19 祖父□代償
〝儀式〟は順調だった。
念も、想いも安定していて、特に問題は無かった。
勿論、手順にだって問題は無かった。
本当に順調だった。途中までは。
***
「よし。やってみよう」
「はい」
まず。いつもと同じく〝基礎〟から。つまり、精神統一。
鉱物で造られた二重の
今回においては、私の役目はあくまで彼の補助だ…しかも、その全てが工匠の力と、自分の経験…という曖昧なもの頼りなので「私は環の一番外に居るべき」と判断したのだ。要するに〝主役〟の環に〝部外者〟は踏み込んではいけない。
彼と共に、私も目を閉じて集中する。私達の呼吸が、それぞれ同じ速さで、同じ深さで繰り返す。多少、結界のせいもあるだろうが、あまりに静かだった。物音ひとつしない空間は、日常からすれば不気味だったが私は仕事上、慣れている。
それに、おかげで棕矢も、ちゃんと集中している様だしな。ひとまずは良かった。
少しして。私は、棕矢が完全に落ち着いたところを見計らって、水差しに触れた。
カタ
小さな音と、水の揺れる音。そのまま、彼の前に置かれた木製の浅い器に、水を注いでゆく。見事に、棕矢は驚きもせず、集中も切らしていない。よし…大丈夫だ。
「両手を出して」
棕矢は素直に、ゆっくりと手を前へ突き出す。私は彼の
「そのまま器に、手を入れて」
ゆっくりと〝手と鉱物〟が下りてゆく。
器の水に手の甲が触れたのか、一瞬、棕矢の動きが止まった。
「水に手、全体を浸して」
恐る恐る、手を器に沈めていく少年に、次の指示を出す。
「もう一度〝基礎〟…焦るなよ」
『ここが一番肝心な工程だからな』と、心の中で言う。
「…………」
***
「そう。僕は、そこで涙を流したんだ…。 だから、それを零さないように手に集めて…」
「うん。だから、おじいちゃんも、その時に
…器に入れた〝
「…うん」
***
棕矢が、ふと目を開けた。
感極まっているのか、頬は紅潮し目は今にも泣き出しそうなほど潤んでいる。
その視線が、不安そうに
「棕矢…目を閉じて」
優しく。諭し、語り掛けるように言う。
ひとつ息を吐いた彼は、再び目を閉じる。
私は、それと同時に術をかけた。
工匠の混合術を。
器の水は緩い渦を巻き、鉱物達はより呼応し…
ルナの
〝混ざり切る〟頃には感情の波が少し引いたのか、少年は安らかな
でも。
そう安心した、次の瞬間。
……?!
少年の眉間に皺が寄り、これは明らかに何かが起こったと私に知らせる。
目を
***
「あ…!」
……!!
唐突に、棕矢が発した声は、同時に〝奇跡の合図〟と化した。
私の目に映った、その人……いや〝その子〟は…少女の姿をしていたのだ。
目の前。環の中に。
「私達がよく知っている子」の姿をした……
〝
ふんわりとした
傍に置かれたままの〝器の中身〟は、一滴も残る事なく、消えていた。
カエッテキタ…。
計画は成功した…
しかし。
「ひっ…」
声にならない悲鳴を上げる。
この
……私は〝彼女〟と目が合った瞬間を一生、忘れないだろう。
なぜなら。
〝その子〟の瞳には、色が無かったからだ。
色素が薄いとか、比喩とか、そういう話ではない。一切ない。
色の無い瞳は…まるで無機質な人形の目や、深海の生物をも連想させる。
背筋が凍り、愕然と現実から、かけ離れた恐怖の情景を眺める。
他人事のように。
金縛りにあったかのように暫く、彼女から目を離せないでいた私は更なる恐怖を味わう事となった。
近くで鈍い音がした。
何かが床に落ち……違う。
棕矢が
私は咄嗟に環の中に飛び込み、棕矢を抱き締めた。
突然の出来事に〝彼女への恐怖心〟など吹き飛んでいた。
……これは、〝あの夜〟と同じ?
いや、違う。あの時とは違った…。
抱き締めた少年の身体は完全に力が抜け、鉛のように重い。
それは、まるで糸が切れて主を失った操り
焦点が合っていない瞳が、辛うじて私を捉える。
……!!
