69 ニルギリ/劍◆工匠の技術

◆□■


「はい、どうぞ」

碧と金の瞳の男と少女が一度、一階に戻って、茶を持ってきたらしい。


盆に乗せたガラス製のティーポットの中は琥珀色の茶で満たされ、その中でスライスされた果実が、ゆらゆらと揺蕩たゆたう。

「今が旬のニルギリよ。ちょっと果物を入れてみたの。ニルギリは、遺産指定されている西ガーツ山脈ってところの南の方で生産されている、有名な紅茶なのよ。たまには、フルーツティーも良いかなって」

少女が、うふふと嬉しそうに笑う。

「流石、棕矢きみの妹さん」と碧い瞳の男が言う。

「恭姉、ありがとう」と黒髪の少年が言う。

「恭さん、お盆、貸して下さい。重いでしょう?」と茶髪の少年が立ち上がり、手を差し出して言うと、少女が笑う。

「ありがと。お店で慣れてるわ、なーんて。ふふ、大丈夫よ。アキちゃんも座ってて」

「ありがとうございます。じゃ、お言葉に甘えさせて貰いましょうか」

茶髪の少年は素直に腰を下ろした。

少女がカップに茶を注ぎ、ソーサーに置く。碧と金の瞳の男がそれを、それぞれに配る。相変わらず、兄妹ふたりは息ぴったりである。

全員の前に茶が並ぶと「頂きます」と彼等はそっとカップに口を付ける。

癖が少ない、旬の香り高い紅茶。そして、果実から染み出した甘美な優しい風味。

口々に「美味しい」と漏らす。

少女が、また嬉しそうに、うふふと笑った。





  □ ■ □ ■ □





「〝工匠の術〟って何なんだ…?」

カップを置いた俺は、何となく呟いた。

恭姉が気を利かせて、少し息抜きする時間を設けてくれたというのに…ここ数日の、ややこしい話が絶え間なく俺の脳内を駆け巡っている。

「急に、どうしたんだよ」と、こちら側の棕矢そうやが笑って問い掛ける。

「…お前達が散々、工匠の術とか、力とか言っているのを聞いてたけれど、具体的には知らないんだよな…って。ふと思っただけ」

「ほう?」

反対側の棕矢が興味を示す。

「確かに、そう言われると、僕も詳しくは知りませんね。そもそも、この街では『工匠様は〝特殊な力〟を持っている、特別な家系』っていうのが一般常識ですからね」

あきらが言うと「まあ、そうなっているな」とこちら側の棕矢は、少し困ったように笑った。またコイツは、謙遜しているのだろうか? 家系だけじゃなく、お前達は相当凄いと思うけどな…俺は。

「工匠ってね? 少しでも血縁関係があれば、大なり小なり〝工匠の技術を操る力〟が、生まれつき備わっているんですって」

「え?」

俺は驚いた。だって、そう言ったのは棕矢でなく、恭姉だったから。てっきり、棕矢が説明をしてくれるものだと思っていたからだ。

「僕は術というと、普段から見ている〝封印ロックの解除〟と、館の周りに張っている〝結界〟…あとは〝店の間取りを変える時の術〟くらいしか知らないですけど…

実際は、もっと種類があるんですよね?」

……あれ? いつの間にか、話の主導権を惺に握られている?

