02 惺◇再会

門の先は、暫く広い庭だった。芝生に敷かれた小道に沿って歩くと、建物の玄関が見えてくる。玄関には、短い階段があり、その上に外国のパブを連想させる古惚けた木製の扉が待ち構えていた。頭上には鈴蘭形の洋灯ランプが吊り下げられ、橙の柔らかい灯りを零している。洋灯の優しい灯りに導かれるように…ゆっくりと、僕は、その〝扉〟を開けた。「…失礼します」と、恐る恐る。


建物に入ると、開けた広間ホールになっていた。臙脂色えんじいろ絨毯カーペットが一面に敷かれ、正面の突き当りには、小さな木の丸テーブルがちょこん…と置いてある。僕は見慣れない空間を、慎重に進んでゆく。少し行くと、左側には同様の絨毯カーペットが敷かれた、大きな上り階段。突き当たり…小さな丸テーブルの手前を左に曲がり…階段の前を横切ると、部屋が在った。

…ゆっくりと足を踏み入れる。

部屋そこは薄暗い照明で満たされ、ほんのりと良い香りを漂わせていた。入って右側にはアンティーク調の机と椅子が二つ。左側の奥にカウンター何だか、ちょっとした喫茶店カフェ酒場バーみたい。

そして。そこには、先客が居た。美しい黒髪に、切れ長の紅眼を据えた少年。その隣には、清楚で大人びた雰囲気を纏った少女。肩の辺りまで伸びた、ふわふわとした、栗色の髪が彼女の微かな笑みに合わせて揺れる。

「綺麗…」

気付くと、そんな科白せりふが零れていた。

だって、彼女の微笑みと、彼の横顔が余りにもうれいを帯びていたから…。

少年が、ふと顔を上げた。それに釣られるようにして、少女も一瞬驚いた顔をしたが、すぐこちらに気付く。

「お兄様…! お客様よ!」

少女は、椅子から立ち上がるとカウンターの中に入り、奥へと姿を消した。

それを呆然と眺め、立ち尽くす僕…を見た少年は、少しだけ優しい目を向けて口を開いた。

「いらっしゃい、あきら君」

……名前。どうして。


そこへ、先程の少女と、もう一回りくらい歳が上であろう青年が現れた。

「お兄様、彼かしら?」

「ああ、そうだよ。本当に…惺…よく来たね」

「えっ」


……僕は、この声を…知っている。

目の前で、優しく微笑み、僕の名を呼んだのは誰なのか。

必死に記憶を呼び起こす。〝彼〟は、少し笑いながら、ちらりと視線を横に向けた後、再び僕を見詰める。そして、「久し振りだな、あきら」と言った。ふと…そこで、ぴんと来た。

「お前…棕矢そうやか…?」

僕の問いに、彼はにっこりとして言う。「正解」と、子供みたいな無邪気さで。

と、そこで暫く黙っていた黒髪の少年が口を開いた。

「…取り敢えず、座れよ」

その言葉を聞いた途端、何だか急に気が抜けてしまった。思っていたより疲弊していたのかもしれない。それでも、今は休んでなどいられない。

彼等には、訊きたい事が山程あるのだ。


「そうだなぁ…惺には、どのくらい会ってなかったんだろうな…」

想いを馳せる、その表情は記憶の中の棕矢と全く変わっていなかった。

こいつは昔から、色んな意味で〝年相応〟という言葉を無視した奴なんだ。

「どのくらいって…僕が〝院〟に入ってから、そんなに経ってなかったから…えっと…七年くらい前からじゃないか?」

「七年…。もう随分、会ってなかったもんな」

「そうだよ。急にお前が、待ち合わせに来なくなったから…」


……本当は、凄く不安だったし、心配だったし、寂しかったんだ。

なんて、恥ずかしくて口が裂けても言えないな。

「…どうした?」

「…え? いや」

こちらをじっと見詰める彼は、なぜか少し悲しそうな瞳をして言った。

「…お前。飛び出してきて、後悔してないのか…?」と。


   *


〝院〟…それは、僕の家だった場所……〝孤児院〟。

その孤児院は、一風変わったところで。魔法と呼ぶのが相応ふさわしそうな…何だか不思議な部屋が、いくつか在った。幼い頃の目には物珍しく、興味で目を輝かせていたであろう。けれど、もう十年以上も孤児院に居たから正直、飽きてしまったんだ。建物も庭も探検し尽くした。

