武器が握られていた、だが。


「めっちゃくちゃに生えてる……」


 球は宙に浮いている。その四方八方から頭と腕が飛び出ていた。下に頭があり、上に腕がある。左腕と左腕が槍を掴み、剣を持った右腕の横に斧を持った右腕が生えていた。弓と矢だけは右と左の腕で正しく持たれている。


 何も持たぬ腕は虚空を掴み取るように五本の指を動かし、飛び出た脚はたこのそれのようにウネウネと動く。脳がそれを理解したいと思わない、違和感と嫌悪感の塊とも言える幻魔である。


 舶来庭園怪と正対し、ヨーコはうげぇと吐くような顔をした。


「図書室のもそうだけど、何でこう気持ち悪いのかなぁ……。白毛玉くんみたいに可愛ければ…………ああいや、ダメだ。それじゃあ倒したり出来ないもんね」


 うんうんと頷く、しかし。


「って、なんで全部倒す気でいるんだ私は!」

「仕事に忠実で実によろしい事ではないか」


 はっはっは、とゲンジョウは笑う。


「そういうんじゃないですよ……。ってあれ?今日は普通に話せるんですね」

「うむ。先程言ったろう、目玉は腕輪に繋がっている、と。映像を送るだけでは芸がないのでな、通信能力も強化したのだ」


 続いてその原理や構造について、流れるように解説を始める。ヱレキテルの力がどうだとか、異界の力場がどうだとかがヨーコの耳から頭の中へ入り、特にし取る物もなく流れていった。


「ほえ~、すごいですね~」

「なにも分かっていない感嘆、どうもありがとう」


 目玉の向こう側で肩をすくめるゲンジョウ。彼の発明やその構造、原理などはヨーコにとっては苦手な数学のようなもの。彼女にとっては呪文か何かにしか思えないのだ。


「まあいい。目の前の脅威に備えたまえ。相手はやる気だぞ?」

「当然ですよ。こっちは命が惜しいんですから、備えるに決まってます!」


 右の手で握った刀の切っ先を合一した石像、舶来庭園怪へと向けた。対する幻魔は逆さ吊り状態の騎士が弓を引き絞り、やじりでヨーコを捉えている。


 闘技場の中心で対峙し睨み合い、両者の間にチリチリとした緊張が漂う。異常で歪な状況下で発生した静寂が周囲を包み込んだ。そしてそれは、騎士の一矢で破られる。


バシンッ!


 破裂音にも似た弓のつるの音が響き、放たれた一閃は惑う事無く真っすぐとヨーコへと飛来した。


「ふっ!」

ガッ!


 前傾姿勢のまま身を僅かに左へ傾け、刃の腹で矢の叩いて軌道をらす。彼女を貫き損ねても矢は突き進み、闘技場の壁に突き刺さり破砕した。弓道部の扱う大弓など比にならぬほどの強弓ごうきゅうだ。


「距離を取られるのはマズい、と、に、か、く、接近!」


 走るヨーコへ破壊の一矢が次々と飛んでくる。人間では到底出来ぬ弓の連射、身から自在に矢を生じさせられる幻魔ならではの芸当だ。


 それらを逸らし、弾き、叩き折り、ヨーコは前進する。弓相手に刀では抗するすべなし、ゆえに前方へと退避しているのだ。全弾回避し、遂に刀の間合いへと辿り着く。


「おりゃぁぁぁっ!」

ズパンッ!


 速度を更に上げて、すれ違いざまに弓騎士を胴薙ぎの要領で切り抜いた。接近戦において刀相手に弓では抗する術なし。防ごうとした弓諸共もろともに両断され、ガラガラと瓦礫になって降り落ちた。


「おっし!って、うわっ!」

ブオンッ!!!


