03 惺◇もう一人のアキラ

僕がここへ来てから、数日が経つ。

部屋にもって、ぼんやりとしていた時の事だった。


その日は、何となく落ち着かず、朝からずっと気を張っていたのだ。それは…いつに無く。これは…。新たな環境に、まだ慣れていないからなのか。

「それとも…」

あそこまえ〟と〝ここいま〟の類似点。

そんな風に、何時間も掛けながら、じわじわと気力を消耗させられていた。

その削れていく感覚を紛らわす為に、備え付けのベッドに寝転び、何度も体勢を変える。


と、コンコンと部屋の扉が叩かれた。足音も気配も無く、本当に唐突だった。だから一瞬、飛び上がってしまう。僕は、その反動を使うようにして起き上がり、一呼吸、吐いた後「どうぞ」と短く応じた。

ゆっくりと開いた扉の向こうに立って居たのは、あの黒髪の少年。改めて思うと、歳は…僕と殆ど大差無い気がする。

鮮血のような、鮮やかなくれないの瞳がひたとこちらを捉える。

途端、貫かれた気がした。それほどに強い目をしていたのだ…彼は。

驚きつつも、ひとまず「どうしたんですか?」と、簡潔に訊いてみる。

すると意外にも、迷い無く見据えていた視線が落ち…それから俯き加減のまま彼は言う。

「話がある」

それから、少し間が空いた後「お前…何かあったのか?」と続けた。

その脈絡無き言葉は、予想していたものと遥かに違っていた。

あんな深刻そうな目をしていたのに、出てきた言葉が、あまりにも抽象的過ぎて…。

だから恐らく、僕は不思議そうな顔か、苦笑いでもしたのであろう。何となく、彼に睨まれた気がする。でも、仕方無いだろう? 脈絡が無いのだから、君が何を言いたいのか解りっこないさ。


「急に…どうしたんですか?」

しかし、その答えは実に簡単だった。

ただ、朝から僕が顔を出さないものだから、兄妹ふたりが心配しているらしい、と。

…そうか。気付けば、相当考え込んでいたのか時刻は昼過ぎだった。

それは、さて置き。

「君は…僕に話があるんだろう?」と、第二の疑問を投げる。すると、彼は一瞬向けた瞳を再び伏せ、暫くの沈黙の後で「そうだな」と答える。

そういうわけで、まずは、その場に立ち尽くしていた彼を部屋に招き入れ、ベッドに座らせる。それから、彼から聞いた伝言のこともあったので、階下に居るという兄妹に顔を見せてくる、と告げ部屋を出た。


もう、今では見慣れた広間ホールに足を運ぶ。

コツコツと靴音が響く廊下。建物の外装からは、想像も付かないような、長い長い廊下…。そして、平然と並ぶ扉達。まるで、高級ホテルという例えが具現化されたかのような、ちょっとばかり非日常的な場景。柄でもなく嬉々わくわくとして、その奇奇怪怪な道を踏み締めた。


……どこか、懐かしい想いとも取れる心持ちで。

あのひらけた部屋に入る。

そこには、カウンターの中でグラスを拭いている棕矢そうやと、古風な洋書に目を落とす恭さんが居た。こちらの足音に顔を上げ、安堵の表情を向ける二人に挨拶をする。「彼等は、何もかもが絵になるなぁ」なんて、しみじみとしながら。

取り敢えず、具合が良くないという理由を付け、早々に部屋へ戻ろうか…〝彼〟も待ってくれている、なんて。嘘か真か、こんな曖昧な理由。

……きっと、この二人の事だ。「取って付けたような科白せりふだ」と、お見通しでしょうね。けれど、そんな上辺ばかりの理由を伝えると、恭さんは顔色ひとつ曇らせる事なく「食事は?」とだけ訊ねてくれた。

が、僕は、ただ首を横に振ることしか出来なかった。


今、僕の瞳には……。

明るい時の〝そこ〟は、初めて見た時とは全く違う場所のように映っている。

穏やかな喫茶店カフェでも、薄暗い洒落しゃれ酒場バーでも無い…。

でも、言葉に表せずとも独特な雰囲気を漂わせる、落ち着いた空間。


見慣れてきた筈の場所なのに…

やはりそこは、まだ〝別世界〟なのである…。


……そして、それは時に。この心を締め付ける。


   *


部屋に戻ってみると…。先程の少年は部屋を出て行った時から微塵も動く事なく、ベッドに腰掛けていた。

「待たせてしまいましたね…」と苦笑を浮かべると、彼は小さく首を振って否定を示す。

「では…話がある、と?」

部屋の南側にある出窓の縁に腰掛けながら、静かに訊ねる。それに「ああ」と口を開いた彼は〝先程〟と同じをしていた。

「お前は…あの手紙を不審に思わなかったのか…?」

そして開口一番、突飛な質問であった。

あの手紙。初めてここに来た時に見せた手書きの地図と、ここの鍵が入っていた封筒のことを指しているのだろうか。

「不審ねえ…僕は、ただ受け取っただけですよ。ああ…でも、その…直接じゃなかったですけどね」

「ほう…」

くれないが、ちらりと僕を見遣る。

「直接でない、か」

「はい。僕はここに来る前まで、孤児院に入っていたんですよ」

僕は、遠くを見ながら呟いた。

それから「だから直接でなく、保母さんを介して受け取ったのだ」と付け加えた。と、それに、ぴくりと彼が身じろいだのが判った。

「孤児院…」

……どうしたのだろう?

「さて、その話題を挙げたからには…何か?」

僕がりげ無く促すと、少しの間の後に肯定の頷きが返ってきた。

「名前……」

それは、とても小さな声だった。

「名前…?」

「まだ…俺の名前、お前…知らないだろ」

また脈絡無し。拙く機械的に話す彼は幼子の様でもあり、寂しそうでもあった。初めて顔を合わせた時の人物とは、まるで別人みたいに思えるほど。脆く、今にも壊れてしまいそうに見えたんだ…。

それきり黙ってしまった彼に、更にその先を促す。

「ああ、失礼しました。そう言えば、お訊きしていませんでしたね…」

そう言って、柔らかく微笑んでみる。

「ちなみに、こちらの名前は把握してくれて…」

言い終わらない内に頷きと共に彼は、ぽつりと言った。

「アキラ」

「はい、あきらですよ。僕は」

「そ、そうじゃない…アキラ」

「はい?」

「俺も…あきらだ」

その言葉に、一瞬息を呑んだ。

「君も、アキラ君…なのか?」なんて、繰り返し訊いてしまった。

素直にこくりと頷き、こちらを見詰めた彼は…その表情かおは、どこかで見た事のある顔だった。

「幼き頃の〝自分〟…か」


もうひとりのアキラは、僕の部屋から出て行った。

「あの手紙は……俺が送った…」と、目を合わせることも無いままに。

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