全く、この好奇心の塊が。コイツは、こうなったら、気が済むまで、とことん聞こうとするだろうな。

「例えを挙げるなら、そんなところね。と言っても、私も全部を知っているわけじゃないから、お兄様でないと詳しい事は分からないけれど…」

「まあ、棕矢は本職プロですからね」と惺が言う。

こちら側の棕矢を見遣ると、なぜか、少し険しい顔付きになっていた。何か考え事をしているのか、ずっと一点を見ている。惺も流石に察した様で、反対側の棕矢に視線を移す。

正直、俺も興味はあるので、りげ無く「例えば、どんな術があるの?」と、反対側の棕矢に訊いた。

「そうですね、大きく分けると…

先程、惺君が挙げてくれた『解除術』と『保護結界』と『混合術』

これ等の応用で『張った本人にしか解けない強力な封印ロック』や、『鉱物の力を用いた、より強靭な保護結界』なんかもありますね。

あとは『抽出術』

ちなみに抽出術は存在きみたちを造った時に、たまたま得られたものです。

それから、このみせの門の鍵みたいに『術を疑似的に再現したり、補助したりする作用を持つ道具』いわゆる『魔性具』と呼んでいるものも作れます。と言っても、魔性具については、それなりに高度な技術と精神力を必要とするので、皆が皆作れるものではないですけどね」

「へえ…門の鍵って、恭が持っているやつ?」

俺は鍵の形を思い出しながら訊く。

「そうね。お祖父様が作ってくださったの。あと魔性具だと、門の鍵とは別に髪飾りのものもあるわ」

「奥が深いですね」

惺が感心している。声が嬉々としていて楽しそうだ。

「ええ。私達工匠は、強くせつに念じ、想像する事で、生まれつき持ち合わせた能力を活かしている、とでも言いましょうか。念じるだけで駆使できる仕組みは、定かではありませんが〝能力〟と〝精神〟をどれだけ連結リンクさせる事が出来るか…で、やれる事は変わってきます。十人十色ですよ。

だから、術の応用を挙げ出したら際限がない。ある意味、伝統的な特殊な力ですから、先人も色々と試行錯誤して、己に見合う多彩な術を編み出してきたのでしょう」

反対側の棕矢が説明をしてくれた。気付けば、俺と惺と恭姉は、未知の世界の話に引き込まれていた。

工匠の技術というのは、身近な様で、実はとても遠くて複雑なものなのかもしれない…。

「…そ、棕矢?」

まだ、眉間に皺を寄せ、ぼんやりとしているこちら側の棕矢に、俺は、そっと声を掛けた。

「ん? ああ、ごめん。恭の言う通り、工匠の力は、血で受け継がれていくんだ。

ほら、前も少し説明した事あっただろう?」

「え? あ! 店の間取りを術で変えている、って話を最初にしてくれた時!」

「だな。でも、力の個人差は大きくて…巧く操れない工匠ひともいると、お祖父様が言っていた」

「〝私〟が、そのタイプね」

「きょ、恭…。ごめんな」

「良いのよ。本当の事だから、大丈夫」

「そのタイプって…。恭さんは、苦手なんですか? 術を遣うのが」

棕矢の失言と、ずけずけと訊く惺の放言に、無性に苛々する。向こう見ずな発言なんて、二人にしては珍しい。

「全く。馬鹿…」

その鍵形の魔性具を、普段から使っているという話から、少しは察してあげてよ…。

恭姉が、ちらりと俺に視線を寄越した気がした。

「うーん。そうね。私、全く遣えないも同然の度合レベルなの」

「そ、そうだったんですね」

惺が、やっと意味を理解したのか、気まずそうに「すみません」と言う。

「良いのよ。アキちゃんも、お兄様も気にしないで。

昔、術が遣えるかどうか教えて貰って、試したんだけれど…上手くいかなくて。私には、難しかったみたい」

恭姉が「えへへ」と眉を下げて、寂しそうに笑う。

……恭姉。

「そんな、寂しそうな顔しないで」と思ったけれど、俺の知らない頃の恭姉のことだから、何だか無責任な言葉に思えて、口には出せなかった。

遠くを見詰め「お兄様の力になれたら良かったんだけどね…」と小さく呟く、恭姉。

「充分、なってるよ」と透かさず、こちら側の棕矢が言った。

「そう…かしら」

「うん」「ですね」

俺達の肯定に、恭姉は一瞬、瞳を見開いた後…「だと良いな」と優しい眼差しで、柔らかく微笑んだ。


「では。そろそろ、これも種明かししましょうか」

碧い瞳の棕矢が残っていた茶を飲み干し、カップをソーサーに置くと、意味深な瞳で俺達を見回した。

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