第九討 悲シキ労働者

「ううう…………」


 ヨーコは目に涙を浮かべていた。

 それもそのはず。ゆったりとした日常を過ごしていたら、突如として非日常に連れ去られたのだから。流れるように拉致され、あっという間のうちにヨーコはお仕事異界探索を始める事となったのだ。


「吾輩の研究に協力出来る嬉しさにむせび泣くのは大変よろしい。が、あまり気を抜きすぎないように。異界は何が起きるか分からんのだからな」


 ヨーコを非日常へ放り込んだ張本人は、彼女の心の内など気にせずにのたまう。もう反論する気力もなく、ヨーコは青白い異界を歩いていく。


「友人から聞いたという舶来庭園ノ怪。今回はそこの探索としよう。まずは学院へ向かいたまえ」

「へぇい、分かりましたぁ……」


 何もしていないうちから疲労困憊の返事をする。何度目かの異界、研究所から学院までは支障なく行く事が出来るようになっていた。熟練などしたくはないのだが、ヨーコは着々と経験を積んでいく。


 路地を突き進み、塀を軽々と乗り越え、他人様ひとさまの家の中を土足で横断する。元界げんかいでは絶対に出来ぬ事の数々を、ヨーコは最早なんの気兼ねも無く平然と実行するようになってしまった。


 異界の平穏よりも自身の身の方が大切なのだ、仕方がない。


「学院前に到着、っと」


 普段見慣れた元界の門、そして昨日見たばかりの異界の門。その前にヨーコは立つ。格子門の向こう側でガサガサと幻魔が蠢いているのが見えるのは昨日と同じだ。


「ひぃ~、やっぱり怖いなぁ……」

「さっさと進みたまえ。時は金なり、一分一秒たりとて無駄にするべきではない。無論、吾輩の時間を、だぞ?」

「絶対、そうだと思いましたよ。はぁ~、行きたくなーい」


 そうは言いつつもヨーコは門を押し開ける。昨日と同じく、ぎぎぎぃと門が鳴いた。内部は昨日と変わる所なし、骨の馬が元気に駆け回っている。


「とりあえず隠れよ。見付かって良い事なんて何も起きないし」


 植栽の裏に隠れ、動き回る幻魔をやり過ごす。


「よっ、と」


 少し先の石柱の影目掛けて飛び込み前転。無事に到着して身を隠す。


「ほっ、うりゃっ」


 先の花壇目掛けて走り、ずざざっとスライディング。仰向けに寝そべる状態で、のしのしと歩く牛頭ごずの幻魔を回避した。


「ふっ、急げっ急げっ」


 寝ころんだ状態から身体のバネを使って飛び起き、走る。次の遮蔽物まで距離がある為、とにかく全力疾走だ。平均的な女学生よりかは、運動がそれなりに得意なヨーコ。駆け抜ける姿はカモシカの如く、とまでは言えなくともそれなりに様になっているはずだ。


 こんな訳の分からない世界で命がけで披露する事になろうとは、少し前の彼女は考えもしなかった話だろう。


「ふいー、ここまで来ればひとまず安心だぁ」


 腕で額の汗を拭い、ヨーコは地面に腰を下ろした。


 いま彼女がいるのは舶来庭園の入口の一つ、植栽迷路である。普通の学校にこんな物は作らないのが当然であるが、創設者が国からの補助金をちょろまかしてこっそり作ったそうだ。なお、そんなお茶目構造物は学院に色々とあるらしい。


