Foreign eXchange
九くんはボウリングの玉を拭きながら、私の話に耳を傾けていた。相槌を打つでも頷くでもなく、特に表情も変わらない。
「――ということがあって、私は夫の貯金を使い果たしたいんです」
ここから先は夫の愚痴がとめどなく溢れ出てしまいそうになるし、初対面の相手からサンドバッグにされたら印象が悪いのでここまでにしておこうと思った。九くんからは『事情を』と言われていたわけで、その『事情』の部分は説明できているはず。
小一時間ほど黙りこくっていた九くんが発した言葉は「なら、FXをやるかあ」だった。
「私の話、聞いてました?」
貯金を使い果たしたいのであって、増やしたいわけではない。パーっと豪遊してやってもいいのだけど、それでは生ぬるい。私は数馬さんを信じて、毎日耐えてきたのに。
「得意のおうまさんでいいんですよ? 九回表さんは普段通りに予想していただいて、私が絶対に外れる馬券を購入する」
九くんがギョッとした顔になる。……何かおかしなことを言っちゃったかな。
「増やしたいのではなく、確実にゼロにしたいんです。だから、FXっていう投資ではなくて、ギャンブルでいいんですよ」
うまく伝わってなかったようなので付け加えると、九くんは頬を緩ませた。にへら、と緊張感のない笑顔を浮かべる。
「卯月サン、FXで一山当たると本気で信じているタイプ?」
「投資って、そういうものじゃないのかしら? 元手がある人が、より資産を増やすための手段」
と私が答えると、九くんは膝の上に置いていたボウリングの玉をボウリングの玉が返ってくる場所に戻した。それから「色々説明したいから、座って」と立ったままの私に座るよう指示してくる。立ちっぱなしはしんどいので、座った。
「まず、FXって何の略だかわかる?」
金融商品だからFinancialは付くだろう。でもXから始まる単語がパッと思いつかない。
「フィナンシャル、なんとか?」
「Foreign eXchangeね」
「全然違った」
「オレが、その旦那さんの財産を確実にゼロにする手段としてFXを提案しているのは、勝ち筋がほぼないのに負け筋は無限にあるからだよ」
?
そんな、詐欺みたいなことある……?
「FXで買おうとしているのは、新興国だとか、経済が行き詰まった国だとかの国債。だから、そういう国で流通している通貨の価値がパァになる理由はいくつでも考えられる。
たとえば政変。国王が代わるとか、王政ではなくなるとか、その逆とか。飢饉とか、天災とかもあるか。
たとえば他国との戦争。もとより、平和に日本で暮らしているオレたちが聞いたこともないような国だし、国力がなくて困っているんだから、攻め入られたら降伏するしかないよねえ」
「そんな、顔も知らないような他人の不幸を祈るようなマネは、したくないかも、です」
私はただ、数馬さんとついでに昌代さんに復讐したいのであって、無辜の人たちを巻き込みたいわけではない。……人間としてそういう線引きはしていきたいと思う。
「さっきさあ、卯月サンは『おうまさんでいい』って言ったじゃんかあ。競馬だって、一着になったおうまさん以外は全員負けてるよお?」
「うっ」
そうだった。顔も知らないような他人の不幸、競馬では発生しないというわけでもない。FXは国家が対象で、規模感が違うというだけであって。
「現在もこの記録は破られちゃいないんだけども、昔、サンドピアリスっていう馬がいてね。同じレースに走るおうまさんが20頭いて、最低の20番人気でさ。
走らせてみたら勝っちゃって、一着を当てる馬券の配当は100円が4万円ちょいになった。
要は『競馬に絶対はない』よ」
それに、と九くんは足を組み直す。
「その一千万円だかを突っ込んだら、配当がおかしくなる。同じレースを買っている他の人を巻き込むんだったら、オレは協力できないかなあ」
競馬がダメなのはよくわかった。他の公営ギャンブルも、似たり寄ったりのことを言われるだろう。
「FXねえ……」
「国がなくなることは、何も悪いことばかりじゃない。新しい国になることで、その地域の人たちの暮らしがよくなることだってあるんじゃん?」
そういう考え方もあるか。そうね。そういうことも、あるのかもしれない。そうなるための後押しと考えれば、人助けとも言える……のかも?
「あと、FXは投資だから税金がかかる。負けてもね」
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