07 恭◇異変/棕矢◆妹の失踪/祖父□捜索

たまにね?


……お兄様が、とても寂しそうなの。


どこかを見詰めて。

何かを〝想う〟ように。

その〝碧〟と〝金〟を微かに濡らして…。


「お兄様…」


……貴方の瞳には、何が映っているの?



私には、貴方を…「救う事が出来るのでしょうか?」




   ***




私は、お兄様が大好きです。


どんな時でも優しくて。毎日、ご本を読み聞かせてくれて…ご本を読み終えた後は、必ず頭を撫でてくれます。


私はそんな物知りで優しい、お兄様とのお話が凄く好きなの。

あ! 勿論、お祖父様じいさま、お祖母様ばあさまのお話も、とても面白くて好きよ!


でも、やっぱり…私は、お兄様と過ごす時間が一番好きです。

だから、いつも、お兄様のそばに居るの。

そうすると安心するし、素敵な事もたくさんあるから。


私は。

お兄様も、お祖父様も、お祖母様も。

この家族が大好きです。






この日も、私はお兄様に、ご本を読んで貰っていたの。今日の、ご本は少し難しくて…残念だけれど、全部は解らなかったわ。でも、どのページにも綺麗な絵が描かれていて…それに楽しそうに読んでくださるお兄様を見ていたら、私まで嬉しくなっちゃった。

きっと、あのご本には、お兄様の好きなことがいっぱい書いてあるのね!


私は〝あのご本〟が、お気に入りになったの。

きっと、お兄様にとっても、お気に入りで大切なご本だから。


だから、また。お兄様に読んで頂きたいと思っています。

その時は…今より、ちょっと理解できるようになっていたら良いな。


   *


ふと気付くと、もう昼食の頃合いになっていました。

お兄様は掛時計を見ながら「ちょっと待っててね。一階したに行って、ご飯を持ってくるよ」と、私の髪を撫でながら微笑んで言いました。


お兄様が部屋から出ていくと、急にしんと静まり返ってしまい、何だか心細くなってくる…。

私は、何となく手元に置いてあった、お兄様のご本を手に取ってみました。それは思ったよりも重たくて、大きくて。私では若干じゃっかん、腕で抱え込む感じになっちゃった。


と…〝こんにちは〟


「え?」

どこからか声が聞こえた気がする…。

お外かしら?


私は本を抱えたまま、つま先立ちをして窓の外を見てみたの。

…お外は明るく陽が出ているのに、なぜか雨が降っていました。


でも、いくら探しても、お外には誰も居ない…不思議だわ。空耳かしら…。


すると。

今度は〝おいで〟と言う声がした。


私は、少し怖くなる。

お兄様は、まだ戻って来ない…。

「どうしよう…」

涙目になりながら、一階に下りようとすると…


急に身体が軽くなった。


どうしてか判らない。少し朦朧もうろうとしてきた。

しかし混乱している間にも、自然と足が動いてしまっていた。勝手に、私の足は真っ赤な階段を駆け下りていく。


怖いのに。もう今にも泣きそうなのに…

私の足は、どうして止まらないの! どうして? どうして!

遂に、玄関の前まで来てしまって…目の前で、勝手にドアが開く。

「お兄様!」

呼んでみたけれど声は届かない。お外は普段通り。けれど、今の私は変になってしまったのかもしれない…。私の身体はそのまま門をくぐり、みせの外に出てしまいました。


…ふと。ガラスの割れるような音。


そして。

眠りに落ちるように、意識が遠退とおのきました。





   □ ■ □ ■ □





紅茶とラスク。恭が好きな、お祖母様ばあさまの特製苺ジャムを盆に乗せ…僕は、溢さないように慎重に階段を上る。紅茶の茶葉を探すのに、手間取ってしまった。

「恭は大丈夫だろうか?」そう思いながら、部屋のドアを開ける……と。そこに居る筈の、恭が居ない! 驚いて、盆を机に乱雑に置く。その拍子に紅茶がカップから零れ、飛び散った。部屋の窓辺には、さっきまで読んでいた本が置いてあった…が窓を開けた様子は無い。

……いや待てよ?