 振り下ろされた一撃を、ヨーコは右へと跳んで回避する。

 落ちてきたのは斧の刃。幻魔は球状の身を回転させ、斧騎士ごと振り下ろしたのだ。空振りしたそれは、地面を大きく削り取る。


「危っない、なぁっっっ!!!」


 大地を蹴り、再び幻魔へと突撃する。だが相手は斧、先のように横薙ぎで一刀両断とはいかないだろう。ならばやる事を変えれば良い。そう考えたヨーコは、両手で刀の柄を握った。


ザザッ!


 刀を振り上げた状態で斧騎士の目前で急停止。慣性の法則による前進し続ける力を刃に載せて、一気呵成いっきかせいに振り下ろした。対する斧騎士も、その刃を全力で振るう。


「ふんぬありゃぁっ!!!」

ドガァンッ!!!


 大上段から落とされた刀は、下段から振り上げられた斧を打ち砕く。そのまま刃は逆さ吊りの騎士の体を袈裟けさに切り伏せた。斜めに斬られてボトリと落ちた斧騎士は地面に衝突して砕け散る。


ゴオッッッ!

「うおぉぉっ!?」


 残った斧騎士の体を撃ち貫いて、ヨーコの顔面に大槍が迫る。


「ひぃっ!」

チュンッ!


 前髪の先を槍の穂がかすめる。ヨーコは身体を大きく仰け反らせ、顔に風穴が空く寸前でその一撃を回避した。


 球面を滑るように槍騎士が移動してきたのだ。石球はその全てが一つの幻魔、どこからでも騎士は生じ、どのようにでも移動できるのである。


 ヨーコは仰け反った姿勢から数度後方転回バック転し、少しばかり距離を取った。


「怖っ、死ぬかと思ったぁ……」


 球の左右に剣と槍の騎士が現れ、ヨーコに武器を向けていた。どちらも近寄らなければ攻撃はされない、少しだけ考える時間はある。


 と思っていた。


ビュンッ!

「ぎゃあっ!!!」

ズドンッ!!!


 騎士の動きから先読みしてヨーコは飛び退く。ゴロゴロと転がり、から身を避難させた。襲ってきたのは騎士が持っていた大槍。それを凄まじい速度で投擲とうてきしてきたのだ。


「わぁっ!」

ドガンッ!

「ひぃっ!!」

バガンッ!!

「うわぁっ!!!」

ズガンッ!!!


 次々と飛来する投げ槍。飛んで転がり側転し、ヨーコはそれらを回避する。


「こんのぉ……っ!好き勝手やってくれたなぁ!」


 声を放つ彼女へ向けて、槍騎士は得物を投げつける。


「ふんぬっ!!!」

ズボッ


 自身の横に突き刺さった槍を引き抜く。クルリと回し、穂先を上に向けた。


「せーのっせっっ!!!」

ビュンッ!!!


 たたっ、と短くステップを踏み、陸上部の真似をして槍を投げる。それは飛来する騎士の槍へと真っすぐ飛び、衝突した。


バッガァンッ!


 かち合った槍が砕け散る。両者は瓦礫と粉塵になり、空中に煙幕の如く舞い散った。


ブワッ


 その煙幕を穿ち晴らし、一本の槍が飛ぶ。


バズンッ!!!


 万物を貫かんとする一閃は獲物を正確に貫いた。それが貫いたのは槍を撃ち放った張本人、槍騎士であった。体の中心に突き刺さった槍と共に、騎士は砂となって消えていった。


「おぉーしっ!あと一つ!!」


 石球から上半身を出している、最後の騎士に向けて刀を向ける。剣を持つ騎士は石球の中心へと移動し、ヨーコと正対した。


バキベキッ


 剣騎士を中心として石の球にヒビが走る。割れ砕ける音が周囲に響き、幻魔はその姿を変えていった。石は頭となり、れきは腕となり、岩は足となる。変形を終えた石の塊は、ヨーコの二倍近くの背丈を持つ威風堂々たる騎士の姿となっていた。


