19 祖父□代償

〝儀式〟は順調だった。

念も、想いも安定していて、特に問題は無かった。

勿論、手順にだって問題は無かった。

棕矢そうやが頑張ってくれたおかげで、鉱物達も明確な呼応を示していて…

もとにする鉱物いしを選ぶのにも、思ったより手間が掛からなかったよ。

本当に順調だった。途中までは。


   ***


「よし。やってみよう」

「はい」

まず。いつもと同じく〝基礎〟から。つまり、精神統一。

鉱物で造られた二重のの中に座る少年。こうやって改めて見ると、暗い中、蝋燭ろうそくの灯だけで浮き彫りにさせられた姿が、どこか神秘的なひとつの芸術作品のようにも映る…。古代から神聖な場や、儀式にもよく環が用いられる…。きっと、有りと有らゆるモノの力を引き出すには「御誂おあつらえ向き」ってやつなんだろう。〝魂の終着点と出発点〟を表すにも環が用いられるくらいだ。しかし今、環の中には棕矢だけ。

今回においては、私の役目はあくまで彼の補助だ…しかも、その全てが工匠の力と、自分の経験…という曖昧なもの頼りなので「私は環の一番外に居るべき」と判断したのだ。要するに〝主役〟の環に〝部外者〟は踏み込んではいけない。


彼と共に、私も目を閉じて集中する。私達の呼吸が、それぞれ同じ速さで、同じ深さで繰り返す。多少、結界のせいもあるだろうが、あまりに静かだった。物音ひとつしない空間は、日常からすれば不気味だったが私は仕事上、慣れている。

それに、おかげで棕矢も、ちゃんと集中している様だしな。ひとまずは良かった。


少しして。私は、棕矢が完全に落ち着いたところを見計らって、水差しに触れた。


カタ


小さな音と、水の揺れる音。そのまま、彼の前に置かれた木製の浅い器に、水を注いでゆく。見事に、棕矢は驚きもせず、集中も切らしていない。よし…大丈夫だ。


「両手を出して」


棕矢は素直に、ゆっくりと手を前へ突き出す。私は彼のてのひらを上に向け、そのままの状態で両手をくっ付ける。手で椀を作る感じだ。そして、その小さな手の上に〝ルナの鉱物いし〟を、そっと乗せた。


「そのまま器に、手を入れて」


ゆっくりと〝手と鉱物〟が下りてゆく。

器の水に手の甲が触れたのか、一瞬、棕矢の動きが止まった。


「水に手、全体を浸して」


恐る恐る、手を器に沈めていく少年に、次の指示を出す。


「もう一度〝基礎〟…焦るなよ」


『ここが一番肝心な工程だからな』と、心の中で言う。


「…………」


   ***


「そう。僕は、そこで涙を流したんだ…。 だから、それを零さないように手に集めて…」

「うん。だから、おじいちゃんも、その時に鉱物いしを二つ、器に入れたんだよ」

…器に入れた〝燐灰石アパタイト〟と〝金紅石ルチル〟は、確かに、の中で明瞭に呼応していたから。


「…うん」


   ***


棕矢が、ふと目を開けた。

感極まっているのか、頬は紅潮し目は今にも泣き出しそうなほど潤んでいる。

その視線が、不安そうにくうを、さ迷う。


「棕矢…目を閉じて」

優しく。諭し、語り掛けるように言う。

ひとつ息を吐いた彼は、再び目を閉じる。

私は、それと同時に術をかけた。


工匠の混合術を。


器の水は緩い渦を巻き、鉱物達はより呼応し…

ルナの鉱物いしは、碧い光を纏いながら、溶け出し…蝋燭の灯が、水面で踊る。

〝混ざり切る〟頃には感情の波が少し引いたのか、少年は安らかな表情かおになっていた。


でも。

そう安心した、次の瞬間。


……?!


少年の眉間に皺が寄り、これは明らかに何かが起こったと私に知らせる。

目をつむったままの彼は、のちの数秒で肩の力を抜いたものの、全身の緊張はまだ解けていない。


  ***


「あ…!」


……!!

唐突に、棕矢が発した声は、同時に〝奇跡の合図〟と化した。


私の目に映った、その人……いや〝その子〟は…少女の姿をしていたのだ。

目の前。環の中に。


「私達がよく知っている子」の姿をした……


存在カタチ〟が横たわって居たのだ。


ふんわりとした輪郭線シルエットの白い薄手のワンピースが、風も無いのに微かに揺れる。

傍に置かれたままの〝器の中身〟は、一滴も残る事なく、消えていた。

存在カタチ…いや。恭が戻ってきた。

カエッテキタ…。


計画は成功した…



しかし。

つかの間、〝鮮やかな夢〟は一瞬にして崩れた。

きぬ擦れの音。見ると、カタチが起き上がっていた。そして、私を見た。

「ひっ…」

声にならない悲鳴を上げる。

この瞬間とき。一瞬で、私の歓喜は恐怖に塗り替えられた。全身の毛穴が開き、皮膚が粟立つ。


……私は〝彼女〟と目が合った瞬間を一生、忘れないだろう。

なぜなら。


〝その子〟の瞳には、色が無かったからだ。


色素が薄いとか、比喩とか、そういう話ではない。一切ない。

色の無い瞳は…まるで無機質な人形の目や、深海の生物をも連想させる。

背筋が凍り、愕然と現実から、かけ離れた恐怖の情景を眺める。

他人事のように。

金縛りにあったかのように暫く、彼女から目を離せないでいた私は更なる恐怖を味わう事となった。


近くで鈍い音がした。

何かが床に落ち……違う。

存在カタチのすぐ後ろ。

棕矢が朦朧もうろうとした表情かおで床に倒れている。

私は咄嗟に環の中に飛び込み、棕矢を抱き締めた。

突然の出来事に〝彼女への恐怖心〟など吹き飛んでいた。


……これは、〝あの夜〟と同じ?


