68 契約書/棕矢◆なぜ貴方は
例の如く、次に五人が集まったのは、次の日の深夜だった。
今宵は満月で、丁度、小窓から
「…来た」
碧い瞳の男が呟くと同時、白銀の光が渦を巻きながら現れる。
「今夜も、わざわざ来て頂けて光栄です」
片方の男が
「今日は貴方に、お願いしたいことがあるんです」
もう片方の男も立ち上がった。
しっかりと姿を現したお狐さまは微塵も動く事なく、二人の男をじっと見据えている。
暫し無言の緊張した時間が流れる。
…と不意に、ふわりとお狐さまの尾が揺れた。
『何だ』
「単刀直入に言いましょう。祈りの日に街の
口を開いたのは、碧と金の瞳の男だった。
「まず、貴方は祈りの日が天気雨になる度に、街の少女を一人ずつ連れて行かれる様ですが、それは本当ですか?」
「……」
「では質問を変えましょう。
〝工匠だけに伝わる口碑〟は正しいですか?」
「……」
お狐さまは、
男は…いや。二人の男が、全く同じタイミングで暗唱する。
〝お狐さま〟は、〝この街の表裏〟を支えているのです。
此方側の世界に雨が降れば、お狐さまは直ぐ近くで、わたし達を見ていらっしゃる。逆に、晴れている日には、そのとき雨降る地のお傍にいらっしゃる。そして。天気雨…〝狐の嫁入り〟の日には…〝全て〟を捧げるのです。
「これは工匠だけが知る、大事な言い伝えです。代々、口頭のみで内密に…工匠だけに受けに継がれてきた。
この言い伝えにある〝全て〟という言葉…。これは〝少女の魂〟を表しているのではないのでしょうか?」
スベテ……ショウジョノタマシイ
「なぜ…貴方は、少女を連れて行かなければならないのですか?」
「……」
「勿論、理由はあるでしょう。守護神と呼ばれる貴方の〝事情〟は、私達人間には理解できないかも知れません…でも……どうして、そのような事をされるのですか?」
碧と金の瞳の男の瞳に影が差す。瞳の奥で、やるせなさと、負の感情が渦を巻く。
穏やかに、冷静に淡々と紡ぎ出される言葉とは裏腹に、闇を
お狐さまと碧と金の瞳の男の間で、微かに風が起こり渦を巻いた。
「今から、私達が〝代わり〟となりそうな案を挙げるので、聞いてください。
お狐さまが、納得出来そうな案があれば良いのですが…まあ、難しいでしょう。だから、ほんの少しでも、何か引っ掛かったら教えてください」
こう言ったのは、碧い瞳の男だった。やはり淡々とした口調だった。
「もし少しでも可能性がある案があれば、場合によっては、もう少し捻ってみますので」
『良いだろう』
意外なくらい即答だった。少年と少女は、びくっと肩を跳ね上げたが、男は二人とも顔色一つ変えない。
「では、お願いします」
代替案
1、今後ずっと、表裏の私達の家系のみが、御祈りの日以外の儀式をする
例えば、街の少女達を集めた祭事…という名の儀式を執り行う
2、工匠が…
3、私達が……
4、…………………
5、御祈りの日には、お狐さまが望む鉱物を必要とするだけ捧げる
但し、ルナの
ここで意見が出尽くしたのか、男は口を閉じる。
お狐さまの背後を囲むようにして座っていた三人…黒髪の少年は斜め横から、対峙する男達とお狐さまを無表情で見ている。茶髪の少年は静かな笑みを浮かべ、お狐さまの堂々とした背を眺めている。少女は緊張で顔が強張り、手はぎゅっと服の裾を握り締めている。
パタン
「きゃっ!」
「…!」「…?!」
「……」「……」
見れば、床に置いてあった〝本〟が真ん中の
…誰も触れていないのに。それから、お狐さまの姿が消えていた。
少し怯えながらも、五人は何かに導かれるようにして本に近付き、恐る恐る覗き込んだ。
「な…何?」と誰かが言った…次の瞬間、更に不可思議な事が起こる。
開かれた空白の頁に、焦げ跡のような茶色い文字が浮かび上がってきたのである。…これは、碧と金の瞳の男が部屋で見付けた羊皮紙に、とてもよく似ていた。
「…ん?」
見れば、開かれた頁も見事に不釣り合いな羊皮紙だった。その部分だけが、異様な存在感を放っている。
ルナ語で羊皮紙に、さらさらと書き記されてゆく文字は、まるで見えない誰かが、今ここで、ペンを走らせているかの如く、次々と現れる…
始めの文章は、こうだった。
1、中和の存在は〝表裏 両世界を管理〟をすること。
よって〝正門以外の門〟の開閉を許可する。
誰とはなしに読み上げられる。
…と、スーッと文章が紙に吸い取られたかのように消えてしまった。
部屋の温度が一気に下がる。
「契約書ですか」
碧い瞳の男だった。初めの冷静な態度とは打って変わって、少々、高圧的だった。口の端を片方だけ吊り上げ、目は爛々と光っていて。その表情はどこか満足げだった。
と、再び本に文字が浮かび上がり文章となってゆく。