「うひぃ、強そう……。博士~、逃げていいですかっ」

「逃げられるならばそうしてもらっても構わんが、逃げ道は有るのかね?」

「言ってみただけですぅ…………よーし、やるぞ!」


 怯えているのか、気が抜けているのか、意気軒昂けんこうなのか。さっぱり分からぬテンションで、ヨーコは刀を下段に構える。その目には一応の闘志が宿っており、少なくともこの場で死する気はさらさら無いようだ。


「おっしゃ、こーいっっっ!!!」


 ヨーコの咆哮に応じるように、巨躯の騎士が大きく一歩を踏み出した。ドズンという重々しい音を伴って、振り上げられた巨大な長剣がヨーコの頭目掛けて落とされる。


「ふぅぅ…………そこっ!!!」


 軽く息を吐き、下段構えから時計回りにぐるりと刀を回す。その刃が騎士の剣の腹を叩き、軌道を僅かに横へずらした。体捌たいさばきもそれに連動させ、ヨーコは騎士の一撃を上手く躱す。


「しっ!」

パァンッッッ!


 小さく振った刀が騎士の手を打つ。まるで竹刀で打ったかのような音が鳴り、小石が散った。それを皮切りにして、騎士の右手がバラバラと崩れ落ちる。


 斬るのではなく衝撃を打ち込む。衝撃は腕を構成する礫砂小石と砂に伝わり、その凝集を破壊した。ヨーコはそんな離れ業をやってのけたのだ。


「てぇいっっ!」


 数歩踏み込み、今度は右手一本で突きを放つ。

 それが狙う先は騎士の太もも、即ち岩である。ガズッという音を立てて、それに穴が空いた。しかしながら貫通させられるほどの威力も、刃の長さもない。


「もいっちょ!!」


 ざざっと身体を左に動かし、再び突く。またもや穴が空くが、やはり貫通はしなかった。騎士もただやられっぱなしではない。砕けた右腕を放置し、無事な左手で剣を掴み薙ぎ払った。


ザガンッ!

「危なっ!」


 飛び込むようにゴロリと左へと前転。靴のかかとと騎士の剣が擦れて、ジッと音がした。回避した後にすぐさま体勢を立て直し、ヨーコは攻勢に出る。


「これで、どうだっ!!!」


 両手で強く柄を握って大きく一歩踏み込み、騎士の太ももを柄の先端で思い切り打ち付けた。ドガンッと重い衝撃音が大地を揺らす。


 刀と言えば斬撃が主、だがヨーコは柄での打撃を選択した。それは何故か。理由は彼女が行った一連の攻撃にあった。


バガッ


 騎士の右脚が太ももで割れ砕ける。支える物を無くした幻魔が、大きく右へ体勢を崩した。だが、大地に突く右手はすでに無い。彼の者はそのまま、右方向へと倒れていく。


 空けた二つの穴を衝撃によってヒビで繋ぎ、そこを中心にして岩を砕いたのだ。


「これで、終わりだぁっっ!!!」


 体勢を崩した騎士。その好機をヨーコが見逃すはずがない。倒れてくる幻魔の首を目掛け、全力全開の一閃を叩き込んだ。


シパンッ


 破砕音も破壊音も起こらない、ただ切断音だけが静かに鳴った。


ゴドンッ!!


 巨大な物体が大地に転がり落ちる。別れ別れになった幻魔の体と首は、それぞれ衝撃を受けて粉々に砕けた。それは瓦礫から小石に、小石から砂に変わって風に攫われて消えていった。


 それと共に闘技場のようだった場所は元の平坦な広場へと姿を戻し、周囲の歪みは消えていく。


「ふ、ふぅぅ……、お、終わったぁ。生きてる~」

「うむ、ご苦労」

「それだけですかぁ?」

「特別報酬を用意しようではないか」

「うわーい、連日高収入だぁ…………もっと平穏に稼ぎたいんですがぁ…………」


 戦いを終え、冷静になったヨーコは空に向かって嘆いた。

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