 迷路の中をヨーコは進む。だが問題は、見通しの悪い迷路の中で幻魔とかち合う可能性があるという事だ。その危険性を考えたヨーコは、さっさと対応した。


「奇心纏装」


 昨日とは異なり、呟く程度の声量。それでも特に問題はなく、彼女は奇械を纏った姿へと変じる。


「ふぅむ、随分と慣れたものだねぇ。それにキミ、中々動けるじゃないか」

「それほどでも~。運動は結構できる方なので」

「運動が出来る、という程度ではないように感じるがね。まあ詮索せんさくする気はない、興味も無いが」

「興味を持ってもらいたいわけじゃないけど、なんか釈然としないなぁ……」


 ゲンジョウの言葉に、ヨーコはモヤモヤ。聞いておいて興味なし、は誰であっても同じ反応になるだろう。そこでふと、ある事に気付いた。


「あれ?博士、何で中々動けるって分かるんです?私、流石に口に出してませんよね」

「おお、そうだった。説明をしていなかったな、後ろを見たまえ。」

「後ろ?」


 言われてヨーコは顔だけを後ろに向ける。すると。


ぎょろり

「うわっ!?」


 目と鼻の先に目があった。正確には羽の生えた金色の目玉である。そんなモノと突然対面したら驚くのも当然だ。そして反撃しようと刀に手を掛けるのも。


「おっと、待ちたまえ。吾輩の発明を破壊しようとしないでもらえるかな?」

「え、発明?」

「うむ、その通り!」


 自信満々に言い放つゲンジョウ。困惑の声と共にヨーコは不気味な目玉をつつく。


「こらこら、揺らすんじゃぁない。こちらの映像が揺れるだろうが」

「え、これ見えてるんですか?」

「無論。キミの間抜け顔を珈琲コーヒー片手に鑑賞しているよ」

「うわっ、恥ずかしっ。というかこっちは命がけなのに暢気のんきすぎるっ!!」


 労働者は汗水たらして働き、雇用主は椅子に掛けてふんぞり返る。どこぞの暗黒ブラック企業もかくやという労働環境である。悲しき定めの被雇用者ヨーコは、心の中でさめざめと泣いた。


「その目玉はキミの腕輪とヱレキテルで繋がっている、散歩に連れ出している犬のようにな。放っておいても一定の距離を保って追従していくのだ。まあ、こちらから操作も出来るがな」

「可愛くないワンちゃんだなぁ…………。もっと見た目変えられないんですか?」


目玉の後ろや下を覗き込み、ヨーコは要望を提出した。それの向こう側でゲンジョウは顎に手を当て考える。


「それは必要な事かね?」

「結構切実に。やる気に関わるので」

「ふぅむ、そう言う事ならば善処するとしよう」


 珍しく要望が通り、ヨーコはこっそりと喜ぶ。がしかし、非日常におけるこんな事で喜んでいる自分が嫌になり、彼女の士気は少しばかり低下した。


ヒタッヒタッ……

「うゎっ」


 そんな気の抜けたやり取りをしていると、曲がり角の先から足音が近づいてくる事に気付く。驚いて大声を出そうとする口を押さえ、ヨーコは刀に手を掛けた。


ヒタッ

ヒタタタッ

バッ!


 足音はどんどん速くなり、遂には曲がり角から飛び出す。


 先手必勝。姿勢を低くしたまま走り、鯉口を切って抜き打たんとする。


「きゅうっ」

「わわわっ!?」


 そこにいたのはフワフワの白い毛玉。つぶらな黒い瞳を持ち、二本脚で立っていた。小動物のように鳴き、ヨーコの事を見て有るのか無いのか分からない首をかしげる。突進していたヨーコは急停止し、鞘から抜こうとした刀を何とか押しとどめた。


「あ、危なぁ…………可愛いの斬るところだった」


 警戒を解き、それの前に立つ。ヨーコは異界探索の経験を積み悲しいかな習熟し、害のある幻魔か否かを判別できるようになっていた。いま目の前に立っている三十センチ程度の白毛玉は、少なくとも害意のある幻魔ではない。


「きみ、いきなり飛び出したら危ないよ?」


 ひょいと白毛玉を持ち上げる。絹糸で出来た綿のように、フワフワすべすべの手触りだ。だが手で持っても、球状の形が変わらない。物理法則など関係ないと言わんばかりの不思議な存在だ。


「あー、でも癒されるぅ。異界にも可愛いの、そこそこいるんだよねー」


 すりすりと頬ずりすると、白毛玉はきゅうきゅうと鳴く。


「おい、ヨーコ君」

「なんですか~、癒しの時間を邪魔しないで下さいよー」


 どうせ探索遂行の催促だろうとヨーコは考え、その声を一蹴する。が、ゲンジョウは一つ溜息をいて言葉を続けた。


「そのままだと、永遠の癒しを得る事になるぞ?」

「は?それってどういう…………」


 彼の言葉を受けて毛玉から顔を離す。

 そこでヨーコは自身に落ちる影に気付いた。恐る恐る、ゆっくりと顔を上へと向けていく。そこにいたのは。


ギチチッ

「ぎゃああっ!!??」


 紫色の巨体と黄色の顎と触覚、そして無数の脚を持つ大百足。昨日の探索で見かけた、舶来庭園を蠢き這いずり回っていた幻魔だ。叫び声と同時に、そのグロテスクな見た目に鳥肌が立つ。


ギシャァッ!

「うおぉっ!?」


 大百足の咆哮を受けて、反射的にヨーコは白毛玉を抱えたまま飛び退く。ゴロリと地面を転がり、先程まで自身がいた場所を見ると大百足の頭が突き刺さっていた。


ズズズ……

「げ」


 地面を掘り起こした大百足の頭がゆっくりと持ち上がる。それは確実にヨーコの事を狙っていた。それを認識するが早いか、それとも動くのが早いか、彼女は弾かれるように駆け出す。


「うわぁーっっっ!!!」


 ヨーコと大百足の追いかけっこが始まった。

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