目に映ったのは、最悪の光景だった。
少年の瞳は虚ろで、身体も徐々に冷たくなっていく。
碧い瞳は、片方だけ色を失っていて…いや、正確には、失いつつあって…
虚ろと呼ぶにも呼べない無機質なものへと、着実に変化していく。
そう…〝彼女〟と同じ瞳に。
彼女の方を見ると…彼女の左目だけに変化があった。
……碧い。
無機質だった瞳が、碧く染まる。
布に、色の付いた水を染み込ませるみたいに…。
段々…段々。じわじわ じわじわ…
棕矢の〝左目の碧〟が薄れる度、恭の〝左目の碧〟は濃くなってゆく。
私は気付いた。
「このままでは、棕矢の命が危ない!」直感が、私の中でけたたましく警鐘を鳴らす。
………棕矢の瞳が、恭と〝共鳴〟している!!
もう、どんな言葉を掛けていたのかなんて覚えていない。無我夢中で、どうしたら良いのか思考を巡らせた。
あれは、火事場の馬鹿力というのか…。
気が付いた時には、私の手は〝
****
「金紅石…RUTILE(ルチル)」
金紅石(TiO2)
正方晶系。柱状、または膝頭(Knee sharp)状の接触双晶。双晶でなく塊状のものもある。
結晶には、条線と呼ばれる細かな筋を持つものが多い。
あるいは、金黄色の繊細な結晶(針~繊維状結晶)として、石英や、コランダム等の透明な鉱物中に形成され……それは〝ルチル入り水晶〟と呼ばれている。
ちなみに、水晶に含まれる、針状結晶が金色に見える理由としては、可視光の反射率と、吸収特性が、金と近いからと考えられる。
色は、赤褐色か赤、黄色、黒と様々で…研磨の仕方によっては、キャッツ・アイ効果が得られる。
断口(劈開面以外の方向の断面)は貝殻状の
閃緑岩、花崗岩、角閃岩。
及び、片麻岩…要に、長石、石英、雲母、角閃石等から成る鉱物…と、
それ等、多種鉱物の、副成分鉱物として生成する。
それから、補足すると…
ルチルという名は、諸説あるが、ラテン語で「rutilus 赤味を帯びた」の意。
勿論、和名も字の如く、然り。
同成分の鉱物は、鋭錐石と、板チタン石という鉱物なのだが。
・鋭推石「アナテース」は…ギリシア語で「Anatase(アナターゼ) 引き伸ばす」の意。和名は、鋭利な見た目から。
・板チタン石「ブルッカイト」は…英国の鉱物学者「H.J.Brooke(ブルカイト)(1771-1857)」から。こちらの和名も、見た目から。
それ等の中で、ルチルは最も産出頻度が高い。
****
結論から言うと、この金色の針状結晶には高密度な治癒能力が宿っている。
更に「潜在能力を引き出す力」もあるとされている。
曖昧な記憶を辿ると…多分、私はルチルを含む石英から、ルチルだけを抽出したんだ。工匠の技術に「抽出」というものは無いが、きっとどれか他の術を応用した。
元々、塊状のルチルも
私は〝
…工匠の混合術で。
抱き抱えていた棕矢の左目に、私が創った色が染み込んでゆく。
……良かった。少しだけ体温が戻ったか。
と、視界の端で、何かが動いた。
「そうか…」
私の喉の奥から、低い声が漏れる。
……やはり。この奇怪な光景の理由は、彼等二人の〝呼応と言う名の共鳴〟だったのだ。
「禁忌には、代償が必要…か」
こちらを、ぼんやりと見詰める〝彼女〟の瞳も。
今、私の腕の中に居る少年と同じ…〝碧色と金色〟をしていた。
恭の右目は〝
つまり。
私が補ったものは、〝この子〟にも反映された。
目を逸らし、下を向く。頭は現状を、こんなにも冷静に推察、分析しているのに。
なのに、
それでも。
……ここで「諦めてなるものか」
私は覚悟を決めた。顔を上げて言う。
「お帰り、
そして、この時。
無防備な少年が、自分に何が起こっていたのか、なんて知る
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