12 祖父□ヒント/棕矢◆おじいちゃんのご飯

XX11年 7月


七月に入った頃の夜。

私達は〝いつか〟のように寝室で妻と話していた。


恭は、いつも兄に付いて回ってばかりいた、とか。

五歳になってからは、兄妹そっくりで好奇心が旺盛だった、とか。

私達がよく本を読み聞かせていたら棕矢そうやも真似するようになった、とか…


それから、また〝いつか〟のように…

妻が眠ってしまうと、私も目を閉じたのだった。


 *


ふと目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。

私の目の前には…

大切で大切で、今すぐにでも会いたいと懇願していた〝あの二人〟が居たのだ。

しかし、ここはさっきまで、妻と会話していた部屋。私達の寝室だ。

それにしても、少し怖いくらい静かだ。いや、目に見えているもの全ての気配が消失している、と表現する方がしっくりくる…。

動揺しながらも、私は息子の名前を叫んだ。叫んだ…? 力一杯、名を呼んだ筈なのに、自分の声が聞こえなかった。物音ひとつしなかった…。

「何で…お前は私に会いに来てくれたんだろう!」

けれど、どんなに声を張り上げたつもりでも、そこはしんと静まり返ったまま。

困惑する私に、息子夫婦が微笑んだ。そして。

『ありがとう』

二人の口が、はっきりと動いた。いつも見ている場所なのに、いつもと全く違う空間。静寂の中、その今にも、消えてしまいそうな二人に…私も無我夢中で「ありがとう」と返した。

息子は、それに頷くと…唐突に、てのひらを開いて見せた。

…彼の手の中には、ある鉱物の欠片かけらがひとつ。


『る・な・の・い・し』


口がそう紡ぐ。

……ルナの鉱物いし

私の視線は、差し出された鉱物と、息子の顔を何度も行き来する。

途端、無意識の内に、すがるように手を伸ばし、私は叫んでいた。

「それが! それが何なんだ! 私は何をすれば良いんだ?!」と。


『また、会いたいです』


今度は聞こえた気がした。懐かしい息子の声が。

しかし、その直後の一瞬で彼等は居なくなっていた。 

私は目覚める。

身体中、汗でびっしょりだった。

頬に違和感があって、指で触れると涙の痕が付いていた。

外は白み始めているのか、カーテンの隙間から、一条の淡い光が差している。

……夢。幻想。正に儚く、朧げな夢だったな。

私は、ひとり寂しく微笑むと、横で眠っている妻を起こさない様、そっと階下に下りたのだった。


私は台所に行くと、ミルクを温め、カウンターの椅子に腰掛け、飲む。昨夜の夢を出来るだけ細かく思い出そうとした…が、目頭がじわじわと熱くなるだけで、カップが空く頃には、考えるのをめていた。

流しでカップを洗おうとした時…。「今まで、妻が食事を作ってくれていたんだよな…」と頭をよぎる。普段、私が起きる時間も早い方だとは思うが、妻はもっと早くから朝食の支度をしてくれている。

……今朝は、私が作ろうか。

私達の朝は、いつも軽食程度だが…今日は何か、少し手の込んだものでも出してやろう。

大抵、カフェ・オ・レや、ミルクで済ませるところを、スープに。バゲットには、うっすらマーガリンと、マーマレード…その上に、軽くシナモンを振り掛ける。そして、付合わせに、ほんの少しのサラダを。


   *


「よし」

出来上がった、少し豪華な朝食を前に、私は大変、満足で優越感たっぷりだった。

「ふふ。貴方、良く出来ました」

急に声がして飛び上がる。見回すと、階段の陰からこちらを見ている妻の姿があった。私は途端に恥ずかしくなって、目をらす。頬が紅潮しているのが嫌でも判った。

「い、居たなら、声くらい掛けてくれ」と、上擦った声で、ぎこちなく言うと、妻は「だって貴方、こっそり部屋から出ていくんですもの」と笑う。

「起きてたのか」

「ええ。一階したに下りて行ったかと思えば、何だか物音がするし、段々良い匂いがしてくるし…だから、たまには貴方のご飯が食べたくなったのよ」

期待が混じった嬉しそうな笑顔を見せる妻の姿は、どこか若き頃を思い出させた。

私は、何となく、むず痒くなって「じゃあ、棕矢そうやを起こしてくるよ」と言い、そそくさと逃げるように二階へと向かったのだった。


   *


コンコン

ドアを叩く。

……あれ? 普段なら、妻の手伝いをする為に、この時間には起きている筈だが…。

私は、そっと扉を開ける。


…棕矢は、まだベッドで寝ていた。

彼の腕の中には〝本〟が抱かれている。

「ああ…」

これは、棕矢と恭がよく一緒に読んでいた鉱物図鑑だ。そして、彼の五歳の誕生日に、私があげた物だった。大事そうに本を抱えて眠る少年を前に、哀愁を覚えると同時に微笑ましさも感じる。


「棕矢、起きなさい。ご飯、出来てるぞ」

そっと声を掛けると、少年が、ぼんやりと目を開ける。そして私の姿を確認すると、急にぱっちりと目を見開いて大いに驚いた後、なぜか、今度は赤面してしまった。本をタオルケットで隠しながら、桃色の顔を少しらして「お、お早うございます…」と。

私は、ついさっきの自分を見ているみたいで思わず大声で笑ってしまった。

笑いを堪えながらも「ほら、食事も冷めてしまうから、早く来なさい」と告げる。

それから、扉のノブに手を掛けたところで振り返り…

「今朝は、おじいちゃんが作った、ご飯だぞ」と、わざとらしく言ってやった。

少年は少し思案した後、「本当?! やった!」と珍しく、実に子供らしい反応をしてくれた。


部屋を出ると気付かぬ内に、にやにやとしてしまっていた私。久しく見ていなかった棕矢の、素直な子供らしい反応が凄く嬉しかったのだ。


「子供は、ああでなくちゃな」




   □ ■ □ ■ □




今朝、お祖父様じいさまが、僕を起こしに来てくれた。

だから…恭によく読んであげていた本を、抱えて寝てるところ…見られちゃった。

昨晩は懐かしくなって、色々と思い返しながら、それを読んでいたんだ。でも、いつの間にか寝ちゃっていたみたい…。


起きたら、目の前にお祖父様が居るし、何か楽しそうだし…それに、ご飯…作ってくれたんだ…。


「色々と恥ずかしかった」

僕は、そう思いつつも「おじいちゃんのご飯か…楽しみだな」なんて嬉々わくわくとしていた。

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