23 裏の棕矢◆正門/祖父□訪問者

目まぐるしく過ぎる、非現実的な日々。気付けば、もう八月も終わろうとしていた。

俺は正直、疲れ切っていた。


「本当、何でこんな事してんだろう…」

ぽつりと呟く。

……もう全て受け入れてしまった方が楽なのかもしれない。

くよくよしていても、らちが明かない気がしていた。それに正直、認めたくはないが、きっと心のどこかでは「〝守護神〟に自分が選ばれた」という事に少なからず舞い上がっていたんだと思う。

初めは今までに無いくらい、あんなにも苛立っていたというのに…。

でも、お狐さまと会う度、話す度…確かに俺の中にあったはずの抵抗は薄れていた。


そう…この日。

全てを受け入れてしまった〝この瞬間とき〟から、俺の人生は一変したのだ。


   ***


『〝正門〟を通って〝反対側〟の世界へ』出る。


それが〝彼〟との最初の約束。


約束と言っても「一方的な頼まれ事を聞いてやるだけ」という捻くれた気持ちも、まだ少しあった。


夜。お狐さまに言われた通り、ルナの大木の前まで来ると、例の如く白銀の光が現れ、頬を軽く風が撫でた。ふわりと夜の匂いがする。

「よう。神さま」

わざと感情を剥き出しにした挨拶をする。が、彼は動じることも、反応を見せることもせず、俺に鋭い目を合わせた。


『開門する』

一言だけお狐さまは告げる。

途端、彼の後ろにそびえた大きく太い幹が歪む。目がおかしくなったのかと思うくらい、ぐにゃり…と。直後、太陽を直視した時に似た、真っ白な光に視界を遮られた。

次第に目が慣れてくると、眼前には異質な光景が広がっていた。太い幹に三メートルくらいはある、大きな穴が開いていたのだ。

近しい表現をするなら、ブラックホールを純白にした感じだろうか。ただ白いだけで向こう側は一切見えない真っ白な空間…

直立不動で目を見開き、網膜に焼き付くのではないかと思うほど視線を外せない俺に、お狐さまは淡々と言った。


『この向こう側が〝もうひとつの世界〟だ』


モウヒトツ ノ セカイ ダ


やっと我に返り…今、耳から入って来た言葉の意味を考える。

……この向こう側が〝もうひとつの世界〟

ふと肩に僅かな重さを感じる。

……?

目を細める。いつの間にか、俺の身体を真っ白な布が覆っていたのだ。

……マント?