2、中和の存在は途切れることがないようにすること。
「ごもっともだ」と、碧い瞳の男が言う。
「となると〝工匠だけの口碑〟…いや〝君と私の家系の口碑〟を、少し変えないといけないな…」
親指を唇に当てた、碧と金の瞳の男が言った。すると、茶髪の少年と少女も口を開く。
「確かに、さっきの口碑だと〝
「〝
黒髪の少年も頷きながら言う。
「お狐さまと契約した〝役目を果たせる存在〟を絶やしてはいけない…って事か」
「ええ。でしょうね」と少女も頷く。
「あっ…また」
茶髪の少年が本を覗き込んで言った。
3、祈りの日には奉納品とは別に、指示された鉱物・術で清めた水の両方を必要なだけ捧げること。
4、祈りの日とは別に〝少女を集めた儀式〟を、定期的に執り行うこと。
毎回、少女の数は定数以上とし、儀式毎で指示した通りに行わなければならない。
「…三つ目は良いとして。四つ目が、何だか難しそうね」
少女が視線を落とす。
「それに、指示した通りに、って…今後、
茶髪の少年が首を傾げ言うと、碧い瞳の男が返す。
「ああ。多分それは、それこそ、お狐さまと〝契約〟をすれば可能だと思いますよ」
「あ、棕矢さん自身がそうだったのよね」と、少女が言う。
「ええ。私が夢の中で〝承諾〟した時点で、お狐さまと難なく会話できるようになりましたから」
「…まあ、俺達も含め、お狐さまと、しっかり連携が取れなかったら始まらないからな」と、黒髪の少年が言うと、茶髪の少年が頷いた。
「ですね」
パタン
輪の中心で音がした。今度は、本が閉じていた。
「ね、ねえ? これで…終わり?」
不安そうに膝の上で拳を握り、小首を傾げた少女が震える声で言った。
次の瞬間、少女が息を呑み、少しだけ
突然現れた発光する白銀色の線が、本の表紙を這うように一筆書きで模様を描いていたのである…。
描かれたのは、何やら紋章の様だった。
「何でしょう? これ…」と茶髪の少年が言うと、碧と金の瞳の男が静かに言った。
「
「え?」
数秒だけ光を放っていた不思議な紋章は、羊皮紙の
「本、見ますよ」
突然、碧い瞳の男がひょいと本を取り上げた。他の四人の顔に、戸惑いが浮かぶ。
「何して…!」
「大丈夫ですよ」
焦る黒髪の少年の声を無視し、男は平然とした態度で、真ん中辺りの頁をパラパラと素早く捲っていく。
「ほら」
ぴたりと手を止め、広げて見せたのは、つい先程まで開かれていた〝羊皮紙の頁〟だった。が、何も書かれていない…まっさらだった。
「元々、最初は無かった頁だ。お狐さまが、本に綴じてくださったんだろう」
言い終わると同時に、お狐さまが再び姿を現した。碧い瞳の男が訊く。
「
『ああ』
……交渉成立。
一瞬の
満足そうな笑みと、安堵の笑みが…
「解りました」「はい」
「アキちゃん? これで、もう御祈りの日に、行方不明になる
「今の話からすると、そうですね」
茶髪の少年が答えると、黒髪の少年も口を開いた。
「…俺達が、あの本に書かれたことを全て守れば、だろ?」
「そうですね」
「これから…ずっと…私達の〝役目〟ね」
茶髪の少年と少女が頷いた。
お狐さまは尾を揺らし、そんな彼等を眺めていた。
□ ■ □ ■ □
交渉が成立し、緊張が解け、皆が安堵している。
そんな中、私は余韻に浸るのもそこそこに、じっとその場に座って居るお狐さまに視線を向けた。
『お狐さま…聞こえていらっしゃいますか?』
私は、声を出さずに念じた。お狐さまが、ゆっくりと私の方を向く。視線が交わった。意思疎通出来ると確信した私は、続けて念じる。
『貴方は、どうやってこの館に入ってこられたのですか? 結界が張ってあったと思いますが…』
お狐さまは動かない。私も視線を外さない。
『本だ』と頭の中で声が響いた。
「本?」
お狐さまは、床に置かれていた
『ああ。この本が〝通り道〟になった』
通り道…正門以外で表裏の世界を繋ぐ、小規模な門。やはり、この副本が何か作用していたらしい。
『でも、なぜこれが通り道になったんですか?』と、私は念じて問う。
お狐さまの尾が揺れた。
『大きな力が宿っていた』
お狐さまが言うには、副本に〝工匠の力〟が〝蓄積されている〟という事だった。
お祖父様が本を作った時に
その可能性は大いにある、と私は納得した私は『ありがとうございました』と念じた。
『……
「え?」
唐突なお狐さまの言葉。
私は微笑んで、心の中で念じる。
『お狐さま。本当に、ありがとうございます』
お狐さまは〝白銀色の蛍〟になり、光の尾を引きながら、すうっと静かに姿を消した。
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