第3話

 嫁ぎ先のシュトルヴァ領にはサーラとサンスクリットだけで向かえと言い放ったイサークは、言葉通り婚礼の準備をしようとしなかった。

 その為、サーラ自ら準備を進めることになる。


 サーラは2週間後に控える結婚式に間に合うよう、自分の荷物を詰め込んだり、贈り物を取り寄せたりしていた。

 準備に忙しくしていたある日、扉の向こうから女性達の楽しげな声が聞こえてきた。少しして、扉を叩く音が響く。

 サンスクリットが部屋を出て、何やら話をしていたが、困惑した表情を浮かべサーラの元に戻ってくる。

「姉君達がお祝いの言葉を言いに来たと」

 サーラに会わせろと言っているらしい。

 しかし、お祝いの気持ちなど姉達が持っているはずもない。どうせ悪口を言いに来ただけだろう。追い返して、とサンスクリットに告げようとした時、扉が開いた。


「ごきげんよう、サーラ」

 先頭に立つ2番目の姉に続いて、ごきげんようと他の姉達も続く。

「聞いたわよ、貴女結婚が決まったのですってね。それでお祝いの言葉を掛けに来たのよ」

 勝ち気そうな2番目の姉は、サーラを冷たく見やる。彼女の言葉には、婚姻を祝おうなどという意思は微塵も感じられなかった。

「ありがとうございます、お姉様方」

 サーラが一礼すると、姉達は馬鹿にしたように鼻で笑う。


「それでお相手は辺境の部族長なんですって? わたくしより先にサーラが結婚するって聞いて驚いたわ。でも、獣の嫁ならねぇ?」

 姉の言葉に他の姉達はくすくすと笑う。

「王族の相手は王族のはずだけど、庶民の子である貴女にはぴったりの結婚相手だわ」


 サーラの母親は流浪の踊り子であった。世界各地を旅して、美しい舞を披露していたという。スフェールの王であるイサークは、彼女の美貌と踊りに魅了され、スフェール出身ではない彼女を側室として迎えた。異例の婚姻であった。

 そして生まれたのがサーラである。

 異母姉、異母兄達とは違い、唯一母親が平民で外国人であるサーラは立場が弱かった。


「それと……貴女はお父様に"婚姻の祝い"はしてもらえるの?」

 姉の言葉にサーラが歯を食い縛る。父がサーラの婚姻に何もする気がないのを知っていて聞いてくる性根の悪さに反吐が出そうだった。

 サーラの沈黙を肯定と受け取ったのか、姉達は顔を見合わせて笑い合う。


 スフェールでは姫が嫁ぐと決まった時、王宮で三日三晩宴会が開かれ、輿入れの前日に花嫁衣装を着た姫が街を行進するしきたりがある。これを婚姻の祝いと呼ぶ。

 サーラの結婚に何もしないイサークが婚姻の祝いを行うはずがない。


「せいぜい辺境の地でくたばらないように頑張ってね」

 姉の一人が楽しそうに話しかけた。

 サンスクリットが顔を真っ赤にして、握りしめた拳を震わせている。我慢の限界を迎えようとしているが、王族でもない一介の近衛騎士であるサンスクリットが姫君である姉達に王の許可なく話し掛ける事は無礼に当たる。それに2番目の姉は正妃の子だ。彼女の機嫌を損ねれば、最悪打ち首になるかもしれない。

 サーラは彼に視線をやり、我慢するよう伝えた。

「わたくしは異民族なんかじゃなく、砂の王に嫁ぎたいわ」

「お姉様の美貌ならハルハーン様を振り向かせられますわ」

 2番目の姉がうっとりとしながら話すと、それに同調するように他の姉達も頷く。


 夢物語を語るような姉の様子に、プツンと糸が切れた。

「……馬鹿みたい」

 ぽつりと呟いたサーラの独り言は、運悪く姉達の耳に入ってしまった。

「馬鹿みたいですって? ふん、お前なんかお父様にも愛されていないくせに。この王宮の人間は皆お前なんかどうでも良いのよ」

「好きに言ってください。わたしは必ず向こうの土地で幸せになりますから」

 鋭い眼光を帯びたサーラの視線にたじろいだように、姉達はそそくさと部屋を出て行く。


「申し訳ありません、サーラ様が好き勝手言われている中、何も出来なくて……」

「サンスクリットは良く我慢したわ」

「ありがとうございます、サーラ様」

「ねえ、サンスクリット。わたし、決めたわ」

 何を? と首を傾げて問いかけるサンスクリットに、サーラは満面の笑みを浮かべて宣言する。


「この王宮を出て、必ず幸せになるわ。もう何があっても泣かない」

 サーラを馬鹿にし見下してくる人間は、サーラが不幸である事が何より楽しいのだ。そんな人間を見返すには、彼等が羨む程幸せになれば良い。泣いてもサーラの不幸を待つ人間を喜ばせるだけだ。

 紫色の瞳には揺るぎない光が灯された。

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