目的地
私と九くんは、ボウリング場に併設されたカラオケボックスに入った。マダムたちの好奇の視線に負けた結果である。密室に入るのも、なんだかやましい想像をされそうで嫌なのだけど、他人の目の届かない場所のほうがいいわよね。
「なんかねえ。光が見える」
「光」
カバンからノート型パソコンを取り出した九くんは、画面に競馬の中継映像を表示させる。平日のこの時間でもおうまさんは走っているのね。それすら知らなかったのだわ。
「この光の強い順に一着、二着、三着になる」
おうまさんを育てる牧場で働いている親戚がいたのと、たまにお父さんが近所の競馬場に連れていってくれていたのとで、競馬のルールはなんとなくわかる。なんとなくわかるってだけで、その『おうまさんのかけっこにたくさんの人が財産を賭けている』って現実まではよくわかってなかったのだけど。
今流れている映像はパドックっていう場所。レースへ行く前に、おうまさんたちを準備運動としてぐるぐる同じところを周回させている。名前がどうの、何歳だの、乗っているのは誰なのか。おうまさんとそのおうまさんを引っ張っている人の他に、いろんな情報が映し出されているが、九くんの言う光が私にはわからない。みんな違ってみんな綺麗なお馬さん。
「今回は七番、五番、三番かなあ」
九くんは馬券の購入画面を開いて、彼の言う『光の強い順』を選んだ。お父さんは、試験に使うようなマークシートの小さなマスを塗りつぶしてたな。ネットだと数字を選ぶだけでいいのね。
「じゅうまん!?」
それから買い目の金額を入れるんだけども、何のためらいもなく九くんが十万円を賭けようとした。桁を間違えてません? ――だって、さっき、九くんは実例を挙げて『競馬に絶対はない』って言ったじゃない? いくつなのか存じ上げませんけども、九くんぐらいの子がぽんと出していい金額じゃないわよ。十万円。
「一千万溶かす予定の人が、十万円でびっくりしちゃうんだあ」
ちょっと小馬鹿にされちゃった。……そうよ、私はあの裏切り者の一千万を水の泡にするの。たかが十万円ぐらいでびびってるんじゃないわよ。
「大丈夫大丈夫。自信あるからさあ」
ヘラヘラと笑いながら、購入ボタンが押された。レースが始まってしまったら、もう取り返しはつかない。たとえスタート直後におうまさんが転んじゃったとしてもだ。これもお父さんが一回大損したから覚えている。その時は、ゲートが開いた直後におうまさんが後ろ足で立ち上がっちゃって、周りはどよめいてたっけ。
「あの、九回表さん」
「九でいいよ」
「なら、九くん」
おうまさんたちにカラフルな服を着た騎手がまたがった。そろそろパドックからレースの行われる場所へと移動する。
「逃げたい、って言ってたけども、あてはあるの?」
「ない」
即答だった。
「実家とか、親戚とか」
「うーん。……かあちゃんには迷惑かけたくないなあ」
ってことは実家暮らしじゃないのか。あれかな。上京して一人暮らし?
「いっそのこと、海外に行っちゃう?」
「海外?」
「そう! 九くんのこと、外国までは追って来ないっしょ!」
たぶん。何の根拠もなく、九くんに希望を見出してほしくて口走る。思いつきだったけども、これが功を奏して、九くんはパァっと明るい表情になって「いいね! オレ、マカオ行ってみたいんだよね!」と結構近場を挙げてくれた。ラスベガスって言い出すかと思ったわよ。どっちにしてもギャンブルの聖地よね。
「あ、パスポート持ってる?」
数馬さんと結婚する前の私は海外旅行が趣味だったから、いろんな国に行っている。結婚してからは家に縛りつけられちゃって。マカオへは香港から船で行かないといけないんだっけか。マカオも香港もまだ未踏の地だから、これを機に行けるのはいいわね。
「どんなのだっけ?」
どんなの?
ええと、確か、身分証の代わりにもなるから持ち歩いているのよ。ちょっと待ちなさいね。持ってないんだとしたら、今日のうちに申請すれば一週間ぐらいで作れるわよ。
「こういうの」
私がハンドバッグからパスポートを取り出すと、九くんはそれをひったくる。
「
それから、パスポートの所持人記入欄をみて、私の本名を読み上げた。そういや、ハンドルネームの卯月を名乗ってたんだったわ。
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