『お前達〝人間〟が、門を通り、行き来するには〝そのマント〟が必要なのだ』便利なことに状況に応じて、このマントは勝手に現れたり、消えたりする…らしい。

何の為の装備なのか、ぴんと来なかったが、特に支障は無いので適当に相槌を打っておいた。


……もう決めたんだ。

「行ってくる」


足を踏み出すと、纏った純白が舞い上がる。

お狐さまは、最後まで黙っていた。





表裏を繋ぐ真っ白な穴の中に居たのは、ほんの一瞬だった。

…いや、そう感じただけかもしれない。


サクッ


足下の感触で現実に引き戻される。下を見ると、芝生だった。俺は地面に、ちゃんと足が着いた事に安堵しつつ、顔を上げた。…思考が止まった。


〝景色が微塵も変わっていなかった〟から。


似ているとか、そういう度合レベルではない。あまりにも変化が無くて、どこかで間違えて、道を逆戻りしたんじゃないか? と疑うほど…。

けれど、お狐さまは確かに門を開いた筈だ。さっきの〝正門〟が幻覚だなんて思えない。それに俺だって、確かに門に踏み込んだ。


軽く混乱していると、お狐さまの声が聞こえた。

なんじの世界と瓜二つ。故、道は判る…』と。

まだ心の奥では、疑わしいという気持ちが渦巻いていたが、ここまで来たら、もう意地を張っていないで彼を信じるしかない。俺は〝見慣れた帰途〟にくのだった。


   *


みせに辿り着いた。

「うわ…流石〝表裏〟と言うだけある…。本当に館まで瓜二つ、なのか」

庭の門の外から見上げた巨大な建物は、違和感が無いくらい、何もかも同じだった。

「でも、本当にここは〝反対側〟なんだろうか?」

いちいち考えていると、頭がおかしくなりそうだ。苦笑いする。


さて。辿り着けたのは良いとして…

「どうやって入るか」

ある意味、自宅だというのに「どうやって入ろう」とか滑稽過ぎる。

素直に玄関からだろうか。

……あ。でも、こっちにも「門の結界」と「防犯システムの〝機巧しかけ〟」があるかもしれない。ここまで瓜二つで、こちら側の人間も工匠ならば、その可能性は高い。第一、まず今は深夜だ。たとえ呼び鈴を鳴らしたところで、気付くかも判らない。それに、もし気付いたとしても、初っ端から怪しまれると〝彼の命令〟が達成できなくなる率も上がる。


少し思案した後。

俺は、ある重要な事に気付いた。


「俺も〝術〟が遣えるじゃないか!」


難しく考え過ぎだった。そうだ。俺も〝同じ解除術〟が遣えるんだ。

こっちの世界の封印ロックが解けるかは判らないが、物は試しだ。機巧しかけも〝同じ〟なら多少は突破出来るかもしれない。




   □ ■ □ ■ □




夜中。

コンコン

という音で、目が覚めた。

気のせいか、と再び目をつむろうとすると…

コンコン


……?


それはカーテンの向こうから聞こえていた。

窓を〝叩く〟音…?

物が、ぶつかった音じゃない。明らかに、人工的に意図して鳴らされている。

コンコン…まるで、誰かが戸をノックしているかの様。

幸いにも、横に居る妻は起きていないみたいだ。

恐怖ホラー映画みたいで少し気味が悪かったが、計画プロジェクトの事もあったからか。私は恐怖を感じていなかった。悟りを開いた…とまでは言わないし、第一そんなに大した者ではない。ただ、人より色々と「非現実を経験し過ぎてしまっただけ」だ。

ベッドから降り、一息吐いてカーテンをそっと引く。


そこに居たのは一応…人の形をしたモノだった。


え? なぜ、そんな曖昧な表現をしたのか?

なぜならば…そのモノは真っ白なマントを羽織り、目元はそれと同じ純白のフードに隠れていて…。

風に吹かれ舞い上がったマントの隙間から見えた身体と、全体の輪郭線シルエットは一応、人の形を成していたから。でも、ここは二階だ。それなのに平然と態勢を保っているところを見ると、宙に浮いているのだろうか…?

とにかく、外見は人間でも、こんな状況下ではとても普通の人間とは思えなかったからである。私はこちらから窓を開け、慎重に声を掛けた。

「こんな夜分に、しかもこんな場所から人の家を訪ねるとは。君は…」


「すみませんね」


聞き覚えがある声。いや、聞き間違う筈のない声だった。

「き、君は…」

目の前のモノが手でフードを外した。顔があらわになる。一瞬言葉を失った。

そう…?」


「はい。初めまして。俺は〝反対側〟の棕矢です」





「分かった…その件は考えておく」


……私が崩し、歪めたことわりを私が補い、組み直す。

この、NidArgentアルジャンRenardルナール…いや、この世界の理を。


裏の棕矢そうやが私に課したのは〝元通りにしろ〟という事だった。


   *


元通りにする。それは、簡単なわけがない。私は神様でも魔法使いでも無いのだ。

いくら〝工匠〟という肩書が付いていても、結局…ただの人間だ。

でも、それでも……私は知恵を絞り出すしか無かった。

あの始まりの日と同じように。


  ***


それから数日。私は寝る間も惜しみ、ひたすら色んな案を考えた。

…けれど、ひとつ、ふたつ閃いたからと言って、そうそう上手くいくものでもない。

よって、どの案も中々に現実的では無かった。それに今回の件については、A氏達に相談できる話では無い。

私が責任を持って対処し、私がこの手で終わらせなければならない問題なのだから。

毎日、毎日…ひとりで、ひたすら考えた。

そんな私を、妻は何も言わず見守ってくれた。孫の面倒も、店の事もよくやってくれている。


私は、先代が残した本や文書を読み漁り…ある日、やっとの事で思い付いたのが

……己の手で『中和の役目となる〝存在カタチ〟を創ること』だった。

工匠わたしたちの口碑と、存在創造計画あのプロジェクトからヒントを得たのである。


そして、もう

今度こそは…


「後戻り出来ないんだ…」

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