いや、違う。あの時とは違った…。

抱き締めた少年の身体は完全に力が抜け、鉛のように重い。

それは、まるで糸が切れて主を失った操り人形マリオネット

焦点が合っていない瞳が、辛うじて私を捉える。

……!!

目に映ったのは、最悪の光景だった。

少年の瞳は虚ろで、身体も徐々に冷たくなっていく。

碧い瞳は、片方だけ色を失っていて…いや、正確には、失いつつあって…

虚ろと呼ぶにも呼べない無機質なものへと、着実に変化していく。


そう…〝彼女〟と同じ瞳に。

彼女の方を見ると…彼女の左目だけに変化があった。


……碧い。


無機質だった瞳が、碧く染まる。

布に、色の付いた水を染み込ませるみたいに…。

段々…段々。じわじわ じわじわ…


棕矢の〝左目の碧〟が薄れる度、恭の〝左目の碧〟は濃くなってゆく。


私は気付いた。

「このままでは、棕矢の命が危ない!」直感が、私の中でけたたましく警鐘を鳴らす。

………棕矢の瞳が、恭と〝共鳴〟している!!


もう、どんな言葉を掛けていたのかなんて覚えていない。無我夢中で、どうしたら良いのか思考を巡らせた。

あれは、火事場の馬鹿力というのか…。

気が付いた時には、私の手は〝金紅石ルチル〟が包含ほうがんされた石英を掴んでいた。


   ****


「金紅石…RUTILE(ルチル)」


金紅石(TiO2)

正方晶系。柱状、または膝頭(Knee sharp)状の接触双晶。双晶でなく塊状のものもある。

結晶には、条線と呼ばれる細かな筋を持つものが多い。


あるいは、金黄色の繊細な結晶(針~繊維状結晶)として、石英や、コランダム等の透明な鉱物中に形成され……それは〝ルチル入り水晶〟と呼ばれている。

ちなみに、水晶に含まれる、針状結晶が金色に見える理由としては、可視光の反射率と、吸収特性が、金と近いからと考えられる。

色は、赤褐色か赤、黄色、黒と様々で…研磨の仕方によっては、キャッツ・アイ効果が得られる。


条痕じょうこん(鉱物を素焼の磁器に擦りつけた時に生じる筋)は淡褐色から黄色まで。

劈開へきかい(割れやすい性質)は、伸長方向に平行で、明瞭。

断口(劈開面以外の方向の断面)は貝殻状の凹凸おうとつ


閃緑岩、花崗岩、角閃岩。

及び、片麻岩…要に、長石、石英、雲母、角閃石等から成る鉱物…と、

それ等、多種鉱物の、副成分鉱物として生成する。


それから、補足すると…

ルチルという名は、諸説あるが、ラテン語で「rutilus 赤味を帯びた」の意。

勿論、和名も字の如く、然り。


同成分の鉱物は、鋭錐石と、板チタン石という鉱物なのだが。

・鋭推石「アナテース」は…ギリシア語で「Anatase(アナターゼ) 引き伸ばす」の意。和名は、鋭利な見た目から。

・板チタン石「ブルッカイト」は…英国の鉱物学者「H.J.Brooke(ブルカイト)(1771-1857)」から。こちらの和名も、見た目から。


それ等の中で、ルチルは最も産出頻度が高い。


   ****


結論から言うと、この金色の針状結晶には高密度な治癒能力が宿っている。

更に「潜在能力を引き出す力」もあるとされている。

曖昧な記憶を辿ると…多分、私はルチルを含む石英から、ルチルだけを抽出したんだ。工匠の技術に「抽出」というものは無いが、きっとどれか他の術を応用した。

元々、塊状のルチルも部屋ここにあったが、それは恭の〝素〟で使い切っていたから咄嗟に、その選択肢を選んだのだろう。

私は〝金色ルチル〟を〝色が抜け落ちた瞳〟に流し込んだ。

…工匠の混合術で。


抱き抱えていた棕矢の左目に、私が創った色が染み込んでゆく。

生気いろの失われた、無機質な瞳の中でうごめく複雑な陰影は、器で渦巻いていた存在カタチを、脳裏にフラッシュバックさせる。


……良かった。少しだけ体温が戻ったか。

と、視界の端で、何かが動いた。カタチだった。また、彼女とが合う。

「そうか…」

私の喉の奥から、低い声が漏れる。


……やはり。この奇怪な光景の理由は、彼等二人の〝呼応と言う名の共鳴〟だったのだ。


「禁忌には、代償が必要…か」


こちらを、ぼんやりと見詰める〝彼女〟の瞳も。

今、私の腕の中に居る少年と同じ…〝碧色と金色〟をしていた。

恭の右目は〝金紅石ルチルの金〟、左目は〝棕矢が分け与えた碧〟だった。


つまり。

私が補ったものは、〝この子〟にも反映された。



目を逸らし、下を向く。頭は現状を、こんなにも冷静に推察、分析しているのに。

なのに、感情こころが追い付いていない。予想外の事が起こり過ぎて、もう自分が冷静なのか、混乱しているのかも判らなかった。


それでも。

……ここで「諦めてなるものか」


私は覚悟を決めた。顔を上げて言う。

「お帰り、きょう


そして、この時。

無防備な少年が、自分に何が起こっていたのか、なんて知るよしもなかった。

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