冷静に考えると、お手洗いに行っただけの可能性だってある。

「何もそんなに、焦る事は無いじゃないか」

自分にそう言い聞かせ、そのまま待つ事にした。


   *


「遅い…」

部屋に戻ってから、もう数十分が経っている…。昼食は、すっかり冷めてしまった。

流石に心配になってきた。


僕は部屋から出て、捜す。

ホテルのようにいくつも似た扉が並ぶ廊下に、ますます不安をあおられる。


   ***


みせ中を捜した。

どれくらいの時間、捜していたのかは判らない。

始めは慎重だった足取りも、段々と速くなっていった。

汗が目に入って痛い。

涙が出てくる。

不安の涙なのか、汗が目に染みて出た涙なのか、もう判らなかった。

走り続けて息が苦しい。

この広い館中を、ひとりで隈無く探す事なんて出来ないんじゃないか…と、何度も立ち止まりそうになる。

けれど、いくら走っても。いくら部屋の扉を開けても…いくら呼んでも、恭を見付けられない。…その時。


「結界が解けた…!」


日頃から多少の〝術〟は教わっていたから、何となく判ったのだ。

……きっと、お祖父様じいさま達が帰って来られたんだ!

僕は、とにかく一刻も早く、お祖父様とお祖母様の顔が見たくて。

玄関まで駆けた。




   □ ■ □ ■ □




御祈りの儀式が済むと、私達は挨拶もそこそこに、急いでみせに戻った。

もう若くもない身体故、必死だった。

おぼつかない足取りで息を切らしながらも、門まで辿り着くと館の結界を解く。

そして、震える手で扉を開けた。


そこには、棕矢そうやが立っていた。

驚きながらも「ただいま」と声を掛けようとして、私達は彼の異変に気付く。

少年は肩で息をしながら、拳を握り締め、瞳一杯にしずくを溜めていた。そして、それが零れぬように口を真一文字に結び、唇を強く噛み締めた顔は…明らかに、何かを訴えている。滅多に泣く事の無かった彼の姿に、私達は戸惑う。

刹那。途轍とてつもない不安が襲い掛かってきた。


……そうだ。恭は? 恭はどこだ!


普段は中々、兄の傍から離れない子なのに…。

様々な思考と想像、憶測が荒波のように押し寄せる。


やっとの事で絞り出した私の声は、驚くほど酷くしわがれていた。

「恭は…どこだ? 一緒か?」

幼いこの子には、私の切羽詰まった醜いあの声は、どう届いたのだろう。

途端に彼の瞳から、ひとつ。またひとつ…しずくが零れてゆく。

それから喉を詰まらせる苦しげな音と共に、棕矢は泣き崩れてしまった。


その「ごめんなさい! ごめんなさい!」と繰り返す姿に、私達は訳も解らず、ただ黙る事しか出来なかった。


   *


それから一時間くらい、彼は泣いていた。一旦治まっても、またすぐ赤子のように泣き出す。何度も、何度も…。


  *


妻の介抱の末、ようやく彼が落ち着いた頃。

棕矢は、私達が危惧していた事を、淡々と語り出したのだった。


昼までは二階で、二人で本を読んでいたこと。昼食とお茶を取りに、棕矢だけが一階に下りたこと。部屋に戻ると、恭が居なくなっていたこと。そして、窓辺には読んでいた本だけが残っていたこと。しかし窓の鍵は閉まっていたこと。

それから館中を捜し回ったこと。


話が終わると「そうか…。棕矢、よく頑張ったな」と言いながら、その小さな頭を撫でてやった。

すると少しは安心した様で、私の胸に顔を寄せた彼の口元が緩むのが判った。

それに釣られ、こちらも少しだけ、緊張がほぐれる。


 *


その後、三人で必死にみせの中を捜し続けたが、その甲斐も虚しく、恭の行方は全く不明なままだった。

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