優しい保母さん達が居てくれて、時間になれば温かいご飯が食べられて、そんな何不自由ない生活をしてきたのに、黙って抜け出してきたのは罰当たりだろうか。

それでも今となっては、そんな事より〝外〟に出たいが故、結果としてここに居る自分ぼく


   *


そこへ、コトンと鮮やかな色彩のカクテルグラスが置かれた。見ると少女が、あとの二人の分も並べている。

「え…っと。これ…」お酒? 今、僕は十六歳だ。お酒は飲めない。見慣れないきらめく洒落しゃれたグラスを前に、言葉を詰まらせると、少女がくすりとして「お酒じゃないわ。見た目だけ」と、少しだけ肩をすくめて見せた。

彼女の一言を境に、淡い照明を纏うグラスを見詰めながら、僕は新たに話題を切り出してみた。

「まさか、あの手紙を送ってきたのが、お前だと思わなかったよ…」

その一番気になっていた話題を。

でも…その自分の言葉が、何となく恥ずかしく思えて、はにかむと…カランとグラスも、はにかんだ。

手紙…。

「まさか、あの手紙を送ってきたのが、お前だとは思わなかったよ…」

僕はてっきり、棕矢そうやがあの手紙と鍵を送ってきたものだと思っていた…のだが、その返答は意外なものだった。

「手紙? いや、知らない。俺じゃないよ」

「え? じゃあ…誰から…」

一瞬、背筋に氷を当てられたみたいに、ぞくりとした。


……では、誰が〝ここ〟に招いたのか。


この少女か? さっき、棕矢が「お兄様」とか呼ばれていた筈…。

「あれ? お前…妹…いたのか?」

それを聞いた彼は、何だか複雑な表情かおをした。微々たるものだったが、確かに。

そして、打って変わって笑顔になると「ああ…お前は、恭と面識が無かったのか」とだけ言った。

「改めて、いらっしゃい。あきらさん」

彼女は、半分ドレスのようなったワンピースの裾を軽くつまみ上げ、丁寧にお辞儀をする。そのしとやかな所作に、思わず、見惚みとれてしまう。

…そうか。兄妹だからな。やはり、大人びたところは、似ているらしい。


   ***


……棕矢。

僕が幼い頃。気付けば、彼はすぐ隣に居るほどの存在だった。

〝ある理由〟があって、彼と一緒に居た期間は短かったけれど…。

でも、それなりに親密な関係だったと思う。

「棕矢とは、ずっと前から幼馴染だったみたい」と思うくらいには。

だから「恰好良くて、兄貴みたいだな…こんな兄貴が欲しいな…」なんて、よく思ったものだ。

無論、あの大人びた言動や、包容力に救われてきた僕であったから。



「ああ、そう言えば…」

懐かしさが尾を引く中、大いに逸れた話を本題に戻す。

あの手紙が入った封筒を、がさごそとポケットから取り出し…その中に光る小さな鍵を、カウンターの上に乗せた。

「これ…」

それを覗き込んだ棕矢そうやの碧と金の瞳が見開かれ、僅かに揺れる。のち、同じ瞳の色をした恭さんと顔を見合わせ、二人は互いに小首を傾げた。

「確かに…ここの鍵ね」

冷静にゆっくりと切り出したのは、彼女の方だった。

「でも何でまた?」

兄妹は「最近、部屋の鍵を紛失したのか」やら「合鍵の確認」が何とかやら…と、話し出す。

それから話が済んだかと思うと、恭さんが棕矢に何事かを指示され、部屋を出て行った。…間も無くして、彼女が戻ってきた。そして一言。

あきら君、こちらへ」


   *


「じゃあ、この部屋が、今日から貴方の〝居場所へや〟よ」

〝それ〟を使ってカチャリと音を立てた後、ドアノブを回した彼女は、こちらを向く。


淀み無く澄んだ、左右で〝色違い〟の瞳。

……そう言えば。

「ひとつ…訊きたいのですが、良いですか?」

それは、極自然と思い、何の気もなしに出た言葉だった。

僕の言葉に「なあに?」と優しい表情を見せる少女。

「…あの」と言い掛け、そこで。僕が今訊こうとしているのは、本当に「彼女に訊いても良い事なのか?」と思いとどまる。

なぜだろう…。錯覚だろうか。それとも、その先の〝何か〟を予感してなのだろうか…。だからこそ、僕は躊躇した。

今、目の前に立って僕の言葉を待ってくれている少女に向けて訊くか否か。


……どうして。どうして、棕矢と貴女の瞳は。

……瞳は。


しかし、そこでその問いは、ただ僕の喉を詰まらせるものに終わった。

じっと言葉が投げ掛けられるのを待っている彼女は、初めて出逢った時と同じ顔をしていた。

うれいを帯びた瞳。

曇っているわけでもないのに、どうしてあんなにも哀しそうなのか。

……何なのだろう。この少女の、儚さにも似た違和感は。

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