第11話

 サンスクリットが旅立った翌日、サーラは館の庭で体術の型を練習していた。サンスクリットに教わったものだ。

「姫たるもの自衛出来ねばなりません」というサンスクリットの意向から、幼い頃より体術と剣術を仕込まれている。

 そのせいか時折、体を動かしたくなるのだ。


「珍しい動きだな」

 いつものように練習していると、起床してきたブレイブに声を掛けられた。

「東方に古くから伝わる体術よ」

 ブレイブは興味津々という様子で、目を輝かせながらサーラの動きを見守っている。サンスクリット以外の誰かに見られながら練習する事がないので、居心地が悪い。

「お姫さんなのに体術が出来るんだな」

 感心している様子でブレイブは言う。他人に褒められた事など無いので、サーラは嬉しくなった。

「体術と剣術しか出来ないわ。姫として必要な素質を持ってなくて……。踊りもお裁縫も何も出来ないの」

「そういうのは出来る人や得意な人がやれば良い。お互い不足するものを補って暮らしていくのはシュトルツ族では普通のことだ。お姫さんは自分がやれることをやればいい」

 真剣な表情でブレイブは言う。彼の言葉に王宮で言われた言葉が蘇る。家庭教師達は「姫なのにこんなことも出来ないなんて。母親が庶民で外国人だからね」と馬鹿にするばかりだった。

 サーラに出来ることをすれば良い、と声を掛けてくれたのはブレイブが初めてだ。


「ところでその動きは誰に教わったんだ?」

「サンスクリットからよ」

「へえ、あの護衛の。腕が立つ奴なんだな」

「彼は王族の近衛騎士になる前、世界を放浪する有名な剣客だったそうよ」

 世界を放浪する凄腕の剣術使いがいると聞いたイサークは、当時側妃として迎えたばかりの母サーシャの近衛騎士に、サンスクリットを勧誘したと聞いた。


「そうだったのか。だが、姫君が武術や体術を嗜むなんて、あいつの意向だったとしても国王や母親が許さなかったんじゃないか?」

「お母様はわたしを産んですぐに亡くなったし、お父様はわたしに興味が無かったから……」

 剣術や体術を学んでいることすらお父様は知らないんじゃないかしら、と言うとブレイブは悲しそうに目を伏せた。

「辛いことを話させてしまって申し訳なかったな」

「大丈夫よ、気にしてないから」

「……スフェールという豊かな国で育った姫なんて考えが甘くて世間知らずなのだろうと思っていた。どうせ結婚してもすぐ離縁すると思っていたが、お姫さんは俺の印象とは違うようだ」

 ブレイブに真正面から見つめられて不思議と胸が高鳴った。早くなる鼓動の音を耳にしながらサーラは、静かに笑った。


「俺との結婚をよく思っていない奴から嫌味を言われても感情的にならない、肝が座ったお姫さんだ」

「この結婚をよく思っていない奴っていうのは貴方の側近のことかしら?」

 悪戯っぽく言うと、ブレイブは口の端を少しだけ上げた。

「リアンのことか? あいつは側近じゃない、幼馴染みだ」

 ブレイブは笑っているような声音で言うと、背伸びをする。


「良かったら練習相手になろうか? 1人じゃつまらんだろう」

 ブレイブの提案にサーラは頷いた。サンスクリット以外の誰かと手合わせするなんて初めてだ。

 動き始めたのはブレイブの方だった。さすがシュトルツ族と思うような、俊敏な身のこなしであっという間にサーラとの間合いを詰める。

 サーラは彼の足を払うように蹴りを繰り出すが、ブレイブは軽やかに避けた。

 ブレイブの攻撃を受け止めるのに必死で、サーラが攻撃に出ることが出来ない。機会を窺っているうちに、いつの間にか地面に倒れていた。

 不思議なことに体が全く痛くない。ブレイブは、サーラに怪我をさせないように勝負に勝ったのだ。

 体術の遣い手でもここまで繊細に調整出来る者などほとんどいないだろう。想像していた以上の戦闘能力に驚くばかりだ。


「お姫さんの目、綺麗な紫色をしていたんだな」

 気付くとブレイブの顔が真正面にあった。いつも仏頂面だったブレイブがはにかみながらサーラを見ていた。優しい眼差しと、顔の近さにサーラの心臓は弾けそうだった。

「ほら」

 ブレイブは顔を赤くし惚けているサーラを見ていたが、立ち上がって手を差し出してくれた。

 サーラはその手を取り立ち上がると、離れた場所からにこやかな笑みを浮かべてこちらを見るアニーサと目が合った。居心地が悪くなり、ブレイブの手を離してしまう。

 温もりが離れたはずの手はまだ熱を帯びていた。

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