第7話 あの木、輝く木、命の樹

「はぁ...緊張した」


玉座の間の帰路アリスは胸をなでおろした。極度の緊張から解放された感覚は、サウナのような清々しさがあった。王に会った最大の目的も達成されようとしている現状に、この上のない満足感を感じていた。

せっかくだし、もう1度あの木を見て帰ろう。

思うより前に、アリスの足は自然と向いていた。あの木、輝く木、命の樹。


中庭に到着すると1人の男性が立っていた。妖艶さを孕む男にアリスの糸は少し張る、しかしそれにアリスは気づかない。光り輝く中庭のそこだけを塗りつぶしたような黒に、アリスは気づかない。綺麗に畳まれた羽だろうか、端正な顔立ちだろうか、およそ敵意など見られないその格好だろうか、理由は定かでは無い。


「君は、誰だい?」


木になる果実を見たまま、おもむろに口を開く男。低くいながらも安らぎを含んだ声に、アリスの意思はほどかれた。糸が、ちぎれんばかりに張るのを無視して。


「俺は、アリスっていいます」


「そう、アリス君。よかったら君も食べるかい?」


男は右手で弄っていた木の果実を1つ取りアリスに差し出す。その果実は、木になっていた時より遥かに魅力的に感じられて、思わず手が伸びそうになる。


「辞めたまえ、人をそそのかすのは」


鶴の声、思わずハッとするアリス。声のする方をむくとヤハウェが立っていた。


「アリス君、少し行った所にガブリエルを待たせてある。彼女について行くといい」


アリスは、ありがとうございます、と一言言って帰路に戻った。

アリスが去った中庭は不思議な空気に包まれていた。


「結界、甘かったかな?」


「貴方は私を低く見積もりすぎるへきがある。足元をすくわれるよ」


非常に落ち着いた雰囲気、だが冷戦が繰り広げられていた。


「肝に銘じておくよ。ルキフェル」


「シン、デス、おいで」


ルキフェルが声をかけると彼の影から二人の人間が現れた。


「宣戦布告だ。ここは、貴方の全ては、いずれ私のものになる。せいぜい足掻あがけ」


それだけ言い残して3人はまた影のように溶けて消えた。


​───────一方その頃。


「やっほー!」


廊下の奥の方で手を振る女性。百合のような見た目に、向日葵ひまわりのような明るさを備えた天使が待っていた。


「君がアリス君ね!僕ガブリエル!よろしく!」


差し出された手を握り返すアリス。握り返した手は少し湿っていた。よろしく、と挨拶を返し彼女の案内に従って出口まで向かう。早足で歩き続けるガブリエルはアリスに見向きもせず真っ直ぐ出口を目指す。その額は少し汗ばんでいた。


「どうしてそんなに焦っているんですか?」


アリスの問いかけにギョッとするガブリエル。信じられないものを見るような目で見られ、アリスは少し困惑する。


「まさか...君はなんともないの!?」


ガッ、と両肩を掴まれアリスは目を丸くする。なんのことか分からないアリスは、コクコクと黙って頭を縦に振ることしか出来ない。


「凄いな...聞いていた以上だ...」


そう呟くガブリエルを、アリスはただ見つめることしか出来なかった。


「いや、ごめん。...少し話そう」


アリスの張っていた糸は緩んだ。その時初めて自身の本能が危険信号を発していたことに気づく。


「晴れた...」


またも呟くガブリエルの言葉が何を指すのか、今になってやっと理解する。この城だけじゃない。国全体に強烈な闇が覆いかぶさっていた。目には見えない、普通の人には感じることもできない。しかしながら凶悪。そんな闇が今のこの瞬間まで国の全てを覆っていたのだ。

また、ガブリエルは歩き出した。それにアリスはついて行く。


「今の、君にも感じとれたでしょ?僕らには分かる、1度経験してるから。あれは、ルキフェルの仕業だ。」


「それだけじゃ...ない。1人じゃない」


─感じとった闇は3層。1番上が強く、下の2層を感じ取りにくくさせていた。間違いなく3層あった。


「君...フッ。期待してるよ、本番でも」


それはガブリエルにも分かっていた。闇の質がひとつでないことも、明確に3種類なのも、その全てがルキフェルに由来するものということも。

無事にエルサレムを出たアリス。モーセと再開し宿までの道を案内してもらっていた。


「どうでした〜?」


「それが...」


アリスはヤハウェとの話を大まかに話した。


「う〜ん、やっぱりですか〜」


─モーセは知ったふうだ。過去にも同じようなことがあったのだろうか。それとも、何かで見聞みききすることが出来るのだろうか。


「考えていた中で最悪のパターンですね〜」


「でも、俺は、ありがたいです。」


モーセは少し興味を持つ。普通、そうはならないからだ。


「誰とも知らない俺を、何を見てかは分からないけど信用してくれたって事ですし。何より、これで大精霊の居場所を知れる」


モーセはさらに興味を持った。アリスの言葉だけでは無い。その、貪欲なアリスの精神性に、アリスという人間そのものに興味を持った。


「へ〜アリスさんは〜大精霊に会いたいんですね〜」


「はい。それが、俺の育ての親に示された道なんです。今の俺の目標に近づくための道」


「ふふふ〜会えるといいですね〜」


そうして宿に着いた2人。モーセの予約していた部屋を聞き、その日は別れることにした。


「じゃ〜もし何かあったら〜誰かをよこしますので〜今日はおやすみなさい〜」


おやすみなさい、と挨拶をしモーセの背中を見送った。アリスは今日の日を思い返していた。

─今日は驚いてばかりだったな。でも、凄く凄く楽しかった。この世界に来てから俺は限りない自由だ。何をしてもいい、誰のためでもない、他でもない自分のために。進める。

そうして、長い、長い1日に幕を閉じた。アリスの計35年に渡る人生の中で最も長い1日だった。

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