21 裏の棕矢◆神/裏の恭◇心配なの
表の私は〝お狐さま〟に逢った事が無い、と言う。
祈りの日も工匠以外の人間が来るからか、お狐さまの方も姿を見せないらしい。
〝工匠の伝え〟を知っているのに、実物を目にした事が無いというのは、何とも腑に落ちないのではないだろうか…。
「でも、
〝逢った事も無い、お狐さま〟の事を、きっと本当に心から信じているんだろうな。
私は、傍に寄り添う〝守護神〟に、そっと触れる。
〝彼〟が目を細めた。
***
XX13年 8月
私が〝お狐さま〟と出逢ったのは夢の中だった。
あれは十三歳の夏だったか。雨が強く、やけに寝苦しい夜だった。
*
ふと気付くと、俺は何も無い闇の中に立って居た。
本当に何も無かった。物も人も無い。見える景色、全てが黒いインクをぶちまけたみたいに真っ黒に染まっていた。その中に、ひとりで、ぽつんと立つ俺。
しかし。突如、光を感じ、上を見ると、影みたいに真っ黒な雲が裂け…その隙間から
『
……?!!
声が聞こえた。
『汝は…私の……に…相応しい』
「だ、誰だ?!」
言うと同時に、目の前に光が渦を巻く。
絹糸のような白銀の光が徐々に、塊になり形になってゆく…
形作られた光の塊。
それは、四肢と尾がすらりと長く伸びた、大きな狐だった。一見、狼のようにも見える。目が
「お狐さま…」
凛々しく、真っ直ぐに俺を見据えた〝お狐さま〟は、再び言う。
『汝は、私の右腕となり、〝
頭に直接響く言葉が
……俺達が…犯した? 過ち?
「ふ、ふざけるな! 犯した? 過ち? 何だよ、それ…! そんな身に覚えの無いこと。濡れ衣だ!!」
怒鳴っていた。突然現れた
本当に意味が判らなかったんだ。
『また教えよう…』
言い残し、再び光の糸となって、彼は闇の中に消えていった。
***
あの出逢いの夢を見てから。
不思議な事に、私は彼と同じ、テレパシーのような会話が可能になったのだ。
出逢いの夢から数日が経った。
『
今でも、ふとした時に、あの声が聞こえる気がする。
そのせいか、夜になると余計に落ち着かない。
そんな日々が続いていた。
***
ある晩、俺は自分の部屋で、相変わらず悶々としていた。夕方降った雨のせいで、気持ち的にも少し憂鬱だ。「はあ…」と今日、何度目かの溜息が漏れる。
『汝は、私の右腕となり、〝
また、声が聞こえた気がする…ここまでくると、もう病気か催眠術にかかっているんじゃないかと思えてくる
ん? そう言えば…お狐さま「また教える、って…言ってたな」
……じゃあ、呼べば来るのかよ。
半ば、やけくそで思った俺は、声を出さずに語り掛けた。声を出さなかったのは、神への祈りというか…術を遣う時みたいに、念じた方が伝わるかと思ったからだ。
『お狐さま…聞こえるか?』
勿論、こんなの最初から駄目元だったさ…
……?!
突然、一気に気圧が変化した時のような…耳に水が入った時にも似た感覚に襲われる。耳が塞がって、もわもわとする…気持ち悪い。
『何だ』
「え?」
今、確かに声がした。しかし、耳はまだ塞がった感覚のまま。
……そ、それじゃあ「嘘…だろ?」
『
頭に直接流れ込み、響く声…。
「お狐さま…ほ、本当に通じた」
意思疎通が可能だと確信を持った俺は、意識を集中させる為に目を閉じた。
そして、問う。
『貴方に訊きたい事がある』
お狐さまは黙っている。
問う。
『俺は…どうして貴方に〝選ばれた〟んだ?』
返事は無い。でも、一言出て来てしまえば、次々と喉元に込み上げてくる言葉を抑えられなかった。思わず声に出ていた。
「俺達が何をしたんだ…どうして神様のあんたが、こんなに
俺は不機嫌ではあったが、それなりに冷静だったし、語気も強くはなかった。けれど、自分でも驚くくらい低い声だった。
そこで、ようやくお狐さまが淡々とした声で答える。
『そこまで望むのなら、教えよう』と。
*
それから俺は〝〝
始めは〝反対側の世界〟に居るという自分と同じ名前の少年、妹と同じ名前の少女、その祖父母の話だった。彼等もまた〝対〟故、同じく代々、工匠の家系だという。そして、こちら側の祖父母が始めた「過去に亡くなった兄妹の両親を復活させる為」の研究について。更に今から二年前、お狐さま自身が〝御祈りの日〟に
その禁忌が〝表裏の
結果、今では「お狐さまですら対応しきれない〝表裏で起こりつつある弊害〟の数々」について…。
他にも、いくつか細かい事を聞かされた気がする。
そして彼は、最後にこう言った。
『ひとつの禁忌が、表裏の世界の天秤を傾けたのだ』
*
一通り聞き終えると、今の話は漠然とした夢物語の様で、俺の中には不思議な感覚だけが残っていた。一度に話されても、理解出来る内容じゃなかった…きっと大半を理解出来ないまま、聞き流してしまった。
しかし、俺の中で唯一ちゃんと理解できた部分がある。
「
〝お狐さま〟は、〝この街の表裏〟を支えているのです。
工匠だけが知る、内密な〝言い伝え〟と、正にぴったりの内容だったから。
「本当に、裏の世界は在ったんだ…」
気付くと、いつの間にか
理由は判らないが、足は、ただ真っ直ぐに大木のもとへ駆けていた。
全力疾走で、すぐに息が上がる。所々、
何の手違いで、こんな事に巻き込まれてるんだ!
俺が選ばれた? あれは、本当にお狐さまなのか?
裏の世界がある? 本当に? いや…言い伝え通りなら、在る…んだ。
疑問と、その疑問を打ち消す言葉が、次々と脳内で生まれては消える。
「はあっ…はあっ…」
息が苦しくて喉がひりひりする。大木の下に崩れるようにして、しゃがみ込んだ。
そのまま幹にもたれ、全身を預ける。
蒸し暑い夏の夜。絶えず吹き出す汗で服が肌に密着して、蒸し暑さが倍増する。
つうっ…と、急に涙が零れて俺は上を向く。
……久し振りに泣いたな。
見上げた空は星がとても綺麗だった。
と。
見た事のある光が涙で霞む夜空の星に混ざった。
一瞬幻覚かと思ったが、違うらしい…
徐々に〝それ〟は、はっきりと姿を現し始めた。
……まさか!
碧白い細い光が目の前で絡み合う。夢と同じ…形を成してゆく。
「お…お狐さま……」
俺は
『汝は、この役目を果たすのか否か…』
俺は、ついさっきまでの感情が全部抜け落ちたみたいに無心で答える。
「一日くれ。明日、同じ頃、ここに来る」
やけに淡白な自分の声が不気味だった。お狐さまは『ふん』と鼻を鳴らすと一応了承はしてくれたらしく、頷く。
それから姿が朧になり…また光の糸となって解けていった。
彼の姿が…光が完全に消えたのを確認してから、俺は立ち上がった。
□ ■ □ ■ □
この頃、お兄様が相当疲れてる。いつも
*
そんな八月のある夜。お兄様が血相を変えて、お
それから暫く、お兄様は帰って来なかった。
そして結局、帰ってきたのも真夜中だった。
何も言わず、あんな風に慌てて出て行った事…今までに無かったと思うわ。
心配だったけれど何だか深追いしちゃいけないように思えたから、今も何があったのか訊けず仕舞だわ。
それに、あれからも、お兄様は私と居る間や昼間は何事も無かったかのように振る舞うものだから…余計に訊くタイミングが無かった。
……私は心配なの。お兄様。
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